不定期刊行             91号  2004.4.22

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

足の具合もだいぶ回復・・・復帰第一戦は光城山へ

塩尻駅構内での悪夢のような捻挫から一ヶ月とちょっと。この間、ストレスは増す一方だった。が、我が足の具合も日増しによくなってきて、ようやく普通に歩けるようになってきた。そこで、復帰第1戦は、桜の花に誘われての足慣らしを兼ねてのハイキングと決め込んだ。

松本から長野へ向かう国道19号を田沢から少し行くと、右手の尾根上に桜の花が一本の道になって頂上まで延びている山が望まれる。夜になるとその道に沿ってライトアップもされるので、高速からも目立つ。だからきっと中信地区以外の人でも知っている人がいるのではと思う。これが光城山だ。18日の日曜日は、前日行われた高教組の中央委員会から引き続いての泊まり込みの執行委員会だったが、午前中で終わったため、長野からの帰りがけの駄賃にと花見も兼ねて登ってみたわけである。とはいえ、件の捻挫はまだ完治したわけではないので、ここでまたケガをしてはそれこそ洒落にならない。だから十分注意して登った。

午後ではあったが、大勢の人が登っていた。桜は下の方では、少し遅かったが、頂上付近は満開で見事であった。標高は912m、登山口からの標高差はおよそ350m。ゆっくり歩いても一時間もかからない。ちょうど手頃なハイキングコースだ。ここからは眼下に安曇野を見下ろし、その向こうには屏風のような北アルプスが一望できる。午後とあって、逆光で少し靄がかかったような山ではあったが、それでも目の前の常念のピラミッドは見事だ。そして稜線伝いに目を転じていくと、後立山の鹿島槍の双耳峰や白馬岳までが、まるでおいでおいでと誘うかのような山々であった。僕の足も5月のゴールデンウィークまでには完治するだろう。それまでもうしばらくの辛抱である。待ち遠しいが、完治するまでは、ゴールデンウィークには来てほしくないというなんだか妙で複雑な気分である。が、今日歩いた感触ではもう9割方元に戻っている感じ。なんとか間に合うか。微妙なところ。それにしても、桜は見事だった。

一冊本を紹介します・・・「北アルプスこの百年」

もう店頭に並んで久しいから、すでにお読みの方も多いかも知れないが、老婆心を承知で紹介する。筆者菊地俊朗氏は、現在はフリーだが、もとは信毎の記者であった。カシタシ遠征の時には信毎の松本本社の代表として、遠征を側面から支えてくれた。我が信高山岳会にとっては恩人の一人でもある。氏の山との関わりは、1964年の長野県山岳連盟(現長山協)のギャチュンカン遠征まで溯る。この時には取材担当記者として同行し、日本新聞協会賞も受賞された。長年の記者生活時代の山での取材をもとに、2001年には「山の社会学」という本(文春新書)を出しており、これも興味深い内容だったが、今回のこの「北アルプスの百年」(文春新書)はそれの続編ともいうべき内容である。

日本山岳会などの今まで表に出てきた歴史とリンクしながらも、これまであまり語られることのなかった山小屋の主人や地元の人々など長野県内の人々による北アルプス史とでも名付けるべき興味深い内容だ。筆者自身「率直に言って、本書にどのような感想、批判が寄せられるか、私自身、大いに不安である。とくに『ウェストン』教信者と評してよさそうな一部の山岳通の方々には、目ざわりな記述や表現があることを自認しているからである」と書かれている。

僕は学生時代常念小屋で4年間アルバイトをしていたが、小屋主の山田恒男さんや、かつてはボッカをしていた飯炊き名人の寺島典生さんからいろいろな話を聞かされたものだった。そしてその話を聞いてはバイトの合間を縫って、喜作新道が開削される前の槍ヶ岳へのメインルートであった一の俣の渓谷に橋をかけにいったり、中山に登りそこから東天井へぬけたりと道なき道を歩いた。また、今ではもう北鎌のメインルート?ともなっている牛首を下って貧乏沢から北鎌にノーザイル運動靴という軽装でとりついたりもした。槍へ抜けた翌日は大雪で、槍の小屋番の藤原正人さんに「常念の小屋番は一体何を考えてるんだ!」と半分笑いながら大目玉をくらったのも懐かしい。とまあ、今では体験できないような意外と楽しい日々を過ごしたものだった。ちょっと話が脱線したが・・・。昔の小屋番はいろいろなことを知っていた。山小屋の小屋番は偉大である。寺島さんも藤原さんもこの本で取り上げられている山懐の部落穂高町牧の住人である。

そんな小屋番たちから取材した話や資料で裏付けされた話、そしてそれらをもとに、時には大胆に開山のころを推論したりしながら、北アルプスのこの百年を解説してくれている。この本の中には北アルプスの山小屋や登山道建設草創期の意外と生臭い金勘定の話がでてきたりもする。たとえば白馬岳、槍ヶ岳をめぐる山小屋建設競争や登山道建設の話。中にはここまで書いてもいいの?ってような話もあるが・・・ま、実際に山小屋のご主人たちを想像して、ニヤニヤしながら読んだ私である。

そして、やはりさすがだと思うのは筆者が記者出身、ジャーナリストであるということを感じさせる記述がそこここに見られることだ。中高年登山者などのヘリコプターでの安易な遭難救助への警鐘なども手厳しい。我々長野県人、とりわけ中信地区の人間にとっては身近な存在の北アルプス。文字通り僕らの隣人の先輩が開拓してきた北アルプス。一読を薦めます。

編集子のひとりごと

ケガのため山へ登れなくなったせいで、かわらばんも少し滞りがち。冒頭書いたように少しずつ山登りを始めていこうと思っている。新学期も始まったが、各校山岳部の加入の状況はどんなだろう?顧問などの体制も一新したところもあることだろう。それにつけても、引率をめぐる物心両面でのサポートがほしいところだ。

本校は昨日が校長交渉だったが、三年目を迎えた旅費制度をめぐって、この制度が山岳部の引率には冷たい制度であることを改めて校長に伝えた。しかし現実は厳しい。県本部の春闘要求書にもこのことはきちんと載せて頂いてあるので、27日に予定されている本部の県教委への要求書の交渉の席でも機会があれば訴えたい。さらに旅費とは別の部分で山岳部の引率の危険度や困難性みたいなものについても認識を聞いた上で、新たな手当等について訴えたい。現場での問題点等あればいつでも連絡下さい。今年は県執という立場上、いろいろな機会を捉えて訴える機会は多そうなので・・・。(大西 記)