不定期刊行             27  2002.9.23

中信高校山岳部かわらばん

編集責任者 大西 浩

                             木曽高等学校 定時制

知事選の日、御嶽山から眺めた長野県は?

9月1日、2日と、ある調査を頼まれ、2日続けて御嶽山に登る機会を得た。1日はおりしも知事選の日だった。晴れた山頂からは、長野県の主たる山がすべて見渡せた。

西側に背を向け、ぐるっと身回すと、長野県がほぼすべて見渡せた。南に恵那山。北に乗鞍、穂高など北アルプスの山々、北信の山々、噴煙のあがる浅間山や八ケ岳、中央アルプスの向こうには南アルプス。東も北も南もすべて長野県の山であった。たった一つ長野県の山でなかったのは、塩見岳の隣に頭をのぞかせていた富士山。それ以外はすべて県境の山が屏風のように他県との間に聳え、他県との間を隔てていた。今から十数年前に長野県山岳協会が「県境踏査」という名目で、長野県と他の県の境をくまなく歩いたことがあるが、そのほとんどが山の稜線であったことを思い出した。長野県は山に囲まれているのだ。

 よく長野県人の閉鎖性などということがいわれるが、そういった性質はこういった地理的なものにも原因があるのではないか?見ているうちに、そんなふうな実感をもった。

 もちろん西側にも、岐阜県の山が連なっているわけだが、どちらかというと岐阜県側の山々はのっぺりとしていて、開けている感じがした。その岐阜県の方に比べ、長野県の山の重畳たる連なりは、長野県の懐の広さを感じさせるに十分な展望であった。そして、この緑豊かな山々を見て、この自然と緑を次世代につなぐことこそが我らの使命であるという感じが強くした。御岳山から見ると、本当にどこまでも続く山の中で、人々はほんのわずかな平地に住んでいると思った。

 東京タワーや新宿の高層ビルから臨む景色とは全く違う。この長野県の山や林に降った水が、やがては、川を下り都会へと流れ、いずれは海へと流れていく。その水をどう管理し、どう下流に流していくのかは、我々上流にすむ人間の責任である。豊かな森の力に頼った治水を高らかに謳い上げた「脱ダム宣言」。その理念は非常に崇高なものである。

 そして、我々長野県民はその「脱ダム宣言」を掲げ、更なる改革をと知事選に臨んだ田中氏を選択した。県民の投じた田中氏への一票には、多くの期待が込められている。確かにここ1年8ヶ月で長野県は変わった。そして、遠かった政治が身近なものになったことも事実である。そんなことを思いながら流れ行く雲と眼下に広がる緑の森を見た。

 御岳山は風も強く、空気はもう秋のそれであった。山にはこれからもうすぐ厳しい冬がやってくる。しかし、長野県には夜明けが、そして春がやってくるように期待してやまない。

雨と風、ガスの北穂、滝谷

12日から16日までなんと5日間も標高3106mの北アルプスの北穂高岳にいた。北穂の岐阜県側には「鳥も通わぬ」と形容される滝谷と呼ばれる岩場が切り立ち、いつもガスを巻き上げている。この滝谷こそ、古くから岩登りのメッカとして幾多のクライマーをとりこにしてきた場所だ。そして、そんなクライマーの一人小山義治さんが開いた山小屋が「北穂高小屋」である。SBC(信越放送)が今年4月からこの北穂高岳と北穂高小屋を1年間の予定で、取材を続けている。

 その一場面として、どうしても滝谷を登攀(クライミング)する姿を取材したいということで、県内の山岳会に申し出があった。登るのは、松本に本拠をおく県内でも屈指のクライミンググループのCMC。メンバーはベテラン二人に新人二人の四人パーティ。

 その撮影の補助をしてほしい、という依頼が中野実業の宮本先生を通じて、数日前に僕のところにきた。現場は足場も悪く、ザイルを張ったり、確保をしなければ行けない危険を伴う場所。そこへハイビジョンのテレビカメラ三台を持ち込み、空撮もいれるという大掛かりなものだった。

 担当のディレクターは十年前に僕がアリューシャン列島の登山自然調査隊に参加したときに同行し、取材した堀内宏氏。そんな縁もあり、引き受けた。当初は12日入山、13日撮影、14日下山の予定だった。ところが12日以来、日本列島の上には、秋雨前線が居座り、山は大荒れの天候が続き、13、14、15とずっと雨と風そしてガスにおおわれたまま。撮影はおろか岩登りもできない状態が続いた。結局15日の午後になって、わずかにガスがきれたのを見計らって撮影に入った。12時、雨こそ上がったもののガスは濃く、とても映像にはなりそうもない中、撮影は始まった。目玉になるはずのヘリによる空撮も諦めざるを得ない。

 登攀隊も濡れた岩場にてこずり、思うように登れず苦戦。3000mの高所では、もう寒く、手足も凍えそうである。カメラマンも音声マンも、また彼らをロープで支える僕らサポートもみな動けないので、顔にあたる風が冷たい。ホワイトアウトの中で、最悪の状態の撮影が続いた。

ところがなんという偶然、テープを回しだしておよそ40分が経過したころ、サーッとガスが切れ、すばらしい景観が飛び込んできた。夕闇前の僅かな時間。スタッフの思いが届いた瞬間だった。100%満足の行くものではなかったけれど、なんとか撮影は終了。天候が回復すれば、16日にもう一度とるはずだったのだけれど、朝からの激しい雨で結局NG……。この15日の撮影が番組では使われることになるだろう。

 どんな番組になるかって?それは来年3月21日TBS系で全国放映される「穂高よ、永遠なれ」を見るべし。

編集子のひとりごと

9月にはいって8日間3,000mの山に登りました。御岳に2日、北穂に5日、乗鞍に1日です。今回はその前2者の個人的な山行記録の報告です。

最後の乗鞍は前号で報告した通り、中信大会の交流登山でした。専門委員長の小林先生に頼まれて、登山隊の隊長として全権を任され、先導をしたのですが、実のところ私自身は前日からの風邪の具合が最悪でした。登っている間は、なんとか気力で持ちこたえていましたが、下山と同時にもうふらふらの状態になり、車を運転するのもしんどい状態。帰宅するや否やバタンキュー。連休の後半2日間は、家族の白い目を感じながら、寝込んでいた私でした。

で、ちょっと回復したのでやや古い話題も思い出しながら、私事を書きました。みなさんも面白い山行がありましたら、ご一報ください。(大西 記)