不定期刊行             68号  2003.9.15

中信高校山岳部かわらばん

    編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

かわらばん66号への反響

 かわらばん66号にはいつも以上に反響がありました。その一部を紹介します。

その1  ご無沙汰です。ちょっと古いですが、全日ご苦労様でした。それにしても、かわらばん66号の内容はかなり辛口でしたね。とは云う物の、参加者が中信に限定とは知りませんでした。どうも、センターの高校向け講習会はどうしようもない状態になって居るみたいですね。(県内現役顧問)

その2  かわらばん66号を読ませていただきました。本校でも誘ってみてはいるのですが、平日に当たるものは、公欠が認められず、生徒は嫌がります。本校では運動部関係は大会と選抜チームの練習が公欠になり、希望による研修は公欠になりません。出席日数が推薦に関係したり、休みの多い生徒は単位認定にも影響し、生徒にとっては欠席はしたくないようです。(県内現役顧問)

その3  参加顧問、職員のうち、村主先生は文化祭の為多忙だったのでしょう。二日目来る予定が来ませんでした。代わりに穂高商業高校の酒井先生が見えて、指導してくださいました。と、付け加えておいてください。宜しく。(参加した県内現役顧問)

その4  「かわらばん」いつも楽しみにしています。忙しいだろうによく打ちますねえ、感嘆ものです。今回の66号、楽しかった!『苦言』のせいだろうと思いますが・・・ 。このくらいの苦言はいつも必要なのかもしれません。とにかく、傍の者にはこういう論調が楽しいです。(退職された元県内山岳部顧問)

その5  「かわらばん」ありがとうございます。クライミング講習会、結局生徒の都合がつかず参加できませんでした。(県内現役顧問)

その6  相変わらず山に山にと飛び歩いておられる?のですね。クライミング講習会 この記事を見た私めはとても羨ましく思いました。なんか共感といいたい気持ちです。昨日もクライミングセンターへ行って思った事と同じ!本県の現実はよく御存知でしょうが・・・。××クライミングセンターを近くに持ちながら長野さんの足元にも及ばないと悔しがったのです。本県はもっとレベルが低いです。例年していたクライミング講習会は今年度からなくなってしまいました。高体連登山部は山を歩かないし何を目標にしているのでしょうか?インターハイの現状は?私はこんな大きなことを言えるものではないのですが。しかしクライミング講習会14名でもとても素晴らしい!少しずつ底辺を広げようではありませんか。一人でも良いから理解してもらえたら・・。(他県の現役顧問)

誤解を恐れずにいうならば、やはり一番は顧問の情熱かなと思う。66号では随分乱暴な書き方をしたのですが、多くの人がしっかり読んでくれているのだと感謝、感謝です。みんなでセンター講習会を育てていきたいものです。また、かわらばんにもご叱正をいただき、みなさんの意見交換の場にできれば少しは山岳部の活性化にも役立つのかなと思います。この件については、まだご意見お聞かせ下さい。今後ともよろしく。

百名山ブームと遭難一歩手前の現実

13、14日は信高山岳会の例会山行。6人(松田、重田、舟田、久根、大西(志学館)、大西)で戸隠連山を縦走した。初日はP1尾根を登り、西岳、本院岳を越え、八方睨を経て一不動まで。翌14日は高妻山、乙妻山をピストンした。ここで見た危険一杯の登山者たち。ニュースになっていないから、最悪の事態にはなっていなかったのだろうが、まさに遭難一歩手前の風景がそこここにあった。

事例その1 見てくれだけでは判断できないが、初日の本院岳山頂では本当にこのコースを行って大丈夫だろうか?というようなスニーカー姿、軽装の単独行者とすれ違った。S社の地図を開いた彼は僕らに道を尋ねてきたが、ここにくるまでに随分迷ったと言っていた。どう見ても、一般縦走路ではなく、藪こぎを強いられるこのコースを下るに足るルートファインディングの力と、鎖場と悪場の連続するP1尾根を下る技術があるようには見えなかったのだが・・・彼は無事に下れたのだろうか。

事例その2 濡れて滑りやすい悪路を藪こぎをしながら、さんざん苦労して八方睨に到着すると、奥社から登ってきた登山者が何人か休んでいた。しかしそのうちの中高年の4人パーティは先頭と最後尾の到着時刻は10分以上あいていた。彼らは頂上で、蟻の戸渡りなど悪場の怖かったことを反芻するかのように話していたが、聞いているとパーティという意識はないし、リーダーも不在。その先は大休止をした僕らに先行し、僕らと同じコースを辿ったが、僕らが追いつくと、そこでもパーティはばらけ、一不動に着いた時も先頭と最後尾では20分以上は時間差があった。よくある中高年のパーティの典型の烏合の衆だが、これが非常にまずいパターンだということに気づいていない。

事例その3 宿泊する予定の一不動の避難小屋はすでに満杯。やむを得ず、僕らはツェルトを出した。夕食の準備をしている4時半ごろ、疲労困憊した中年夫婦が高妻から下りてきた。聞けば、日帰りの予定で来たので全くビバークへの備えはないという。着るものもカッパだけで防寒着の備えもない。もちろん食糧も。ご主人は下りたいとの意向を示していたが、奥様の方がもう下りで足が痛くなったからと、体力以上に気力を喪失していた。「小屋の土間で持っているビニールを敷いて寝る」と座り込んでしまい、てこでも動かない。時間を見て、居合わせた人は僕らも含め、下山を勧めたが、結局小屋に泊ることになった。僕らはマット代わりにザックを供出し、別の登山者は食糧や温かい飲み物を分けていた。たまたま気温が高かったから、また善意があったから、事なきを得たが・・・。9月の山である。一歩間違えば大事になるところであった。

事例その4 百名山の高妻山にはツァー登山が引きも切らず押し寄せる。頂上直下の胸つきの登りは大渋滞。すれ違いざま見ていると、こちらの方がはらはらするような足さばきであり手さばきである。ちょっとでも躓いたり滑ったら?・・・。現に頂上直下ではすれ違いで転倒したご婦人が縦走路から外れそうになったのを目撃した。

編集子のひとりごと

生徒を引率して山を歩いている時、何か事故があったらきちんと対処できるだろうか?遭難一歩手前の登山者と会うたび、そんなことを考えながら戸隠を歩いた。携帯が普及し安易な遭難救助要請が増えている現状とも合わせ、技術の向上とセルフレスキューという考え方が必要だと思った。このことについては、次号に回そう。(大西 記)