不定期刊行             93号  2004.5.19

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

木曽高校定時制アウトドア部活動開始

慌ただしい4月も過ぎ、連休も終わり、やや五月病気味のこのごろ。山は一番いい季節を迎えた。木曽高校定時制アウトドア部も今週からいよいよ活動を再開する。本年度は、定時制のアウトドア部には、全校生徒25名の内の14名(男子9名、女子5名)が部員として名を連ねた。昨年度末、活発に活動してきた4人の4年生が卒業し、今年はどうなるかと思ったが、ふたを開けてみればこの盛況ぶり。創立して4年目、今年は特段勧誘をしたり、PRをしたりしたわけではないが、「何となく楽しそう」とか、「思い出を作りたい」とかいう生徒たちが入部してきた。クラブの活動自体が校内でもかなり認知度が高くなってきたことは自認していたが、ここまでの人気ぶりには私自身も驚いているところだ。我が部の基本的なコンセプトは、「アウトドアの様々な活動を体験してみること」である。かわらばんでも紹介した「岳人」4月号の本校の活動を紹介する記事の中で、僕はそう記載した。読んでいない読者のために念のため、その部分を抜き出してみよう。

「・・・定時制には小中学校時代に不登校などを体験してきた多くの生徒がいるが、彼らにとってアウトドアでの様々な生活を一緒に体験することは、社会への目を開くきっかけでもある。彼らにはニーズに応じた様々なアウトドア活動を提示してやりたい。登山、野外バーベキュー、焚火、フリークライミング、山菜採り、山スキー体験などなど。しかし、僕が肝に銘じているのは、彼らには決して強要せず、参加はあくまで本人の自由意志を尊重することだ。ただし、参加する場合は楽しくかつ真剣に参加することを要求する。こうして、全校30人の定時制で、アウトドアクラブの部員はここ3年間で、全校の半数近い13人に増えた。・・・」(岳人、2004年4月号)

ここにも書いたように、アウトドア部に所属している多くの生徒たちは不登校の経験を持つ。そんな生徒たちであるがゆえに、自分から求めたクラブ活動であるにも関わらず、行くまでにはいくつものハードルを越えねばならぬ場合もある。行ってしまえばなんでもないことで、楽しめることも頭の中では十分わかっていて、クラブにはいってきたのに、行く前には、なかなか一歩が踏み出せない生徒。直前のドタキャン。行きたいのだが、人に誘ってもらうのを待っている生徒。朝起きるのが不得手で、心配のあまり前日眠れない生徒などなど。そんな様々な生徒たちではあるが、彼らが、参加したときにはそれがどんなアウトドア活動であっても、本当に生き生きした姿を見せてくれる。今年も月一度くらいのペースで、活動をしていきたいと思っている。とりあえず、第1回目の活動は、明日(20日)木曜日。内容は開田高原の散策と焼き肉の集い。天気が悪いのは承知の上、生徒の勤務の関係であらかじめ決めておいた日を変更できない。一昨日月曜日は、その下見でちょっと山に入ったが、わらびとコシアブラが少々。ま、無理のない範囲で、水芭蕉でも眺めながら、雨の日には雨の日の楽しみ方を教えて来よう。

ところで一体何人の生徒が来るだろう。予定では10人来るはずなんだけど。

中信高校山岳部年報バックナンバーから その2

かわらばんの87号以来の久々の話題を取り上げる。かつての「中信高体連年報」には顧問も積極的に投稿しているが、その中から独断と偏見で、今読んでも少しも色あせていない名文やその当時の状況がわかるような文や記録を紹介する。活動の参考にして頂ければと思う。まずは1977年の創刊号への特別寄稿。長野県高体連の登山部の生みの親である今は亡き丸山彰先生の「発刊に寄せて」という一文を紹介する。

《特別寄稿》「発刊に寄せて」

前中信高体連登山部委員長 丸山彰  

この度の部報の発刊を心よりお慶び申し上げます。各学校単位で部報を発行することさえ、なかなか精のいる難しい仕事なのに、多くの学校に呼びかけ、原稿を集め、編集・印刷等刊行までにいたる家庭は大変な仕事だと思います。やがてこれが読者の共感を呼び刺激となり糧となるならば発刊の意義は更に深まり貴重なものとなると信じます。

中信高体連に登山部が組織されたのが昭和39年でした。春のまだ浅い6月初旬、白馬岳の大雪渓で顧問の先生方の研修から事業が始められました。そして今日まで生徒も先生も講習会研究会のなかで、理論と実践に努力を重ね、立派な成果をあげてきました。その成果は昭和46年、長野県高体連に登山部を創設し、昨年本県で行なわれたインターハイに全国の関係者より賞賛される運営に結集し、また同大会に毎年優秀校を生む立派な成績を残しております。

登山は、大勢の観衆の前でおこなわれる行為ではないので、考え方にも登り方等にも独善に陥り易い面がたくさんあります。高体連登山部は、各校と横の連絡をとりながら、正しい高校登山を追求し、お互いが切磋琢磨することにより、その独善を救ってくれる組織だと思います。大勢の力で高体連組織をもりたてて下さい。この部報を活用し、来年の2号に充実を期してくださるのももりたてる方法の一つだと考えます。

私はかねがね、山に登ったら「記録をせよ」と訓じ続けてきました。個人の記録や部の記録が、たとえささやかなものであったとしても、それは確かな事実として残り、これからの長い人生に何かの形で生きる貴重なものとなることを確信します。

美しい山に魅せられて登る素晴らしい行為は、一生続けてほしいと思います。足跡を大切に、記録にとどめることも忘れないで。

刊行のご労苦に深い敬意を表します。           昭和52年11月

編集子のひとりごと

去年までは平均7日から10日に一号のペースで出してきたかわらばんだが、今年はややペースダウン。やはり忙しいのがその主たる原因。

今週の、僕のスケジュールは月曜日がアウトドアクラブの下見で開田へ、火曜日は執行委員会で長野へ、今日水曜日も県教委の回答交渉で長野へ、明日は朝から生徒と開田へ、金土日はセンター講習会、日曜日の夜帰ってきてからは、山岳協会の会合。明けて来週は、月曜日は定通部の役員会で朝から会議、火曜日はまたまた執行委員会で長野、水木がやっと平常に戻ったと思ったら、金土は組合の定期大会だって・・・こんなスケジュールに誰がした?でも、明日からの4日が楽しみです。(大西 記)