不定期刊行

46  2003.3.1

中信高校山岳部かわらばん

編集責任者 大西 浩

                             木曽高等学校 定時制

2008年聖火はチョモランマを越えるか

2月23日から28日までの日程で、中国北京へ一人旅をしてきた。中国へはこれまで四度行ったことがあるのだが、今まで北京へ行ったことはなかった。たまたまリフレッシュ年休が取れるということで、それならばと、急に思いたって行ってきた。行く前に、せっかく行くのだからと、何度か日本で会見したことのある中国登山協会の趙建軍氏にアポを取って見たところ、その時期はちょうど中国にいるとのこと。「会いましょう」との返事であった。実際に中国では、二晩僕のために時間を割いてくれ、いろんな話をして楽しいひと時を過ごしてきた。

滞在2日目の夜などは、1時間半以上かけて、わざわざ自転車で僕の宿泊先のホテルまで来てくれた。現在、北京は2008年のオリンピックに向け、急ピッチで町が作りかえられている。地下鉄も3本に増え、移動も便利になり、それ以外にも10本以上の新規路線の建設計画が進められている。僕自身もバスと地下鉄であちこち移動したが、渋滞のバスに比べ地下鉄は快適。また渋滞解消のため道路の建設も進み、一週間前の道路地図が役に立たないというくらいのペースなのだそうだ。北京の環状道路も第1環状線、旧城壁にあたる第2環状線の整備と、その外の3環、4環まではすべての立体交差化が完了し、現在は5環、6環を工事中だとのこと。最も外周にあたる6環は一周すれば200キロにも及ぶそうで、これからはその内側の巨大な地域を市街地と呼ぶようになるのだそうだ。ちなみにオリンピック会場は八達嶺に向かう道路沿いの、4環と5環の間の地域に建設されている。

そんな北京で、趙さんの話によると、登山協会がオリンピックに向けて大きなプロジェクトをしなければならないという。それが、冒頭の標題に掲げた荒唐無稽(失礼?)な話である。皆さんこんなこと知っていましたか?一体なぜこんなことになったのか?2008年のオリンピック会場を北京に決めたのは2001年7月にモスクワに於いて行われたIOC総会。その席で、中国の代表団が目玉として打ち上げ、演説をしたことの一つが、「聖火はチョモランマを越えて中国入りさせる」ということだったそうだ。チョモランマでは1988年に3国交差縦走が行われており、2008年はちょうどその20周年にあたる。その記念事業も兼ねて行われるとのことだが、中国オリンピック委員会や中国体育協会によれば、20年前にできたことが08年にできないはずはないという理屈だそうで、それをすべて請け負うのが登山協会なのだということだ。今年は、日本で言えばNHKにあたる中央電視台の取材クルーがチョモランマに入るのだそうだが、これなどもその事前の準備の一環なのだという。

果たして、こんなことが可能なのか?万里の長城や紫禁城なども見てきたが、これらを建設した強大な権力も、上記のプロジェクトも実は根っこは同じところにあるような気もした。つまり民主化され、為政者が中国共産党と形や名前こそ変われ、現にやっていることややろうとしていること、またその手法は皇帝政治と同じなのではということだ。オリンピックは現代版万里の長城ではないのか。そんな印象を持って帰ってきた。

美ヶ原の自然と風土を考える会よりのお知らせ

「美ヶ原の自然と風土を考える会」では下記のセミナーを企画しています。どなたでも参加でき、参加費は無料です。顧問はもちろん、高校生などにも非常に有意義な内容の話ではないかと思います。ぜひ生徒にも声をかけ、ご参加ください。詳しくは筑摩高校の下岡先生までお問い合わせください。そんなに堅苦しくない気楽な会だと思います。

 演 題 「山登りの医学」

講師名  酒井秋男(信州大学医学部、加齢適応研究センター)

日 程  3月29日 午後1時30分より

場 所  県の森  1−5会議室

講師の酒井先生は、チベットを何回か訪れ、呼吸器系と循環器系についての研究を行っているようです。当日は初心者の低山ハイクから3000m級への登山までを対象に、高所における人間の体の生理的変化などの話をしていただきます。

ちょっと自己PR

以前取り上げたつもりで、どうも取り上げていなかったようなので、PRを一つ。県内高校の山岳部の顧問を中心に結成されている信高山岳会のホームページを見たことはありますか。管理してくれているのは、竹内佳一先生ですが、そこには通常の信高山岳会の活動のほかに信高山岳会がかつて行ってきた事業についても、報告されています。

第2回長野県高校生訪中登山交流会の様子、信高山岳会が中心になって建設した中国青海省の「青海信越山荘」の完成記念ツアー、会創立15周年を記念して行われた青蔵公路トレッキング、さらには創立20周年記念のカシタシ主峰登山隊の記録。最後のだけが自分の直接に関わったものなので、ちょっとPRします。

カシタシ主峰の登山は1999年に偵察、2000年の登頂断念のあと、2001年再度の挑戦で登頂を果たしました。未だ、その正式報告書が出せず、申し訳ないと思っているところですが、私自身が帰国後学級通信で60数回にわたって書き続けてきて、まとめたものを竹内先生がホームページ上にアップしてくださっています。私自身はホームページを持たないのですが、興味のある方はそちらをご覧ください。学級通信ではその都度、一話読みきりの形で書いてきたので、写真と一緒に少しずつお楽しみいただければ幸いです。なお、これをプリントアウトして製本したものを自分で作成し、お世話になった方々にはお配りいたしましたが、なお残部もありますので、もしご希望の方がありましたら大西までご連絡ください。ご連絡いただければ、早速お送りいたします。

信高のホームページのアドレスは、http://nagano.cool.ne.jp/shinkoac/です。

編集子のひとりごと

中国旅行中のこと。万里の長城へ行く前の晩は雨だった。そして朝方は冷え込んだ。長城に着くと、木には樹氷の花が咲き美しかった。ところが、八達嶺の頂上の入り口から左手に向かう通称男坂の北向きの斜面のレンガは、な、な、な、なんと氷っていた。二つ目の櫓まではなんとか這っていったものの、アイゼンを持っていなかった私は(あたりまえでしょう、そんなこと・・・)結局途中で登頂?をあきらめました。仕方がないので、女坂のほうに登って来ました。残念・・・。(大西 記)