不定期刊行             45  2003.2.22

中信高校山岳部かわらばん

    編集責任者 大西 浩

                             木曽高等学校 定時制

夢・夢・夢・・・・二つのテレビ番組から

2月は心躍るような番組に、また未知への憧れを掻き立てられた。そのひとつがテレビ50周年と称して、NHKが再放送したシルクロードシリーズ。幻の番組の放映に超感激したのは僕だけではないはず。喜多郎のシンセサイザーのテーマ曲も懐かしかった。

この番組、初めて放映されたのが1980年。当時の僕は大学生。中国と国交回復してまだ10年未満、開放された場所も少なく、貧乏学生にとっては割高な中国旅行など高嶺の花。ましてや登山なんて・・・。西安を出発した取材クルーは、そんなシルクロードの町々にどんどん入り込んでいく。当時、そこに映される映像に食い入るように見入った僕は、番組終了後も、取材報告記をなけなしの金を払って買い求め、むさぼるように読んだ。それはある意味、僕の夢の原点でもある。それから二十数年が経過し、シルクロードへの旅も容易になった。そして、まさか行くことはあるまいと思っていた西域の地に、四度訪れることができた。西安から始まり、西寧、敦煌、トルファン、ウルムチ、カシュガル、ホータン、ヤルカンド、タシクルガン。広大なタクラマカンの大砂漠やそれを抱くように聳える天山、カラコルム、崑崙の峰々。これらの名前を聞くだけでもロマンを掻き立てられる。番組で、また夢を呼び覚まされた感じだった。

そして、もう一つ僕の目を釘付けにしたのが、2月16日に朝日系で放映された「霧の日記、アリューシャンからの伝言」である。今から10年前の1993年、僕は長野県山岳協会の「アリューシャン列島登山自然調査隊」のメンバーの一人としてアリューシャンに渡った。そこには未知の自然と山、それに先住民族アリュート族の暮らしがあった。隊は、列島の五島に足跡を残し、未踏峰二峰を含む七峰に登ることができた。その懐かしい島々の映像は、10年前と変わっていなかった。霧に包まれた島々、ダッチハーバーの街並み、海抜0mから咲く高山植物、ルピナスの花、おどけた表情のパフィン、アリュート族の暮らし、川を上ってくるサケの群れ・・・見たことのあるような景色がてんこ盛りだった。そこも自分の夢を実現した舞台、かつての僕の居場所だった。

夢・夢・夢・・・長山協海外セミナーで

さて、そんな映像で夢をかきたてられた気持ちと相前後するかのように、2月15日、長山協の国際部主催の海外セミナーが開かれた。今年一年の長山協の遠征報告と講演会、ディスカッションが行われた。報告は@長山協顧問田村氏の中国チベットチョモラリ峰清掃トレック、A長山協海外登山教室隊長西田氏の中国四川省鍋底尖峰の報告、B駒峰山岳会堺沢氏のアコンカグア登山。@は1996年の同峰登山の際に処理してきたはずのゴミがおそらく地元民の掘り返しにより露出したとの報告を受け、そのゴミの回収のために組織されたトレッキング隊の報告。本隊の登山はテイクインテイクアウトで行われ、「美しい山を美しく登った」すばらしい登山だった。報告書にもその荷下げの苦労は書かれているが、自分も何度か遠征をしたことがあるものとして、この登山隊の荷下げ、撤収はできうる限りの最善のことをしてきたと思われ、決してお題目だけのテイクインテイクアウトではなかったと感動した。今では声高に言われるクリーン登山だが、少人数でのフィックスの回収や2トンに及ぶ荷下げなどの記述を読む限り、この面の先駆けとしては、すばらしい登山だったと思われる。しかし、残念ながら数年前に上記の人為的な理由でゴミが露出したという報告がチベット登山協会からもたらされた。ゴミの量はわずかダンボール2箱程度。この登山の実行委員長だった田村氏は、たとえわずかであってもこのままでは画竜点睛を欠くと改めて清掃トレッキングを組織されたのだった。現実には、悪天候で入山を阻まれ、予定通りの成果を上げることはできず、後処理はチベット登山協会に託すことになったが、その精神は必ずや次へとつながるはずである。すばらしい行動だと思う。Aは、中高年が10日間で5000m級の未踏峰に登った報告だが、土日を二回に祝日を絡め、五日程度休暇をとれば、5000m級の山に小遠征が可能だということを教えてくれる示唆に富んだ登山だった。場所は四川省、邛崍山脈。かつて高校生訪中登山を行った大姑娘山と同じ山脈だ。このあたりには手ごろな山がまだごろごろとあり、中高年の登山にも、また再び高校生訪中登山などを計画するにも最適の場所だと感じた。こんな小遠征もいいかもしれないと小さな夢が芽生えた。Bは1964年にギャチュンカンに登った堺沢清人さんが62歳の今年、山岳会の仲間とアンデスの最高峰アコンカグアに登った報告。地球の裏側の6959mの峰に24日間、わずか36万という金額で登っている。(素晴らしい)僕はこういうの好きだなぁ。安く上げるコツはいろいろあるだろうが、報告では往復の航空運賃が12万5000円。現地でも工夫していろいろ切り詰める・・・。いまや商業登山などというものが増えて、金さえ積めば、二十前後の若者でも会社の社長でもエベレストの頂上に立てるという状況の中で、こういう手作りの登山というのはいいなあと思う。これも僕にとっては刺激となる報告であった。

さて、メインイベントの講演は日山協国際部長の尾形好雄さんによるものだった。19回のヒマラヤ遠征で8000m峰5座、7000m峰6座(うち5座は初登頂)、6000m峰4座に登頂した彼は、おそらく現在の日本において、現役の登山家としては最も経験豊かな登山家といってもいいだろう。次から次へとスクリーンに写しだされるヒマラヤの山々の映像は圧巻で、言葉を失った。1948年生まれで、自らを8000mの初登頂時代には後れてきた世代だと自認し、まさにそれはそのとおりなのだが、彼のたどってきた足跡を見ると、それに続くヒマラヤ登山においては世界でも屈指の登山家だということを改めて知らしめされた。もちろんプロである彼と僕らの間には歴然と一線があるわけではあるが、そのヒマラヤ登山における先見性と情熱には感服した。つまりその時期になぜその山に登るのか、なぜそこをめざすのか、そういった点が明確で大いに参考になる講演だった。

編集子のひとりごと

いまやネパールだけでも267座が開放され、海外登山にもいろいろなスタイルがあるはずだが、現実には昨年の日本から出た登山隊は53分の13が8000mを目指すものであり、そのうちの13隊はエベレスト(5隊)とチョオユー(8隊)に集中しているという。自分でいうのもなんだが、僕はそんな中で去年行ったカシタシ遠征は手垢にまみれていない本当の登山、いい登山だったと自認している。次の夢は・・・よく聞かれるが、じっくり考えてまた「いい登山」を構築したい・・・なぁ。(大西 記)