不定期刊行             86号  2004.2.26

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

セリッククラムムスターグ報告書完成祝賀会(エッセンスのみ)

 2月20日に標記の会が行なわれた。詳細の報告は信高山岳会の会報ならびにHPにアップされると思うので、概略だけを報告しよう。来賓に信毎松本本社報道部長の矢崎氏、長山協から顧問の田村氏、会長の松田氏、理事の須藤、西田両氏、2000年隊のドクター清水氏、それに報告書の作成にご尽力頂いた西尾氏という方々をお招きした。信高山岳会も顧問の伊澤氏、会長の松田氏以下、渡会、高橋、竹内、久根、浅川、重田、沼田、浜、福澤、村田の12氏が出席。登山隊からは宮本、下岡、田中、僕の4隊員がそろって出席し、総勢23名の賑やかな会になった。会場では、この日に合わせて作成されたもう一つの報告書「ウラ版セリッククラムムスターグ」(まじめなウラ版?)も参加者に贈呈され、ビデオ鑑賞(もちろん下岡さんの作成のです!)、写真パネルの贈呈などもりだくさんの企画。さらには、この秋にドクターが隊長で行なうガンシカ峰(青海省祁連山脈玲瓏嶺主峰)登山の概要なども発表された。宴が果て、常念坊に静寂が訪れたのは、信高?じゃなかった深更を回り、すでに明け方だった。飲んだ酒の量は若旦那S氏の非公式発表では一斗だとか・・・。

もう一丁!焼岳2連発。早速大西英樹氏から届きました。

2月21日(土)晴れ   単独行。 先週、対岸の霞沢岳から焼岳を偵察していて、さらに加々美さんのレポートを読み、21日は天気が良いとの予報が出ていたので、これは行くしかないと思い、焼岳スキー山行を決行した。

8:05にスキーをしょって出発する。2週連続の釜トンネルを抜け、すぐに梓川の河原に降りる。河原への降口は旧釜トンネルの洞門を20mほど入った所である。河原に降りてシールを貼り、今にも崩れそうなスノーブリッジを渡って右岸に出る。右岸をしばらく川に沿って登ると下堀沢出会いに着く。時間は9:00頃であった。ここまで今日入ったと思われるスキーのトレースがついていた。ここにトレースがついていれば、焼岳以外に行くところはないので、一人ラッセルの心配は無くなった。ラッキーである。最近実感しているのだが、メジャーな山に、単独で山スキーに行くときは、出発時間は遅いほうが良い。ずるいことではあるが、楽に登れるのである。下堀沢出合から、すぐに左側(南側)の尾根に取り付く。登り口には赤布が下がっていてすぐに分かる。この尾根の道々に赤布が下がっていて、追っていけばまず間違えることはない。そのトレースを追いかけ急な斜面を登っていく。傾斜がきつく、細かくキックステップが切ってある。トレースの表面が固まっているので幾度と無く滑りながらも、高度を上げていく。少しくらい滑ろうとも、先週の地獄ラッセルよりは遙かにましである。10:00頃、標高1800mあたりにつく。やっと尾根上に出て傾斜が緩くなり、ここで一休みする。春のような暖かさのためであろうか、対岸の下堀沢左岸上部から、ひっきりなしに落石の音が聞こえる。下りは沢の中を滑降する予定なので、少し不安である。10分ほどの休憩の後、再び登り始める。標高1900mから上はリンドウ平と呼ばれている、広く、傾斜も緩い尾根になる。テントを張るには最適の場所で、南に乗鞍、北に穂高が望め、眺めも良い。標高2000mまで広い尾根が続く。このあたりから、下堀沢が前方でカール上になってコルに続いているのが見える。先行の3人パーティーがその末端にいた。2050m付近から、左手の尾根が明瞭になってきていて、トラバース気味にまっすぐカールを目指すか、尾根に登るかの分岐になっている。トレースも二つに分かれていた。どうせなら、焼岳南峰に登りたかったので左側の尾根に行くトレースを選ぶ。尾根に登り切ると4人パーティーが休んでいて、その横を通り過ぎるとそこから先は、トレースはなかった。標高2300mからは、尾根上を行かず、下堀沢側をトラバースしながら南峰取り付きを目指す。雪面はクラストしていて堅く、スリップしないようにしっかり切って歩く。さっき休んでから1時間半たち、いいかげん腹も減っていたのだが、風も強く、気が抜けない場所が続いているので、山頂まで我慢する。カールを登っていたパーティーはコルではなく、自分の前方の南峰南斜面を登っていた。南峰直下の南斜面は傾斜が急で、風が吹き付けるため雪が堅く、シールだけでは登れない。先行者もスキーを脱いで登っていたので、自分も適当なところでスキーを脱ぎ、壺足で最後の急斜面を登る。そして12:00山頂に到着。すでに上にいたパーティーに「待っていました。シャッターを押してください。」とお願いされ、槍穂をバックに写真を撮った。焼岳の山頂は大変眺めが良く、乗鞍・穂高は当然のこと、真っ白な笠ヶ岳、先週登るはずであった霞沢岳、白山も近くに見える。初めて焼岳に登ったが、こんなに良い山だとは思わなかった。しっかり偵察に行かなかったが、コルから南峰に登るのは少し難しい気がした。腹ごしらえをし、シールをはがして12:20に山頂から滑降を開始する。しばらくは登ってきた南面を滑り、下堀沢に出られる所から下堀沢に滑り込む。小さなデブリがたくさんあり、雪が腐っていて重く快適ではない。沢の半ばまで降りるもやはり雪が重く疲れる。カール上の場所が終わる所で先ほどの3人が休んでいたので、こっちもたまらず、そこで休むことにする。2人はテレマークで1人は山スキー。山スキーの人は56歳で、この重い雪でもクイックなターンをスイスイとするような、大変スキーのうまい人だった。その後4人で下堀沢を降りる。そこからすぐに、沢は急で狭くなる。雪が良ければなんということはないのだが、雪が重く、サイドから落ちてきた沢山のデブリがあり、滑りにくい。スピードが出ると小デブリを避けられずに突っ込んで転ける。沢が広くなってくると左右の崖も高くなり、落石も多い。幸いにもこの頃から雲が出て、若干気温が下がったせいか、落ちてくる落石は見なくなった。はじめの堰堤は完全に雪に埋もれていて問題なく通過、二つ目の堰堤も右側をちょっと巻くだけで通過できた。3つ目も両端どちらでも通れ、問題はない。あっという間に出合に着く。1:20に梓川を渡って釜トンネルに入り、2:00には車に着いた。

 焼岳南峰は、先週登った霞沢岳(といっても1750mまで)より傾斜も緩く、ザイルを使うような場所もない。雪山の入門には良い所かもしれない。ただし1900付近は尾根が広いので悪天候下では注意が必要である。

編集子のひとりごと

祝賀会が終わった21日朝、渡会、沼田の両氏が94年の第6回長野県高校生訪中登山隊(太姑娘山)の10年ぶりの同窓会のため、会場の北志賀竜王へ向かった。訪中隊はこの第6回を最後に一時中断。カシタシも一区切り。次なる夢はいずこ?(大西 記)