不定期刊行            105号    2004.7.16

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

大町市制施行50周年記念フォーラム

明日のことですし、ローカルな話題ではありますが、下記により標記のフォーラムが開催されます。長山協でも後援をしています。大北地区はもちろん、それ以外の方でも興味のある方はご参加下さい。内容はかなり魅力的です。高校生にもお薦めください。行きたいんだけど、僕は文化祭中で・・・誰か行って報告してくれないかなぁ・・・。

1、日時 平成16年7月17日(土)13:30から16:50

2、会場 サンアルプス大町

3、主催 市立大町山岳博物館、大町市教育委員会、大町市

後援 大町高校同窓会、大町山岳博物館友の会、大町商工会議所

長野県山岳協会、日本山岳会、その他報道機関

4、内容 @開会(13:30〜13:40)

 A基調講演(13:40〜14:40)「北極海の探険史と環境問題」

      太田昌秀さん(大町市出身、元ノルウェー極地研究所教授)

Bパネルディスカッション(14:50〜16:50)

「三つの極地から地球環境を考える」

※北極から太田昌秀さん

※南極から小島秀康さん

(国立極地研究所南極隕石センター教授、第44次南極観測隊越冬隊長)

        第3の極地ヒマラヤから平林克敏さん

(大町市出身、エベレストサミッター、日本山岳会副会長)

5、その他 18:00ごろより懇親会

読者あってのかわらばんです。その2

 その2の@ 大西先生、野外で校内で家庭(!)で奮闘ご苦労様です。(本年度は組合もですね)詳細は生徒に山行の記録を書かせたいと思っていますが、7月3日(土)に蓼科山に男子3名、女子1名(!!)で行ってきました。休日の百名山は、県大会の金峰山で経験済みのはずでしたが、比較にならないほど「凄かった」です。11時10分過ぎに到着した山頂には50人を超える人で、広い山頂もいつもより狭く感じました。下山ルートの将軍平からは12時を過ぎても、続々と登る人の列が続き、山頂〜将軍平はコースタイム20分が35分もかかりました。登りも下りも人の列が途切れず、すれ違いに時間がかかったためです。

将軍平にも20〜30人が休息していましたので、いったいあの日何人が登ったのだろうと改めて考えてしました。大河原峠の駐車場も満杯でしたし、登山口のスズラン峠の駐車場は西武観光のバスをはじめとする県外「車」(何と福岡ナンバーも!)で満杯でした。

生徒の一人の「長野県人って山に登らないの?」と素朴な疑問に別の生徒が「だって山に住んでるじゃん」とこれまた素直な答え。地の利を生かした梅雨の間の山行でしたが、「休日の百名山はそれなりの覚悟で」を実感しました。

追伸、長野県も梅雨が明けましたね。いよいよシーズン到来です。担任もないので、補習さえ終われば「北アルプス縦走だ!」。(野沢南  塩川 淳男)

その2のA 上田高校の西牧です。クライミングウォールの件についてはいろいろ心配してくださってありがとうございました。おかげで無事文化祭を終えることができました。初日は一般公開が午後だけで、途中で雨が降ったこともあり、大勢に体験してもらうことはできませんでしたが、2日目の日曜日は大人気で、最盛期は順番待ちとなりました。何人かの先生方に、人気があるねと声をかけられ、分会ニュースでも山岳班のボルダリング体験が大人気だったと紹介されました。写真も貼付しました、ご覧下さい。(西牧)

編集子のひとりごと

昨日15日、中信地区暗然登山研究会が開催された。あっ間違えた!「暗然」じゃなくて「安全」だった(かなり確信犯的な誤りだが)・・・。でも・・・出席したのは、大町北の下岡さん、大町の松田さん、武蔵工大二高の中島さんと僕の4人だけ。そもそも、この研究会の会長が来ていないというのはなぜ?それに欠席連絡もなく夏山計画の提出もない学校がこんなにたくさんあったことって、今までの僕の記憶では経験がない。各校夏山の計画はいったいどうなっているんだろう。そういう意味で、まさに暗然たる思いにとらわれた研究会だったというのが率直な感想だ。

僕は、お互いの情報交換の場としてこれほど重要な会はないと認識している。かなり辛口に書かせてもらうが、山岳部顧問として、この会の意味がわからない、この会に出ないというようでは、寂しいんじゃないかなぁ。学校が忙しい?それは間違いないところだ。でも会議の時間は、極力校務に支障のないように16時30分からの設定(少ないながら議論は盛り上がり終了は予定を大幅にオーバーして18時30分だった)である。実のところ、下岡さんは懇談会の最中なのにそれをやりくりして出席、松田さんも生徒を集めてあるからと終わったら、即学校へ戻って行き、中島さんも学校にやり残した仕事があるからと急いでいた。僕はといえば、文化祭の準備が最終盤を迎えているため、会議終了のあと大急ぎで木曽まで車を飛ばし、学校へ着いたのは8時を回っていた。

木曽高校も決してほかに出して恥ずかしくないような立派な活動をしているわけではないけれど、だからこそこの会に出ることで、いろんな情報を(かわらばんにも載せられないような裏情報も含めて)収集し、少しでも生徒のために還元したいと思ってこの会議には出席させてもらっている。実際、今年の山の情報をいくつかインプットできた。事務局長の下岡さんがホントにお骨折りしてくださっているのに、こんなんでほんとにいいのかなぁ。このまま文字通り、暗然登山研究会になってしまうことのないように願いたい。ともあれ出席者の間では、この会の意味が再認識され、秋には昨年度実施して好評だった交流会を今年も行おうと言うことで話は落ち着いた。そのときにはなんとか都合をつけてみんなでワイワイやりましょう。愚痴はこれまで・・・。(大西 記)