不定期刊行             47  2003.3.1

中信高校山岳部かわらばん

 編集責任者 大西 浩

                           木曽高等学校 定時制

穂高よ、永遠なれ

来る3月21日春分の日に、SBC信越放送制作の標記番組が全国放映される。これは北アルプス北穂高小屋の四季を追ったスペシャル番組だ。昨年の4月の小屋明けから11月の小屋閉めまで番組スタッフは何回も山にはいり、取材を続けてきた。最近CFも流されているので、それで知った方もいることだろう。恐らくハイビジョン映像の美しい番組になるはず。担当ディレクターは堀内宏氏。彼は1993年に長野県山岳協会主催で行われた「アリューシャン列島登山自然調査隊」に一緒に遠征した仲間である。そんなご縁もあり、昨年の9月に行われた登攀のシーンの撮影には僕も一役買った。折からの秋雨前線に悩まされ、さんざんな目に合い、思うような取材ができなかった(5日間小屋に閉じ込められた)のだが、そのときのことは、すでにかわらばん第27号に書いたので、そちらを見てもらうことにして、今日はその後日談を・・・。

その後、一ヶ月と少し経った11月3日のこと。その日、昼頃堀内氏から突然僕のところに電話があり、次のような依頼があった。その依頼とは「小屋閉め風景の撮影のため、取材班が今涸沢まではいっているのだが、カメラが雪崩で流されたので、困っている。天候の回復を待って北穂高に登らせたい。もし都合がつけば、明日代替のカメラをもって涸沢にはいってくれないか。」というものだった。その日のことは記憶にあるだろうか。日本列島を襲った寒波の影響で、平地でも雪が降り、北アルプスは猛烈な吹雪で荒れ、涸沢で山スキー中の登山者が雪崩に巻き込まれ、行方不明になるという遭難があった日だ。ときは11月初旬、まさかそんなことが起こっているとはつゆ知らない僕。翌4日は振り替え休日でもあり、僕自身は、定時制勤務故「5日の午後までに帰れれば仕事上も問題がない。一晩涸沢で泊まってくればいい。」と、その場は安請け合いをし、行くつもりでいたのだ。そして、自宅で準備をしているところに今度は信毎のK記者から「涸沢で遭難事故発生」という件のニュースを伝える電話が入った。そのときの信毎の情報を聞いたときも、僕にはそれほどの大雪との認識はなかった。だから、「行くならば現場の写真を撮ってきてほしい」と頼まれ、それも安易に了解したのだった。ところが、夜になって「涸沢の積雪は想像を超える量であり、取材班は北穂入りはおろか、帰ることすらおぼつかない。そんな状況なので取材は断念した。だからカメラを入れる必要もなくなった。」との堀内氏からの連絡が入った。

そして、その後も風雪は勢いが衰えず、11月としては記録的な豪雪となり、翌日には、小屋を閉めて下山した殺生ヒュッテの従業員が槍沢で行方不明になるという事故も起こったのだった。結局北穂高小屋の従業員も小屋閉めにヘリを使用したとのことだった。たまたま11月15日に、常念小屋の経営者山田恒男氏と会ったのだが、そのときの話では、小屋閉め時(他の山小屋とほぼ同時期の11月初旬)の積雪は例年の1月と同じくらいの量で、「もう長年山に入っているがあんなのは初めての経験だ」とおっしゃっていた。この時行っていれば、僕も最低でも二日は閉じこめられることになっただろう。6日からは修学旅行の引率だったので、大顰蹙を浴びるところだった・・・。

だから、秋以降の取材は思うように進まなかったというのが本当のところなのだろう。やはりそれらの部分はいい映像が少ないのか?・・・予告のCFを見ている限りでは、それらの部分に触れたものが少ない。しかし、僕が確保している横でわずかのスタンスに立ち、カメラを回していたカメラマンがどんな絵を撮ったのか、厚いガスの中で寒さに震えてロングを構えていたカメラマンの一瞬の晴れ間を捉えた映像が一体どんな映像だったのか、などなど自分も関わっただけに興味もある。

放送は3月21日午前9時55分から。果たしてどんな番組になっているのだろうか。

編集子のひとりごと

イラク問題や北朝鮮の問題を巡ってきな臭い話題が飛び交っています。また国内的には不況から抜け出せない状況が続いています。そんな中、我が木曽高校定時制からも6人の生徒が巣立っていきました。進路が決まったもの、決まらなかったもの・・・。それぞれいろいろな困難な状況を抱えながらの本当に中身の濃い4年間でした。全日制にいたときとはまた違った感慨を持った卒業式が今年も行われました。

それはともかく、3月っていうのはどうしてこんなに忙しいのでしょう。そのせいにしてはいけないのですが、ちょっとここのところ山に行っていないのです。そのため、かわらばんも少し間が空いてしまいました。例年3月には生徒を連れて1泊2日で山スキーをしていたのですが、今年はその予定も立っていません。こんなことじゃいけませんね。自戒を込めて・・・反省。山はそろそろ山スキーには最適の季節となってきました。松田氏、小林氏あたりとは、年度末の都合をつけて「栂池から蓮華温泉で一杯」なんて話をしていたのですが・・・都合のつく方ご一緒にいかがでしょう?まだ全く具体的ではないのですがね・・・。

さて、かわらばんの第1号を発行したのが、昨年の3月10日のことでした。ほぼ月に4号ずつ発行してきた勘定になります。気まぐれではじめたのだけれど、早いものでもう一年経過しました。最初は中信地区の顧問の先生と信高山岳会の仲間にむけて自分の時々の思いを聞いてもらいたくて20人程度に送ったのでしたが、送るやいなや、早速反応をいただいて、うれしかったのを思い出します。県大会で売り込んだり、また個人的に勝手に送りつけたりして、だんだん送付先も増え、数えてみると現在はメールだけでも72人と2団体に送付しています。その他中信地区の山岳部の顧問へのファックスでの送付を加えるとおよそ100人以上の人に送っている勘定になります。先日はたまたま山岳総合センターで行われた海外セミナーでお会いした福井県の初対面の方から、「ホームページで見ています」とお声をかけていただきびっくりしました。人からは「よく続きますね」なんて言われるけれど、当の本人にとっては、ただの自己満足に過ぎないのであまり深く考えないように読み流していただければいいのです。そのうちにふっと書けなくなるかもしれませんしね。

ところで、年度末を迎え、そろそろ人事関係が確定してきたと思います。山岳部関係の異動はどんな状況でしょうか。先般も書きましたように、登山専門部の関係では、3年間登山部長をお務めいただいた大町北高の堀内校長が退職されます。高体連の各地区専門委員などは、正式には4月の総会後の決定ということになるのでしょうが、地区をまたいでの転勤など変化はないでしょうか。オープンにしていい情報などありましたらお寄せください。追々ご紹介します。(大西 記)