不定期刊行            108号    2004.8.6

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

これぞ山岳部!充実した活動計画・・・野沢南高

夏休みのたった一回のそれも2泊3日の合宿を生み出すのにひーこらしているのが、残念ながら我が木曽高校ワンゲル部。補習、夏期講習・・・この暑い中、意味があるんだろうか?私はいつもこの手のものには懐疑的なのである。その木曽高校も明日から合宿に入る。場所は涸沢、奥穂高など。当初は1泊2日の予定だったのだが、それでもと明日の夕刻上高地入りだけはするという2泊3日の日程に変更になったのだそうだ。「だそうだ」なんてのんきなことを言っていてはいけませんねっ。でも、日程も含め、すべて全日の向井さんにお任せなので、あしからず。

さて、そんな中、この夏休みに3回も山行を目論んでいるのは、野沢南高校。計画では昨日、瑞牆山に登ってきたはず。そして、今は次の山行に向けて準備中?かな。前号のかわらばんで、「他校の夏山計画の様子はいかがでしょう?」との私の問いかけに顧問塩川さんから返事をいただいたままになっていました。以下、送られてきたメールに書かれていた計画を掲載します。

1.赤岳・阿弥陀岳、7月19日20日(文化祭代休日)、縦走訓練。下界は凄い暑さだったようですが、山上は霧でした(泣!)この様子はまたメールします。

2.瑞牆山、8月5日、準備登山

3.表銀座(燕岳〜槍ヶ岳+涸沢)、8月8日〜11日、縦走+α

4.常念岳、8月17日、まとめ(?)最後のは顧問の強制で計画に加わりました。

各校、補習も終わり、夏山集中の時期だが、今年は局所的な大雨や、雷など頻発している。先日は雪渓崩落事故もあった。くれぐれも安全登山で行きたいものだ。

夏山情報・・・大町高校全校登山より        

大町高校の松田さんよりいただいた夏山情報です。参考にしてください。

昨日までの全校登山、鹿島・針ノ木2泊3日のコースに行ってきました。26日は前日の強烈な雷雨の後遺症もあって、エスケープルートと考えていた柏原新道が崩落通行不能との情報に、中止したらとの声もちらほら聞きながら、半ば見切り発車でスタートしました。

大谷原から西俣までの林道の荒れ方も大変なもので、重機を入れて復旧工事中でしたが、また雨が降ったらせっかく埋め戻した土砂が再び流失するだろうなと思いながら通過しました。心配した天候も赤岩尾根に取り付いた直後から雨が降り出し、先が思いやられましたが、幸い雨はしばらくで上がり、以後は雨具の世話にはならずに済みました。柏原新道不通のためか、下山者が異常に多かった。赤岩尾根の道であんなに多くの人を見たのは初めてでした。

27日は天候も落ち着き、1泊2日の各コースもスタート。我らは朝一の鹿島槍ピストンを実施、南峰だけでなく、有志を募って北峰へも行ってきました。(OB参加の現役自衛隊員矢口君のリードが素晴らしく、北峰まで行きが21分、帰りが18分という殺人的なスピードで歩かされました。)以後爺ヶ岳南峰を通って種池小屋で昼食、ここで小生と和敬さん(編者注 山岳総合センターの古幡さんのこと)は竹村さん(柏原さんの処の番頭役ですな)から一昨日の落雷事故の話を聞き、登山靴や衣類を見せてもらいましたが、何とも形容のしようが無いスザマジイ物でした。良く命が助かったものと思いました。隊は雷雲を気にしながら徐々に歩みを早め、新越山荘に到着し2泊目。

28日はこの夏一番の好天に恵まれ、立山・剣の眺めを楽しみながら、鳴沢、赤沢、スバリ、針ノ木の峰峰を次々と越え針ノ木峠で昼食、蓮華を往復し後は下山のみ、針ノ木雪渓の荒れ方の酷く、融雪も進み、昨年の9月に登ったときよりも少ない状況でした。大沢小屋から下部の所謂作業道も全く通行不能で、おぞましい一般道を20数年ぶり?に通りましたが、イヤー長かった。これでお終いだからと一生懸命に歩いたのに、50分以上も掛かりました。

そうそう、大沢小屋に古原さん(編者注 長山協名誉会長のこと) がいましたよ。(常念岳の診療所に行く手筈が、何かの間違いか迎えの車が来ないのでこっちへ遊びに来たと云ってました)兎に角、大町高校の全校登山は全コース無事終了。(らしい)

昨日、山岳協会の会合で、柳澤会長からここに書かれている落雷事故の当事者(現在も入院中だそうです)の話を聞きました。松田さんも「登山靴や衣類を見せてもらいましたが、何とも形容のしようが無いスザマジイ物」と書かれていますが、いやはや大変なことだったようです。我が母校の西穂落雷事故の記憶は当時小学生だった僕の心に今でも残っています。実際に髪の毛が逆立ったり、通電したりという経験をお持ちの方がもしいらっしゃいましたら、連絡ください。経験交流は何より重要だと思います。

水害の新潟県央工業高校の惨状と生徒の様子

三条市の県央工業吉田さんからインハイ出発直前にいただいたメールを転載します。

多くの皆さんからの励ましをうけながら、ようやくインターハイにむけての準備が整い、出発の目安が立ちました。本校の被害総額は5億8千4百万円とか。山岳部も用具の洗い物と乾燥が終わり、部室もなんとか復旧できそうです。もともと水と泥につかるためのようなものですから、ほとんどは使えるようで、助かりました。部の復旧作業に加えて、実験室の復旧作業、地域住民のSOSに出動してピアノ搬出・・・etc。

毎日、全身泥んこ、汗みどろになりながら働く部員たちに「一生に一度のことだから頑張って・・・」というものの、さすがにお互いヘトヘトになりました。本当に良い子ばかりです。古くからのたくさんの貴重な資料を失いましたが、我が部の財産は「この部員たち」だということを再認識です。災難を部員たちと共有して、改めての歩みをはじめたいと思っています。合宿は中止し、トレーニングする場所もなく、いきなりのインターハイといった感じで不安もないわけではありませんが、参加できることを喜びとしようと、ミーティングしたところです。

編集子のひとりごと

先週、新潟で行われた日高教の定通部の集会に参加し、三条市などを通った。表面的には落ち着いた感じに見えたが、この猛暑の中、実際にはまだ大変なのだろうと思った。いろんなところでカンパ活動なども行われている。そんなことでしか協力できないが、一刻も早く復旧してほしいと前号に続いて訴えたい。(大西 記)