不定期刊行             

40  2003.1.18

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                             木曽高等学校 定時制

来年度のセンター研修会の日程について打診がありました

先日、県山岳総合センターの加々美主事から、来年度の高校生および顧問対象の研修会についての打診がありました。対象となるのは、例年行っている春の針ノ木で行われる「高校登山研修会」と今年度高体連登山専門部からお願いして実施した「高校クライミング研修会」の二つの研修会です。

前者については、例年は5月の連休明け直後の金土日の2泊3日で行っていましたが、来年度は一週遅らせ、15から17日でどうかというものでした。その理由としては、1年生などの歓迎山行を連休中に組んだりして連続では大変だろうという点と高校のクラブの体制の整うのが4月下旬であるため、申し込みが連休前まででは、忙しいのではないかということでした。私としてはこの方が好都合だと思うのですが、関係の先生方はいかがでしょうか?長く続いており、有意義なこの研修会の灯を絶やさないためにも、多くの学校の出やすい形を指向すべきだと思いますので、これに関してご意見やご希望のある方はお知らせください。

また、後者については昨年は1泊2日で行いましたが、希望があれば2泊3日でリードまでできるような研修会に発展させてはどうだろうかという打診がありました。時期は昨年と同じく9月の第1週を考えているということでした。2泊3日という形でこの時期研修が可能かどうか、またそうするとした場合時期的にはどうか、一泊なら出やすいが授業日にかかると出にくいなど、どんなご意見でも結構です。集約してセンターに声として届けますので、こちらもご意見をお聞かせください。

山岳総合センターは我々長野県の山岳部の顧問生徒が気楽に立ち寄れる場所であり、有意義に使える場所であり、我々の活動の拠点であり・・・というような場所であってほしいと思っています。中信以外からはちょっと遠いという欠点は持っていますが、宿泊代も安いし、人工岩場はあるし、もっと積極的に活用できればいろいろな活動がここからスタートできるような気もします。所長以下職員の方々も高校の山岳部が研修で使うということについては全面的にバックアップしてくれると思います。そんな点も含め要望があれば届けますので、あわせてご意見をお聞かせください。

本年の初登山「吾妻山(四阿山)山スキー行」かわらばんバージョン

1月11日わが信高山岳会(信濃高等学校教職員山岳会)の新年会が13名の参加で盛大に行われた。場所は群馬県の新鹿沢温泉。せっかく珍しい場所に集まるのだからと、夜の宴会の前に行きがけの駄賃よろしく吾妻山への「ミニ山行」を計画した。

朝の9時半に集合場所の上田東高校に集まったメンバーは会長の伊沢さん、新年会幹事の重田さん(岩村田高校)、会事務局長の久根さん(風越高校)、紅一点沼田さん(開成中学)に僕の5人。重田車と大西車の2台で鳥居峠を越えてパルコールつまごいスキー場へ向かった。目指すは吾妻山。表題の吾妻山(四阿山)を見ておや?それは?と思われた人はまあまあの山通?ふーんと思われた方はかなりの山通?何のことかわからない人は普通の人?この山日ごろ我々(信州人)は四阿山と呼んでいる。地図にもこの記載があるわけだが、群馬側嬬恋村では吾妻山と呼んでいるそうな。「嬬恋」といい「吾妻」といい日本武尊の伝説にちなんだ命名なのだろう。この山は頂上には信州の祠と上州の祠があるし、今回は上州から登るのだからというわけで、地元に敬意を表して「吾妻山」と書いたわけだ。ちなみに深田久弥の「日本百名山」にもそういう記述がある。(為念)とまあ前置きが長くなったが・・・。

11:30駐車場に到着。片道1,100円の高いゴンドラ代を払って、一気に標高2050mまで登る。歩き出しはちょうど12:00。しばらくピステのかけられた緩斜面を登り、地図で確認し2119mの小ピークを巻き込んだところから尾根に取り付いた。ここ数日は誰も入っていないようだが、ふみ跡はついているので、それを辿る。伊沢さんはスノーシュー、それ以外の4人は山スキーである。ほんのわずかだが、ゲレンデを離れると白銀の世界は僕ら5人だけの世界になった。最年少の久根さんも40を越し、女性一人を交えた名実ともに典型的な中高年の登山隊である。ゆっくりゆっくり進む。深雪に難儀して13:00に2183mの標高点に到着。天気は高曇り。ここからはゆるやかなアップダウンが続き、樹林帯の中をシール登行と下りの繰り返し。歩き出しからおよそ2時間、頂上直下の最後の急斜面の手前でスキーをデポし、わっぱにはきかえた。夏の間は岩場になるであろうと思しき斜面には雪がべったりとはりつき、鉄鎖の支点が一本だけ見えていた。そのやせ尾根を登り詰めると、14:40三角測量の残骸物があるピークにたどり着いた。双耳峰のもう一方の頂点で祠がある最高点は、稜線の先に見え隠れしているが、そこまで往復するとまだ30分はかかるだろう。下りのことを考えればこれが限度であろう。青空は見えないが、眼下には高原野菜で有名な嬬恋村の平が広がっている。地図上の2332.9mの三角点を今年最初の登山の到達点とし、全員の到着を祝って、15:00下山を開始した。

僕ら以外誰もいない静かな山登り。僕は以前丸子にいたことがあって、今までこの山にはいろいろなルートからいろいろな時期に登ったが、いい道を知ることができた。斜面はスキーに快適とは言いがたかったが、誰もいない自分たちだけのフィールドに描いたシュプールを振り返ってみると、なんとも満ち足りた気分になってくる。ゲレンデに戻ると日が沈みかけて、盛んに煙をあげる浅間山が赤く焼けていた。

  編集子のひとりごと

前号で国体の旅費の話題を取り上げましたが、それと期を同じくする様に16日の信毎にこの国体旅費についての選手監督アンケートの結果が載っていました。選手監督の3割は僕の考えと同じで、補助が減額になれば出場を断念すると回答したとのことでした。山岳と違うメジャーな競技を加えてのこの数字に、県はどのような対応をするのでしょうか。性急な結論を出されないよう強く望みます。またその前日の15日には、同じ信毎で、国体のスリム化の流れの中で、山岳競技のうち縦走競技が廃止の流れにあるということが日体協の理事会で論じられたと報じられました。クライミング一本になるということは、より目に見え客観的な競技になっていくことを意味しているのでしょう。しかし、そうなった場合には長野県のようなクライミングが根付いていない地方には、競技がスリムになった分を少しでもふり向けて、公的な後押しをしてもらえるとありがたいと思うのですが・・・。現実は?(大西 記)