不定期刊行             54  2003.5.23

中信高校山岳部かわらばん

    編集責任者 大西 浩

                           木曽高等学校 定時制

木曽高校定時制アウトドア部2003年度第1回活動

20日火曜日、アウトドアクラブの第1回活動として、開田村を訪ねた。生徒7人、職員3人の計10人は10時に開田村役場に集合した。開田出身で開田をこよなく愛するM君と相談して今回のコースは決定した。出発の頃は、青空が広がり気持ちのいい天気であった。2年生2人、3年生3人、4年生が2人、うち女生徒が2人。それに顧問のK先生と僕、飛び入りでH先生も同行してくれた。今回は、初めて山登りに挑戦するという女子2人やあとの焼き肉に誘われて参加した生徒など、参加者は、予想を遙かに上回る人数となり、にぎやかな活動となった。バラエティに富む面々は、村役場のある把の沢の「稗田の碑」(開田を開いた先人を偲ぶ碑で村内に三つあるうちの一つ)を見学した後、あぜ道のわらびを採ったりしながらのどかな畑をしばらく進んだ。

 今日の散策コースは、把の沢から西野峠を越える旧飛騨街道の道を歩き、城山(1427m)まで往復してくるというもので、ゆっくり歩いても2時間ほどの行程である。いつしか道は山道となり、最近散ったばかりの桜の花びらを踏みしめながら、いにしえの旅人が辿った街道を西野峠を目指した。途中からはだいぶ傾斜も急になる。落葉松の芽吹きが柔らかい新緑となって、目に飛び込んでくる。コシアブラや遅いコゴミもまだあった。西野峠の手前には、その昔木曽義仲の側女の「おきよ」が、義仲のために水をとりに沢に下ろうとして足をすべらして落ちたのを偲んで祭られたという「おきよ地蔵」がひっそりと立っていた。城山への道はそこから分かれていた。歩くことおよそ50分。城山の頂上からは雪をいただく御岳が、雲に覆われながらもその裾野や中腹の一部を見せていた。この城山は、室町時代の狼煙台のあとということだったが、眼下に西野の集落を臨み、御岳を正面に見る好展望台だった。

 頂上について一休みしていると、空からぽつりぽつりと冷たいものが落ちてきた。なんと雹である。直径1ミリから2ミリ程度の粒が地面に落ちて跳ね、ころころころがっている。折りから雷も鳴りだした。しばらく雨止みを待ったが、弱まったり強くなったりを繰り返しながら、次第に雨足は強くなってきた。急いで退散。

 第2ラウンドは場所を移して、焼き肉大会。あらかじめ下見をしておいた西野集落の駒背グラウンドへ。ここには東屋があって、外は雨でも大丈夫。みんなで炭をおこして、コンロを囲んだ。炭火の焼き肉は、天気の悪いことなどふっとばし、すべての食べ物を食べ終わるまで延々と続いた。ホントはこのあと木曽馬の里での散策も予定していたのだけれど、時間の都合でカット。このお楽しみは次回への持ち越しとなった。

 雨の中、車上から水芭蕉をみながら、第3ラウンドの「二本木の湯」へ。鉄分で茶色く濁った温泉に浸かって、身も心もすっきり。冷えた身体もぽかぽかに温まった。今年のアウトドアは目標の一つに、「木曽路再発見」というのを織り込み、山ばかりでなく対象を少し広げて、いろんな活動を取り上げていこうと思っている。今年中に郡内すべての町村に訪れるつもりだ。平日にこんな活動ができるのも定時ならでは。でも、そのあと学校へ戻っての授業はチト辛いものがあった・・・。

筑摩高校の昼間定時制アウトドア部でも・・・

下岡さんと入れ替わりで、筑摩高校昼定にきました丸山です。昨日24日(土)、昨年下岡さんの立ち上げたアウトドア部の新入部員歓迎登山を行ってきました。場所は美ヶ原の茶臼山で、焼肉用の鉄板、コンロを持ち上げて、山頂で2時間も焼肉を堪能してきました。部員4名に還暦を迎えた顧問、河西氏と小生の6人。雄大な眺めとさわやかな天候の下、夏山はどこに行こうかなどと相談しながらの楽しい一日でした。転勤のお知らせかたがた近況でした。   丸山

山岳総合センター高校登山研修会その2 センターの教本

標記研修会の参加校は、長野吉田、大町、池田工業、美須々ヶ丘の4校。顧問は宮入、松田、菊池、白沢の4先生。大町高校では1、2年生は必ずこの研修会に参加すると言うことにしているそうだ。なぜなら・・・これは僕も全く同感なのだが・・・松田先生曰く「技術習得だけをいうのなら何もここでやらなくても、顧問だけでもできる。しかし、ここでは他校の生徒とミックスで班構成されることで、本当の交流が出来るし、何より生徒への刺激になる。また、顧問は自分の研修に専念でき、生徒は預けっぱなしでいい。だから、こんな楽なことはない。まさに一石二鳥だ。」と。で、このところずっと取り上げている顧問の研修についてだ。今年、センターでは新しい教本を作ったということは52号で述べた。宮入先生の感想に「新しい技術をどんどん取り入れた実技指導」という一文があった(かわらばん53号)が、まさにそうであった。山の技術は日々進歩している。その意味では完璧な技術というのはまだないのである。

教本の編集委員長柳澤昭夫氏の「編集にあたって」の一文は示唆に富んでいる。曰く、気象や雪崩、確保理論や運動生理学等、科学の進歩で我々は数十年前とは比較できないほどの知識を手に入れることができるようになった。一方、山登りには依然として不確実な要素も多い。論理的・科学的に考えることは明確な理論を導き、経験的・感覚的に考えることは曖昧であると否定される傾向にある。しかし経験で検証されない技術や知識はリアリティを持たない。実際山登りは知識や技術に経験を重ねて構成してゆくが、現実はそれをはるかに越えて多様で、大自然の中で我々が身につけたと思っているものなどたかがしれている。個人の資質を高めることは当然であるが、山登りにおいては、人間は大自然に翻弄される小さな存在に過ぎない。しかし、弱いが故に仲間が力をあわせ、困難を乗り越えていかねばならない。仲間とともにあることで経験の蓄積は飛躍的に増大し、感性と創造性は豊かになっていく。そうして技術はより確かなものになっていく。その意味ではこの教本、のみならずすべての技術は発展途上にある。と。(以上は要約ですので、わかりにくいかもしれません。実はこれとほとんど同じ文脈で書かれた一文が、6月号の岳人に載っています。参考にお読み下さい。)というわけで、高校生の安全登山のために、我々は何をなすべきか、改めて考えてみたい。

編集子のひとりごと

定時制の話題を2題と研修の問題をとりあげました。別件ですが、岳人6月号に丸山純一さんという野沢北の先生の写真が特集されています。小生詳しくは存知あげない方ですが、同じ県内にいる先生ということでご紹介だけいたします。(大西 記)