不定期刊行             77号  2003.12.14

中信高校山岳部かわらばん

    編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

ネパール山岳協会の訪問団と大町山岳博物館をじっくり見ました

ネパール山岳協会の一行が10日から11日に長野にやってきた。メンバーは同会会長のアン・ツェリン氏、事務局長のブミ・ラマ氏、通訳のサンタ・ラマ氏の3人。僕は未だネパールには行ったことがない。そして、彼らとも初対面であった。今回、彼らが来日した目的の一つに大町の山岳博物館の視察というものがあったが、そのついでに長山協も尋ねてくれたというわけだ。僕は長山協の事務局長をしている関係で、ご案内することになった次第。

2月5日にポカラに国際山岳博物館がオープンするが、それに向けてこの夏ネパールから、彼らにとっては部下にあたる一人の学芸員が、大町山岳博物館に様々な研修をしに来ていた。そのお礼をかねての大町訪問だったわけである。今回やってきたのは文字通りネパール山岳協会のトップであるが、その彼らをして大町の展示は「はじめて目が開いたとき、初めて耳が聞こえたときの感動」と言わしめた。柳澤館長の案内のもと、昼食を摂るのもわすれ、約2時間半、隅から隅までじっくりと見学した。その様子はちょうどその日、別の取材でやってきた信毎の記者が10日付けの夕刊(11日付けの朝刊)で記事にしてくれたので、目にした方もいるかもしれない。何度も人を案内してはいるが、僕自身実は恥ずかしながら、あんなに山岳博物館をまじまじとじっくり見学したのは初めてのことだった。じっくり見るとそこには様々な工夫がある。たとえば、一番新しいタヌキの剥製は鼻の部分を触ると柔らかい。なぜならそれは目の不自由な人が触ったときのことを考えているからなのだそうだ。また同じ剥製でも、ただ同じポーズのものを並べるのではなく、作るときに注文をして、たとえば獲物を狙う姿を再現し、その前には狙われた動物を配する。それにより、自然の姿が再現されるわけだ。また、付属動物園で飼育している雷鳥の羽を集め、それを月ごとに並べると当然だが、それは色も量も面白いグラフができあがる。そこには何の文字説明もなされていないが、多分、これを見ると子どもたちは想像力、思考力を働かせ、その理由を察することだろう。

ネパールの彼らは、オープン間近の博物館を念頭に置きながら見ているので、それぞれのセクションごとに鋭い視線で展示を見ては、鋭い質問で展示の意図を柳澤館長に尋ねている。そのたび、ネパール通でもある館長の受けと説明は的確であり、同時にネパールでの展示に対する新しい提案なども織り込みながらの話となって、それを聞いているのも楽しかった。

その後、山岳総合センターを尋ね、そこでは研修について意見交換をした。ネパールではガイド資格を持ち、登山協会に登録してあるメンバーは今6000人とか。しかし、そのガイドの資質をさらに向上させるための指導員の育成や、高所レスキューにこれからは力を入れていきたいとのことで、今は特にフランス、スロベニア、オーストリアなどとの技術交流が盛んだが、今後は長野とも手を携えてできることをさぐりたいとのことだった。センターの所報を見て、スキーそりによる搬送に随分興味を示していたのが印象的だった。

ネパール登山協会スタッフとの一夜

大町でたっぷり研修した後は、長山協の四役とネパール山岳協会との間で懇談をもった。ネパール側は、長山協と友好関係を構築し、「姉妹山岳協会」として、今後手を携えていろいろなことをしていきたいというプランをもっているとのことである。それにしても、登山に関して言えば、セミプロで国家の看板を背負っているともいってよいネパール山岳協会からのあまりにも唐突な話に、僕は言うに及ばず、長山協側は会長、副会長のだれもがちょっとびっくりし、たじろいだのは事実である。日山協傘下の一地方団体である長野県山岳協会、しかもぼくらはアマチュアの団体。そんな僕らは同じ「山岳協会」と言ってもその性質、規模、内容などあらゆる面で全く「格」が違う。

かつて1987年に長山協はチベット登山協会と姉妹協定を結んだ経緯がある。しかし、その時は「日中合同登山技術研修会」の長い友誼の積み重ねの上に立ったものでもあり、チベットはネパール同様独立したセミプロといえど、一応中国登山協会傘下の地方の協会であるという関係もあった。

それにひきかえ、今回のネパール側の申し出は、光栄ではあるものの、それを通り越して、先方の意図をはかりかねた。実際、今の長山協に、金銭的にも人的にも果たしてそれだけの力量があるのか、あるいはまたそんな余裕があるのか、様々な思惑が飛び交い、いろんな憶測の中での会議となった。そうはいっても曲がりなりにも国際会議である。会長から頼まれて、その場の司会をすることになった私は、最初は不安で心臓バクバクであった(笑)。しかし、話をしていくうちに次第にネパール側の意図も見えてきた。日本アルプスをもつ長野県、カトマンズと姉妹都市の松本市、ポカラと姉妹都市の駒ヶ根市、僕らが考えている以上にネパールのスタッフは長山協や長野に対して好感を抱いてくれているのを感じた。そしてその長野とフレンドシップをもち、それをはぐくむ中で、合同でできることを探っていきたい。そんな申し出だった。

「とりあえずその考えをよく聞き、長山協という組織としてこれにどう答えるか、それについての回答は組織決定をするまで待ってほしい。」今回の話はそこまでだったが、私個人にとっては有意義な会議だった。近々行なわれる長山協の理事会では、今回のいきさつも含め、この話をとりあげる。「友好姉妹協定」については、まだ全く白紙の状態で、行く行くどんな話になっていくかはわからないが、今後に向けて、何ができるか?ネパールからの提案をもとに少し夢が持てる一日だった。

夜は、エベレスト登頂者で武蔵工大二高の中島俊弥先生も招き、宴会は盛り上がった。今年はエベレストの初登頂から50周年ということで、ネパールでは登頂者全員に記念メダルを作り、5月にカトマンズでその授与式を行なった。彼らの今回の来日は、その時ネパールを訪れることのできなかった人たちに、この記念メダルを手渡すという目的もあったのだが、その一人中島さんにはアン・ツェリン会長の手から直接メダルが渡された。(この模様も12日付けの信毎に掲載されたのでそちらを参照。)

編集子のひとりごと

ネパールの一行の来た前日、定時制アウトドアクラブの生徒と大桑村の阿寺渓谷で今年最後の活動をした。年が明けたら、スキーを考えている。そんなわけで、待ちこがれた雪がやっと来た。16日には中信安全登山研究会、冬山計画を持ち寄ろう。(大西 記)