不定期刊行             57  2003.6.17

中信高校山岳部かわらばん

編集責任者 大西 浩

                           木曽高等学校 定時制

高体連の業務用無線機 2

すわ一大事というわけで、早速各地区の専門委員長を通じ、状況を調べると次のような事実がわかってきた。

1)7月1日ごろ電監より一斉に高体連県大会役員に同様な文書で、第52条違反の疑いがあるとの警告がなされた。

2)人により、自宅へ送付された場合と、職場へ送付された場合がある。その住所もかなりいいかげんできちんと調査した結果ではないように思われた。

3)大会当日一度も無線機にさわらなかった先生にも送付されていた。

4)無線の免許を持ちながら送付されなかった先生が2名いたが、このお二人に共通するのは高体連登山部で作成してあった無線のコール表には、前年まで記載がなかったという点である。

ここで、考えられることは「大会プログラム」ならびに高体連の作成した「コール表」が何者かの手によって電監の手に渡ったということであった。そして、大会中無線に一切触れなかった先生にも警告が届いたり、無線の免許を持っている引率顧問で当日大会で無線に触れたが、プログラムの役員表には名前のなかった先生には警告が届いていないなど、その人物は実際に無線を傍受して事実をつかんだのでないことは明白であり、かつ具体的に当該の28回県大会の実情を知らない人物であるということは予想がついた。実際に警告が送られた先生は20名を超したことが調査の結果明らかになった。

そういう状況の中、問題は二つに絞られた。一つは対電監との問題。そして今一つは、秋以降の新人戦ならびに次年度以降の県大会をどうしたらよいかということであった。とりわけ翌2000年は北信越の当番県で同じこの雨飾山で北信越大会も開催することが決まっていた。なんとかしなければならない。

とにかく、第一点目については、窓口を一本にしようということで、大会の通信担当をしていた赤羽先生(塩尻志学館)を通じ、まず下手に出て電監におわびをした上で、事実をわかる範囲で確認しよう。その後のことはその後考えようということになった。赤羽先生によれば、そのときの当局の話(電話)では、「そういう情報が寄せられたということが現にあり、事実ならば見逃せない」からとりあえず警告をしたということであった。結局それ以上やりあうことは、得策ではないとそこで話は打ち切った。

一方、第二点の方は難航した。この警告は当時の登山部長である堀内大町北高校長のところへも名指しで届き、校長としても困り果て、「直接当局に掛け合おうと思った」と後で語ってくれた。専門委員長として僕は、高体連の本部へとりあえずことのいきさつを伝えた。当時の理事長は長野高校の布施先生であった。当時は事務局固定化の問題や経費削減などが画策されている時期でもあったが、布施先生は我々のようなある意味異端(?)の競技にも温かく接して下さっていて、実はこの雨飾の県大会にもわざわざ足を運んでくれていた。開会式や生活審査の実際の現場を見て、「大西さん、山の大会っていうのは大変だね」と言って帰っていったということもあった。(以下、次号に続く)

新潟県の総体一次予選、合同合宿について(新潟吉田先生)

先の「かわらばん」で触れてあった新潟での総体一次予選会等について説明させていただきます。総体一次予選かつて(35年ほど前)は「春山技術講習会」とい名前で4月中旬に二泊三日で開催していました。ところが、「講習会だと大会ではない」ということで、高体連からの運営費や生徒会からの派遣費が出なくなるということから、名前を「総体一次予選」としました。この時、「名前の変更だけで内容は変えないこと、県総体の出場前提にしたりしないこと」などが内部的に確認されました。現在はそれを踏襲しながら、HPで紹介してあるような内容の雪上講習を行っています。

3月下旬・4月上旬の春山合宿を実施しているところはその復習と技術交流、合宿できなかったところは雪上技術習得といったように位置づけて、さらには残雪季での県総体の安全確保と指導内容の確認という面も持ち合わせています。運営は全県を2ブロックに分けて開催としていますが、今年は巻機山で合同開催としました。これは技術内容の全県的な確認という意味からも求められているものです。したがって、この大会では一切、審査はしていません。年々の技量低下の課題もあり、雪上歩行や雪上幕営をともなう新潟の県総体の安全な運営や事故防止の面から、県総体に出場する学校はぜひ参加するようにと呼びかけ、新潟高体連としては力を入れている行事の一つでもあります。

「合同合宿」はもともと各学校で実施している春山合宿がだんだんと実施校が少なくなってきたことから、山小屋のある巻機山に声を掛け合って集まってくれば実施しやすくなるのではないかということから、相互に日程を交換しながら集まってきてお互いにフォローしあっているものです。そしてできれば一番多く集まっている日の夜を「集合日」として、その年に退職される人の慰労会をやってきました。したがって公的な行事ではありませんが、なにかと不安が広がっている残雪季の合宿を継続・拡大させるための有効な方法ではないかと考えています。近年、顧問自身の登山活動が少なくなっているようですし、かつてのような「登山を学ぶ」山岳会も少なくなっていることから、お互いの合宿にのりあったりして技術交流したり、顧問自身の山行回数を増やす必要があるのではないかということで、最近は私のところ(三条工業)の山行予定を公開して希望する学校や顧問の同行を求めていくようにしています。この実績はまだボチボチですが・・・。なんといっても顧問の元気がないと山岳部は持ちませんからね。ということで、説明とさせていただきます。(以上、新潟県三条工業吉田光二先生よりのメールです)

編集子のひとりごと

新潟と長野の違いは最初からあったようだ。長野には山岳総合センターという公の機関があったこと。よく言われるように高体連登山専門部が全国一遅れて誕生したという事情。信高山岳会という任意団体の存在。これらは全国的に見ても、かなり特殊な事情だと思われる。しかし、これはそれぞれ長野ならではの誇るべき遺産だと思う。

さて、日曜日に山へ入ったという松田大氏から「今年は残雪が多い」とメールをもらった。曰く「北アルプスでは二週間以上は雪解けが遅れている。こんな残雪の量は記憶が間違っていなければ、平成八年の残雪以来と思われる。あの時は山菜採りを海の日近くまで楽しめた。ことしもそうだろうか??今年はまだまだユキザサはこれからです。皆さんご期待あれ!」と。そういえばそろそろユキザサの季節ですねえ。(大西 記)