不定期刊行             59  2003.7.2

中信高校山岳部かわらばん

    編集責任者 大西 浩

                           木曽高等学校 定時制

土石流の白馬雪渓 速報 (白馬 小林國弘先生)

29日(日)と30日(月)、白馬高校集団登山の下見で、白馬高校のもう一人の先生と、白馬岳から白馬鑓ヶ岳へ行ってきました。新聞やTVニュースでご承知の、大雪渓土石流、つぶさに見てきました。

 初日は、白馬岳に登るだけと、白馬高校をゆっくり8:20分に出発。一緒に行く先生が、「今朝の新聞に白馬尻が、土石流で流されたとか、新聞に出ていた。でも登山道は大丈夫そうだから、行ってみよう。」 と話しつつ、猿倉へ出発。

白馬尻に着いて見ると、馬尻の小屋2棟あるうち、雪渓側の食堂やお土産売り場のある棟は、建物の半分は、約1メートルの厚さに土砂が入っていた。勿論壁もサッシもない。土砂と言っても、見れば雪に砂を混ぜたような物。固いような、さくさくしたような、不思議な感触だ。雪渓上部に目を転ずると、白い雪渓上に灰色の土石流の跡が広がっていた。小屋の人の話では、踏み跡やべにがらの跡を辿って行けば大丈夫、とのことなので、雪渓に足を踏み入れた。雪渓右岸寄りに付けられた踏み跡を辿るが、そこは全くの土石流の跡の中。幅30〜40mの灰色の帯だ。

10分も歩かぬうちに、雪渓の、ど真ん中が大きくえぐれて、と言うより、どっかり穴が開いていた。覗き込むのも恐い位の深さだ。幅は20〜30mもあろうか。更に、その周辺およびやや上部には、いくつもの細いクレバスが走っていた。そしてそのクレバスから、土石流の跡は始まっていた。つまり、この土石流は、雪渓の下を流れて来たのだが、この辺りでせき止められたか詰まったか、で、行き場が無くなり、雪渓を割って噴出したのだ。クレバスは、長さはあるものの、幅はさして無いので、軽くまたげられる。でも、僅かに開く、数十cmから見える深さは、底が見えず、無気味さは十分ある。いずれにせよ、こういう土石流の現れ方は、初めて見た。自然とは不思議なものだ。

「へえー! すごいもんだ!」を何度言ったか。何度見ても見飽きないが、仕方なく先に足を進めた。大雪渓上部では、人間大や一尺ぐらいの落石が数回、行く手を横切った。ネブカ平はどこかな、と言うほどに残雪に覆われ、小雪渓もしっかり雪のトラバース。この残雪の多さのためか、今日の天候の悪さのためか、大雪渓を歩く人影は見えない。1500人収容の白馬館のその日の宿泊客は、我々をいれて、8人。寒さで震える夜だった。

2日目、ウルップソウが妙に目立つ稜線を、杓子岳から白馬鑓ヶ岳へ向かう。白馬鑓ヶ岳から鑓温泉経由の道も、残雪が多く、おいで原は全て雪。グリセードで快適に滑る。鎖場から下も残雪で所々登山道は隠れ、藪を伝って下ることも数回。鑓温泉は、土台が雪崩にやられたとかで、全く基礎から建設中。鑓温泉から大日方のコルまでの間も道が崩れ、かなり荒れた状態。しかし、大日方のコルの池では、木からぶら下がるモリアオガエルの卵を観察できたし、そこから少し下った水芭蕉の湿地(?)ではサンショウウオの卵を観察できた。

コースタイム

1日目 猿倉(8:45)――馬尻(9:45)――ネブカ平(12:00)――白馬館(14:00)

2日目 白馬館(8:30)――白馬鑓ヶ岳(10:30)――鑓温泉(12:00)――猿倉(15:30)

下りは少々時間が掛かりすぎではないか? と思うかもしれないけれど、この時期、ザックの重量は標高に比例して増加するのは、仕方がないことですよね。と言うことです。

編者注)下りはさぞかし重かったことでしょう。ねっ、大さん!(知る人ぞ知るかわらばん57号)

高体連の業務用無線機 4

県高体連に対しては、9月の理事会の場で、無線機がなければどうにも大会の運営に支障があることを訴えた。しかし、いくら布施先生(当時高体連理事長)が登山に理解があるといっても、最初から業務用無線がすんなりといったわけではない。当時の県高体連は事務局の長野高校への固定化の話と、経費削減が中心議題で、異端の山の専門委員長が訴える窮状など全く歯牙にもかけてもらえなかった。時は過ぎていくが、一向に事態は改善しない。11月、恒例の北信越高体連登山部の連絡協議会が、翌年の北信越の開催地小谷村山田旅館で開かれた。ここでは次年度の北信越大会開催が非常に危惧されることを提起したが、みんな頭を抱えてしまうばかりで、いい案は生まれなかった。

当時のファイルを繰ってみると、12月15日付けで専門委員長の僕が高体連に提出した「登山専門部反省報告書」には、県大会についてこの段階で次のような記載がある。

運営について・・・安全確保のためのアマチュア無線の使用につき、当局より指導があり、来年度以降の大会運営について非常に困難が予想される。

経費について・・・アマチュア無線に変わる何らかの通信手段を予算付けしていただきたい。

年があけて2月になってもまだ目処は何も立っていなかった。僕の任期は年度末で終わる。次期委員長の加藤先生とは何度も何度も連絡をとりあった。(以下 次号)

経ヶ岳登山道整備速報

今年で12年目を迎えた信高山岳会の経ヶ岳登山道整備。これまでの我々及び地元の皆さんの実績の積み重ねが認められた結果だろう。今年はじめて南信森林管理署(旧諏訪営林署)から予算がつき、大洞林道の整備と経ヶ岳登山道(大洞林道終点と黒沢出会いより9合目分岐まで)の整備を森林組合で実施してくれる事になった。これにより我々が予定していた整備作業の負担が今年は「超」軽減された。具体的には上部のササ刈り作業はほとんどなくなり、三級ノ滝から大洞林道出会いまでの登山道補修が主な作業となった。28日に行われた第1回目の整備作業には、信高から勝野、筒井(木曽)、大西(志学館)、浜(向陽)、川島(箕工)、大西(木曽)の6名が参加。地元からの5人と合わせて11名で沢沿いのコースの整備を行なった。作業内容は主に橋の架け替えと補修。

この登山道の復活作業の最初期の作業場所だけに懐かしさもひとしお。この事業の言い出しっぺの勝野さんも久しぶりに参加し、また信高新加入の大西さんも参加して、雨の中ではあったけれど、充実した作業になった。7月6日に2回目の作業、21日には開山祭が行われる。興味のある方は箕輪工業定時制の川島先生までお問い合わせ下さい。

編集子のひとりごと

地道に長く続けていることが評価された経ヶ岳登山道。沢歩き、尾根歩き、バラエティーに富んだ楽しいコースです。是非一度歩いて見てください。白馬大雪渓、登山道は無事のようですが、自然の猛威の前には人間など虫けらのようなもの。(大西 記)