不定期刊行             87号  2004.3.5

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

改めて問う、今長野県高校山岳部の実情は?

 先日、「岳人」誌から、県内の高校山岳部の活動に関する原稿を依頼されたので、それ

を記述するための基礎資料として、県の高体連のつかんでいる長野県内の山岳部の実情を教えて頂いた。下の資料はそれを転載させてもらったものである。

こ こに上がっているクラブは高体連に正規に加盟している山岳部(ワンゲル、アウトドア部)である。これ以外にも高体連に登録はしていないが、活動を続けてい るというクラブが若干あるが、それら私のつかんでいるものをこれに合わせても、公私立合計県内108校のうちクラブの存在している学校は三分の一にも満た ない。しかも各校の部員数が少ない。往事の全盛ぶりとくらべてその凋落ぶりがわかろうというものだ。かつては県内のほとんどの学校に山岳部があったともい うが・・・。

手 元に1984年度の長野県高体連登山部一覧というものがある。これは以前、渡会先生から譲って頂いたものだが、わら半紙に手刷りで印刷されたもので、ここ には県内の高校の山岳部の部員数、顧問名、主な活動、問題点などが記載されている。ちょうど20年前のこの資料によれば、この当時、北信に18校、東信に 10校、南信に19校、中信に16校、県内には合計63校に山岳関係のクラブがあったことが記録されている。北信と南信の減少が顕著である。

我 が中信には、現在も10の学校が名前を連ねている。この時代、 一度なくなってしまった部を復活させるのは並大抵のことではない。せめて今ある部を少しでも活性化させながら、山岳部の灯をともし続けることが必要だと思 われる。そしてそのためには顧問が夢と熱意をもって山岳部の活動をフォローしていくことが必要だろう。(具体的な中身は次号以後に)

穂苅三寿雄作品展 「北アルプス黎明」へのお誘い

 標記写真展が下記により開催される。故穂苅三寿雄氏はご存じのように槍ヶ岳山荘、槍沢ロッジの創設者である。現在の経営者康治氏は三寿雄氏の孫にあたり、前経営者の貞雄氏も山岳写真家として名高い。

一 昨年信濃毎日新聞社から「北アルプス黎明――穂苅三寿雄ガラス乾板写真集」という同タイトルの写真集が発売されている。この写真集には大正末から昭和戦前 期までの約100点が掲載されている。大正14年の焼岳噴火の写真や、迫力のある槍ヶ岳のモノクロ写真は、カラー写真とはまた違った魅力がある。作品展で は昭和初期の槍穂高や上高地などのモノクロ写真が飾られるはずだ。行ってみませんか?

  期 間:2004年3月10日(水)から3月14日(日)

入場 無料

 
  場 所:松本市美術館多目的ホール

  主 催:槍ヶ岳山荘・槍沢ロッジ

中信高校山岳部年報バックナンバーから その1

 中信高校山 岳部年報が今年で27号を迎えたことはすでに何度もご紹介させていただいたが、先日1号から20号までの編集にあたられた山崎佐喜治先生からバックナン バーをすべて譲って頂いた。発刊当時は「中信高体連登山部 年報」というタイトルだった。名称の変更については一悶着あったが、それはまたそのうち明らか にしたい・・・。

私 事ながら、第1号の発刊された1977年(昭和52年)という年は私が高校2年のときである。母校の山岳部のページには、懐かしい同級生の名前が見られ る。この記念すべき第1号には、中信地区としては初めての新人大会が柳澤昭夫、平林克敏(エベレスト登頂者)の両先生を講師として招いて行なわれたという 記述や、高体連登山部の創設に寄与された故丸山彰先生の文などが収められている。当時の専門委員長は角間積善氏、専門委員は青山誠、西窪敬、山崎佐喜治、 綿引安人、渡会意士の各先生である。

編 集後記に山崎先生は次のように記述されている。「51総体も終わったので従来やっていた中信高体連の講習会を復活させようということになり、併せて年報も 出そうということでやっと創刊にこぎつけた。各校から割合スムーズに原稿が集まり、皆さんの中にも期待があったのだとホッとした次第。丸山彰先生の御寄稿 にもあるように中信高体連の歴史はずっと以前からであるが、形として残るのは今号からで意義は深いと思う。記録を残すことは山をやるものにとっても大切な ことで、若い高校生諸君にとっては後輩への何よりの遺産相続であろう。皆が足でかせいだ貴重なデーターの集積がこの年報であり、これ一冊をもらって卒業す る3年生諸君にとっても、本号は貴いものになるだろう。登山のスピリットは〈探検と創造〉だとすると、お金ですべてが買えるような風潮の昨今で、登山こそ まさに人間の生の根源にふれた活動であり、忘れかけた現代人のエスプリを回復する最も大切なスポーツであると思うのだが諸君や如何?ともあれ、この小冊子 が永く続けられることを祈る(編集子 山崎佐喜治)」

編集子のひとりごと

草創期の中信高体連登山部年報は、今読んでもうーんと唸らせる文が多い。山崎先生の言われるように後輩への何よりの遺産相続である。我々の共有財産である。(大西 記)