不定期刊行             22号  2002.8.13

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                             木曽高等学校 定時制

前号で大町高校の快挙を取上げましたが、松田大先生から早速メールが届きました。やはり入賞の影には並大抵ではない努力があることが知られます。そのまま掲載させていただきます。

インターハイ登山大会雑感

松田 大   

 漸くインハイ登山大会で念願の入賞を果たし、今までの経緯等を徒然なるままに述べてみます。

 インハイ県予選に参加したのは たしか20数年以上前の戸隠での大会でした。その頃は男子の大町高校を初めとして強豪が目白押しで、新参者など付け入る隙もありませんでした。研究を重 ね、漸く全国初参加を果たしたのは昭和59年度の秋田大会でした。以後、県専門委員長・全国常任委員・全国大会審査委員等を歴任したのですが、自分が指導 したチームはおろか長野県チームはずっと入賞から縁遠い存在でした。全国大会での経験、全国の監督との交流を通し、自分なりに登山大会を分析し、入賞に必 要な条件を割り出してきましたが、その条件に合うチームは創り出せずでした。そんな中で今年の大町高校チームは長年の念願に近いチームでした。しかし入賞 には経験上会場地下見が絶対条件と考えていたのですが、最初計画した文化祭中の下見が周囲の反対で断念せざるを得なかったので、熟たる思いで今年も参加だ けの大会と諦めました。ところが、選手諸君の強い要望と保護者の強力な援助で下見が実施できました。この事が入賞の第一要因だと今でも思っています。

 しかし下見はかなり過酷でした。7月12日(金) 夕に大町を発ち、13日未明現地着、暫しの仮眠後20数キロの2日目行程を走破、買い出し等を済ませ、3日目の登山口に移動し、14日(日)に3日目と4 日目のコースを走破、特に4日目の渓流コースは出口を見出せずコースの2倍近くを遡行するというオマケ付きで15日(月)早朝大町へ帰着というものでし た。この間、協力してくれた保護者は自家用車の提供は勿論、全ての行程での運転、小生とのアルコールの付き合い等全く頭の下がる思いでした。おまけに当然 全員月曜の仕事、授業は休みなしでした。ただ猛暑だったものの、天候には恵まれました。(同時期の長野県は台風の影響で荒天の週末でした)

 この事には小生のことですが、後日談があります。下見終了一週間後の20日(土) 深夜、突如右足首の激痛に目が覚めました。明けて日曜日に全く歩行不能なので、女房を杖代わりに休日当番医で診察を求めたところ、たまたま整形外科医の診 断を受けることができ、その結果関節炎との診断でした。(尿酸値の検査結果から痛風ではないと断言されました)この事は一大事なのです。一日置いた23日 (火)から全校登山の槍ヶ岳2泊3日コースの隊長を務めることに決定していたのです。怪我や病気なら仕方がないものの、たかが足の痛みで山登りを断念せざ るを得ない無念さを察しください・・・・。でも山行中にあの痛みが出たらまず確実にヘリコプターでの下山でした。(とにかく全く右足が突けない状態でし た)医者の言ではないですが、この歳で一週間に5日も(全校登山下見3日、全国下見2日)山行をすれば何処かに傷害が出ても不思議はないのでね、歳は取り たくない・・・。幸い関節炎は3日程で緩愈し、全国大会には再発せずに済みました。(再発したらチームはリタイアで、入賞はありえませんでした)

 全国大会の審査等については大西先生のかわら版にある通りです。大町チームの入賞は多くの幸運の賜(決して自力ではない!、幾つかのチームのトラブルや失敗に助けられました)です。しかしながら小生にしても長年の念願が叶ってとても嬉しく思っています。

 茨城から帰って8日から2泊3 日で1年生残留部隊およびインハイチーム2年生と涸沢合宿に行ってきました。生徒4人と小生の5人でした。その涸沢には異変が起こっていました。テントが せいぜい数十張りとメッチャ少ないのです。挨拶に行った常駐隊の面々も首を傾げていました。ヒュッテも小屋もお盆も予約が少ないと嘆いているようです。8 日の北穂小屋の宿泊者は50人余だったそうです。9日は天候不順でしたが、涸沢〜北穂〜穂高山荘〜奥穂往復〜涸沢と廻ってきました。北穂と穂高山荘との稜 線ではたった3人と出会っただけでした。9日の涸沢天場も蛻の殻状態でした。下山してからの上高地には何故か観光客ばかりが目に付きました。    

 以上乱文でした。

編集子のひとりごと

大さんももう若くないねー。顧問のトラブルでリタイヤじゃ話にならないもんね。(注  念のため申し添えると、インターハイでは顧問が生徒の後ろに一団となって行動します。顧問に何らかのアクシデントがあるとそのチームはリタイヤ扱いとな ります。変といえば変ですが、実際にそうなったら笑い事じゃなかったよねっ!大さん)そういえば、4年前に県大会をやった雨飾山でも、私と二人で事前下見 に行ったとき、ちょっと飛びはねた瞬間に膝を痛めたこともあったじゃない?覚えてるでしょ。

それに、去年の中信の山岳部の年報には地図読みの名人も、○○がなければ、地図を読む以前の問題だと生徒にも書かれていたし、最近、妙に○○が板についてきたような。(おっと失礼)

と はいえ、実は私自身も先日の山行を終え、泊の駅で電車を待っていると急に膝が……。恐らく朝日岳からの急坂の下りが負担だったのではと察せられました。お 互い?っていうには僕はまだ随分若い!ですが、ゆっくりと生徒と山を楽しむためにも無理は禁物ですなー。と思い知らされた次第。決して他人事ではないです なあ。今年は旅費規程が変わって、歩きの部分は全くただ働き、こんな苦労をして、生徒と山に行く僕らって、一体……また話はここにいっちゃいますねー。

そ れはともかく、かわらばん21号で、僕は「下見にでもはいらないと」入賞などは不可能。と書きましたが、さすがインターハイを熟知している大さんだけあっ て、やはり下見にはいったのだったとは、恐れ入谷の鬼子母神でありました。生徒に恵まれ、保護者の協力を得、そして大会を熟知した顧問、大町のこのチーム の活躍がひとつの起爆剤となってくれることを期待します。僕は前号に、新しい夢の創造は、海外登山に限らず、いろんな形で考えられると書きました。山を続 ける顧問として、僕にとってはこの活躍の意味するものは大きいものがあります。まさに快哉って感じでした。で、予告してあった木曽高校の夏山縦走は次号回 し?です。(大西 記)