不定期刊行             23号  2002.8.18

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                             木曽高等学校 定時制

県下の山岳部におけるクライミングの流れ その6(承前)

この11月の会議の中でもう一つ提起されたことがありました。それは、山岳総合センターにお願いするなどして、公的に講習会を開くという道を探ろうということでした。そしてその窓口にジュニア委員長の浮須先生と大西の二人があたることが決まりました。浮須先生と僕は、「生徒たちに普及するためには、とにかく顧問の先生方にこの世界を知ってもらわなければならない。」そういう感じを強く持っていました。

実はセンターでの高校の教員向けのクライミングの講習会は今から6、7年前にも2年間行われたことがありました。当時はセンターの人工壁もできたばかりで、センターとしてもなんとか高校現場にも普及しようというつもりで講座を開設したのだと思います。しかし、結局人が集まらず2年間で頓挫してしまったのです。

そんな経験もあったのですが、せっかく第一歩を踏み出した会議をさらに一歩進めていくために、浮須先生はセンターに赴き、講習会の開設についての依頼をしました。センターでは、そのような要望があるのなら講習会の新設はやぶさかではない。具体的にどんな講習会にしたらいいのか、高体連としての要望を12月中にまとめてもらえば、新年度(つまり今年のこと)から新たに講習会を開設できるとのことでした。

僕は浮須先生からその連絡を受け、その講習会に加えて、次年度より具体的に普及するための方策を話し合いたい。そのためにさらにもう一度会議を持ってはいただけないだろうかと加藤先生にお願いをしました。その結果、12月の中旬に各地区の高体連専門委員とクライミング愛好者の先生での会議を持とうということになりました。場所は大町の山岳総合センター。このときのメンバーは、加藤(岩村田)、竹内(諏訪実)、浮須(池工)、重田(岩村田)、小林(白馬)、赤羽(志学館)、久根(風越)、村主(岡工)、大西(木曽)の9人だったと思います。(違っていたら教えてください、お詫びして訂正します。為念)

前回の議論をもとに会議は進められました。当初浮須先生や僕が考えていたのは、あくまで顧問の啓蒙、研修としての講習会でした。そして、それは「自分では登れない顧問であっても、指導する過程が学べるような講習会」にできればいいのではないかということでした。実際、僕らの中には、ロープワークや安全な登攀技術は教えられても、登り方そのものを生徒により具体的に教えられる顧問は数少なかったからです。仮に自分は登れなくても、生徒に教えることができれば、少しは普及も早まるだろうと考えたわけです。実際、クライミングの話があったとき、「俺はやったことないし、登れないから」と生徒に進められない先生だって多いと思うのです。しかし、一方で多くの先生方の中からは、どうせやるのなら一石二鳥だから、生徒も一緒にやったらどうだろうかという意見も多く出されました。その結果、講習会の持ち方は、顧問も生徒も一緒にやる形に落ち着きました。これが来る9月7日から8日に行われる「高校クライミング研修会」として結実したわけです。

というわけで、この講習会は、生徒だけでも、顧問だけでも、また引率ででも参加が可能です。ぜひ一人でも多くの顧問の先生に出ていただきたいと考えています。学校宛の通知はすでに夏休み前、7月1日付の文書で回っていることと思います。ぼつぼつ夏休みも終わります。山岳部はもちろん、それ以外の生徒にも声をかけて見てください。講師はこのかわらばんにも何回か名前が登場した森山さんと、クライミングの指導では第1人者の中嶋岳志さんです。きっと参加しただけのことはある実のある講習になると思います。

木曽高校夏合宿の印象

今回のコースは、向井先生が高校時代に行ったコースで、そのとき「最後の海がすごく楽しかった」というのを聞いた生徒がそれに乗っかったっていうのが真相だ。筒井さんも僕も白馬から先は未体験ゾーンでその意味では僕らも全く生徒と同じ。初日の8月6日は朝早くから顧問3人(筒井、向井、大西)の車で生徒を白馬まで乗せて行った。9時白馬に全員が集合。猿倉まで移動をかけて歩き出した。生徒は全日制はいずれも一年生の女子五人。それに定時制の2年生男子が一人。とにかく、せっかくはいってくれた虎の子の5人の生徒を失わないように、おだてたりすかしたりの初日であった。馬尻まではそこそこいた登山客も、大雪渓の上に出ると、夏の最盛期というのに拍子抜けするほど少なく、僕らの貸切といった趣きの静かな登山であった。稜線ではもう紫色があせて花が終わりのウルップ草が僕らを迎えてくれた。

二日目は朝4時に村営小屋脇のテントサイトを出発し、白馬、雪倉、朝日をこえて朝日平まで。白馬の山頂でご来光をというつもりだったが、生憎のガスと強風で眺望はなかった。白馬から三国境までの西側斜面には一面のコマクサが咲き乱れていた。雪倉のお花畑にはマツムシソウやクルマユリ、ニッコウキスゲ、チングルマ、などなどまさに花の山旅とでも形容できそうなプロムナード。雪倉の頂上からはガスもきれ、風もおさまって、快適な旅。しかし、朝日の登り口までの大下りは生徒にも我々にも不評。このあたりから東京からという女性2人組と相前後しながら進んでいった。朝日の手前の湿原はなかなか気持ちがいい。もうバテバテで口数も減っている生徒たちを「せっかく来たのだから」と、何とか口説いて朝日を登る。やっとたどり着いた朝日の頂上は広い台地になっていて、天気がよければ日本海一望のはずだったが、遠くはガスに覆われていて見通しが利かないのはちょっと残念だった。下って今日のテントサイト朝日平についたのは2時。一年生にはちょっと大変だったようだ。しかし、特製のカレーと日本海に沈む夕日、白馬からの今日のルートがぐるっと見回せるロケーションに疲れも吹っ飛んだようだ。

三日目は暗い中、眼下の海に腕のように伸びた能登半島の明かりがくっきり浮かぶ景色を見ながらひたすら下った。4時に出発し、北又小屋に着いたのが9時。実働5時間。泊まで出ると、ずーっと歩いてきた白馬、朝日がはっきりと見えた。感動。そして、生徒たちには最後のお楽しみの温泉に浸かり、そのあとは市振の海岸でテントをはり、海水浴に釣り。価値ある海だった。これで三日間の疲れも一気に吹っ飛んだだろう。願わくは彼女たちが、これで山はいやだなんていいださないように。

編集子のひとりごと

夏ももう終わり。私は休みの最後を下岡さんと岩登りで締めくくります。(大西 記)