不定期刊行             89号  2004.3.19

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

岳人4月号記事補遺・・・大町高校と鍬ノ峰のその後

下の記事は、大町高の松田氏から原稿をもらったまま暫く温めていた。それというのも、「岳人」の記事を皆さんに読んでもらってからならば、中信以外の鍬ノ峰開拓について知らない人にも説明しなくていいと思ったからだ。「岳人」におおよそのことは書いたが、さらに詳しい開拓史?は、2001年版の「中信高校山岳部年報」に載せられている。また2002年版年報には中日新聞の記事のコピーも載せられているので、このことそのものは、中信地区の人間には広く知られている事業ではあるのだ。中信では、かつて矢口先生率いる池田工業の山岳部が有明山の開拓をしたのも思い出される。これはまたどこかでとりあげたいが・・・。

登山道の開拓後も大町高では四季折々訪れているのだが、以下の記事は、厳冬期の2月の同校の登頂記だ。我々信高山岳会もここ十年来、中央アルプス経ヶ岳の登山道に取り組んできたが、自分の切り開いた道には愛着がある。登山道の開拓作業は、開いてハイ終わりというモノでもない。大町高山岳部にとっては、鍬ノ峰は生徒一人一人にとって心のよりどころの山の一つになるだろう。

登場人物の一人一人を知っている僕にはとても楽しめる内容だが(笑い)、それ以外の方にも楽しんで頂けるのでは・・・? と、前置きはこのくらいにして本文をドーゾ。

鍬ノ峰仏崎コース厳冬期初登頂

                              大町高校 山岳部

 タイトルほど大げさではないが、去る2/11(建国記念日)無風快晴の中、鍬ノ峰に登ってきました。

 メンバー:平林、曽根原(2年)、小林(1年)  引率:松田、塩川

昨年暮れの天皇誕生日の折りには、平林の大幅遅刻で、北峰で時間切れ断念。今回はそのリベンジバージョン。前回の反省により、仏崎集合を8時とした。今回は遅刻もなく全員が時間通り集合。身支度を調え8時半前に出発。天候は全くの無風状態で、空には雲の姿が認められない。(要は完全な無風快晴)積雪は仏崎で数10p強か。仏崎岩場上部までのコースは南東向き斜面のため積雪も少なく、強い日差しを浴び汗ばむくらいだ。尾根が西に屈曲する辺りから雪も徐々に深くなり、ゴジラの背中と名付けた急登では膝上のラッセルとなる。1190mの広場で中休止。此処まで生徒3人が交代でラッセルを頑張り、登山口からの所要時間1時間半弱と、無雪期の5割増し程度と快調であった。

コースは此処からほぼ南方向となる。此処でワカンを着装するが、部室に忘れたドジ平林デーブと端から必要性に気が付かなかった塩川Tは坪足のまま。(之がデーブにとっては悲劇の始まり)ワカンだと時として踏み抜く事があるが、概ね10〜20p程度しか沈まず歩き易い。しかしワカンのトレースを歩く坪足はしょっちゅう膝上まで踏み抜き、大変そう。初めから膝上ラッセルなら諦めもつくが、先行者のトレースに乗れたり踏み抜いたりは酷く応える物である。体重差の関係?もあり、塩川Tはさほどでも無さそうだが、デーブは殆ど四つ足歩行の状態でもがいていた。端から四つ足の動物なら歩みは人間より速いのだが、人間は立って歩いた方がなんぼか速い。従って、ラッセルは曽根原と小林が交代で担当した。

ルートを進むにつれ、北斜面の関係もあり、雪が柔らかくかつ深くなる。デーブは雪まみれ・汗まみれで腰までのラッセルに奮闘するもペースは一向に上がらず、北峰到着は12時を大きく回り込んだ。今回も此処(北峰)止まりかと一瞬諦め掛けたが、日が長くなっている分頑張ろうと、13:20まで前進する事とした。(此処で引き返したら、デーブは自分の責任で連続引き返しとなり、多少かわいそうに思われる、それに苦闘しているのは本人だけだから・・・・という理由で)

北峰からは思いの外捗り、予定したリミット時間には頂上直下まで達したので登る事とした。ワカン部隊3人が13:30過ぎに頂上着。坪足2人は10分ほど遅れて到着。頂上は結構雪庇が発達しており、大町市街地の俯瞰が見事である。また、北から南へ平野の積雪量が減少する様子が手に取るように良く判る。一方山の景色はと言うと、朝の快晴はどこへやらで、爺や蓮華や唐沢は雪雲の中に溶け込もうとしており、何となく雪もチラチラし出した。憔悴しきったデーブも多少回復したので、14:00頂上を後に下山開始。相変わらずワカン組の方が速いものの、デーブも雪上歩行の経験回数が可成りになるためか、登りほどの差は感じられない。途中1190m広場で一回休憩したのみで、16:30仏崎に無事帰着した。

途中のアップダウンを考えると、標高差約1000m、往復距離約10km、行動時間8時間の充実した一日であった。事実、久しぶりに山行に参加した曽根原は、入部以来一番ハードだったような気がすると云っていた。(松田 大 記)

編集子のひとりごと

松本では、朝から牡丹雪が降り始めました。名残雪でしょうか?3月前半は異様に暖かい日が続いて、桜のつぼみもふくらみ、このまま春になっちゃうのかとも思われたのですが、実際はこれからも三寒四温を繰り返しながら、季節は推移していくのでしょう。とはいえ、暑さ寒さも彼岸までのことば通り、日差しは柔らかくなり、日照時間もだいぶ長くなりました。僕の勤務している木曽高校では始業時刻は、6時5分。だから、冬は一時間目から真暗い中、蛍光灯のもとの授業です。今日は終業式ですが、雪が降っていたとしても、おそらくはじまるころもまだ薄明るいでしょう。久しぶりの生徒登校日ですが、こんなところにも季節の変化が感じ取れるようになりました。

各校そろそろ年度末の切り替えの時期。昨日までの週末、木曽高校は美ヶ原に、大町高校は栂池にでかけたはず。他の学校の春山の様子はいかがでしょうか? そんな楽しいであろう様子をよそに、私はといえば、じっと我慢の子。ギプスをはめてもう随分長いこと経過した気がしますが、実際にはまだ10日ほど。医者には、はずすまで3週間と言われているので、自由の身は、まだ当分はお預けです。どうせ人にあえば「どうしたの?」と聞かれるのがオチなので、自分から告白したわけですが、多くの方からお見舞いのことばをいただきました。ありがとうございます。捻挫したのが左足で、我が愛車はオートマなので車の運転には何の不自由もなく、片道63キロの通勤の道も何のその。毎日学校へは元気に?通っています。治らないケガでもないのでこの際ゆっくり養生します。某先生からは「他人のケガは痛くないから」といわれましたが、その通りです。楽しい山の記録をご報告下さい。かわらばん編集長に徹します。(大西 記)