不定期刊行             44  2003.2.12

中信高校山岳部かわらばん

編集責任者 大西 浩

                             木曽高等学校 定時制

今年の中信高校山岳部年報は力作ぞろい

ほうっておくのはもったいない

今年で26号になる「中信高校山岳部年報」が発行された。全80ページ、今年も中信地区の9校が原稿を寄せている。26年間連綿と続けられてきた営みには深い意味がある。登山は文化であるは、亡き吉沢一郎氏(グループドモレーヌ)の口癖であったが、一年間の中信地区の高校生の登山文化の集大成は結構読み出がある。とりわけ今年のものは例年になく力作ぞろいだと思う。皆さんしっかり目を通しましたか?(失礼)

なかでも圧巻は、大町高校の前部長三戸呂君の「全国大会報告記」。これは7ページにも及ぶ力作で全国大会入賞の内実がよくわかる。顧問の大先生とのやりとりも妙にリアルで面白い。中信以外の高校の顧問の先生にもぜひ読んでほしい内容だ。そのほか、県ヶ丘の4人組の夏休みの自転車旅も山岳部の活動を超えた面白さがある。手前味噌ながら我が木曽高校の生徒の文は顧問観察が鋭くて思わず苦笑、などなど・・・。高校生も捨てたもんじゃない。ここでひとつ提案なんだが、こういう高校生の文を高体連のホームページにアップしたらどうだろう。これを見て高校山岳部の活動に興味をもってくれる人が出て来れば、それが子どもであれ、大人であれ実に歓迎すべきことだろう。

登山部の年報は配られる範囲が限られ(中信地区の山岳部顧問生徒と校長、広告主)ており、読者も限定されているが、文章そのものはそれぞれの顧問のところにあってデータとして保管されているはずだから、生徒の了承さえ得られれば、それは可能だし、すぐにできることだと思う。年報一冊丸ごと載せるというのも手だが、まずは各校顧問のところで生徒に了承がとれたものを、逐一載せていけば、高体連全体の財産にもなる。また、中信以外の他地区のものも集めていくこともできるかもしれない。この件について、みなさんどう考えますか?高体連登山部のホームページに「かわらばん」と並んで「中信高校山岳部年報」という欄ができたらいいんじゃない?・・・どうですか・・・中信以外の先生、読みたくなってきたでしょ・・・。編集長赤羽先生(志学館)のところにまだ残部もあると思うので、ほしい方はお申し出ください。一冊400円です。

風雪の八ヶ岳(編笠山・権現岳)

2月8日から9日、信高山岳会の例会山行で、標記の山に行ってきた。同行者は重田(岩村田)・下岡(松本筑摩)の両氏。コースは小淵沢の観音平から初日は青年小屋まで。翌日は権現岳をピストンし、往路を戻るというものだった。ルートは違うが編笠山は来年度の高体連の県大会の開催場所にも予定されている。一足早くその下見?

8日、5時半に下岡さんと合流し、集合場所の観音平入り口を目指した。高速を小淵沢でおり、6時25分観音平の入り口に到着した。6時30分重田さんもやってきた。7:15歩き始めてすぐ鹿の大群に出会う。林道を歩き初めてすぐに右に「観音平」と書かれた道標が目に付いた。目指す編笠山は正面に見えるのになぜだろう?きっと林道が迂回しているのだろうと解釈して、それに従い林道を離れ右折。切り開きの林の中をしばし歩いておかしいことに気がついた。どんどん山から離れていくのだ。地図を出して確認。どう考えても林道をもう少し行かねば、観音平には到着しない。(帰りにも確認したが、コンクリートの擬木でつくられ、しっかり固められた人騒がせな立派な道標は道路と直角に東に向いて間違いなくあらぬ方向をさしていた)藪の中をもう一度林道に戻りやり直し。およそ20分のロス。最初から地図を見なかった自分たちのミスとはいえ、あの道標は撤去すべきである。(もしかしたら観音平までの遊歩道があるのかもしれないが、迷惑千万であった)

そんなこんなで観音平に到着したのが8時50分。ここからは目指す権現が遥かに遠い。最初からずっと雪上ではあるが、ルートは夏道と同じ。10時05分、雲海に到着。背後には甲斐駒、仙丈、北岳、手前に鳳凰三山が大きく、左手には富士山が美しい。しかし、空にはレンズ雲が浮かび、天候の悪化を告げている。11時05分、押手川、ここからはトラバースして青年小屋に向かうことにした。いままではトレースもしっかりしており歩きやすかったが、メインルートを外れたせいかここからはラッセルがきつくなった。入山前に長山協の副会長で下諏訪山岳会に所属している星野吉晴さんに聞いていた通り、今年の雪は深い。樹林帯を股までのラッセルをしながら青年小屋に到着したのは13時20分だった。今日はここまで。テントを張って早速ビールで乾杯。低気圧が接近しているため、今夜半から降るという予報の明日の天候が心配だ。しかし心配しても仕方ない。だめなら下山するだけだ。運を天に任せて飲み始めた。16時ごろ別パーティの4人組が到着し、隣にテントを張った。聞けば長山協の登山教室で知り合った仲間だとかで、その時に講師をしていたのが、同じ信高の会員の飯沼さん(松南高校)だったそうだ。僕らのことを信高山岳会だと知り、そんな話をひとしきり。夕方6時ごろから雪がはらはらと落ちてきた。

翌9日、朝4時20分。外は吹雪である。風は強く、ガスも出ている。朝食を済ませ、6時行けるところまでということで出発。のっけから腰までのラッセル。時には胸まで埋まる。青年小屋まではトレースもあったが、ここから先はこの数日は人の入った形跡はない。やせ尾根の基部にあたる「のろし場」と呼ばれる場所まで出るのに2時間も費やした。樹林帯を抜けたため、風はますます強くなった。一方雪の量は想像以上で、稜線上でも腿まで潜る。しかし、西ギボシを通過するころから、風は強いものの時折青空が覗きだし、急速に天候は回復の兆しを見せ始めた。9時、東ギボシの雪壁を上り詰めると、ガスの切れ目から正面に権現が立ちはだかって見えた。そこから斜面をトラバースして下り、再び上り詰め、9時45分、頂上に到着。正面に赤岳が白く輝き、八ヶ岳の峰々が荘厳だ。目を転じると北、中央、南アルプス、乗鞍、白山、御岳、恵那山、富士山・・・。絶景であった。頂上で至福の時間を満喫し、下山した。帰りは青年小屋からは編笠岳の頂上も踏み、観音平の入り口に帰りついたのは16時のことだった。

  編集子のひとりごと

先に発行された中信高校山岳部年報には各校の顧問の名前も記載されているので、今号から、この年報に名を連ねていて、今まで送っていなかった顧問の先生にも試みに送ってみたいと思います。突然、このようなものが届いたからといって驚かれないよう、すでに読者になっている先生方から一言お口添えいただければ幸いです。(大西 記)