不定期刊行            112号    2004.9.27

中信高校山岳部かわらばん

   編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

シェフの腕のみせどころーーー最近のスーパーは面白い

山行計画を立てる際に頭を悩ますものは数あれど、一番頭を悩ますのは何と言っても食糧計画ではないだろうか。2泊までならなんとかごまかせるが、3泊以上ともなればかなりの工夫が必要になる。生徒の立てる食糧計画についてみなさんはきちんと指導できるでしょうか?昔は山岳部の合宿といえば、大鍋に石油コンロというのが定番であったが、今や燃料もガス、少人数では大鍋も見かけなくなった。我が木曽高校では3年生が女子ばかりということもあって、今年の夏山などもまあまあの食事であった。日頃は生徒の腕前のご相伴にあずかることになるわけだが、そうなるまでには我々自身の力量も上げておかねば指導どころではない。

そんな中私事ではあるが、信高山岳会の例会で8月に雲の平へ3泊4日、つい先週は中央アルプスへ1泊2日で入ってきた。たまたま両山行とも計画の立案者として、食糧計画も担当した。最近は食糧も進んでいるので、2、3軒スーパーをハシゴしてみると意外とおいしくて軽い食材に出会える。というわけで、今回は最近の山での食糧事情を考えてみよう。下の表は上が雲の平3泊4日(テント泊7人)、下が中ア1泊2日の山行(避難小屋泊4人)の時の食糧計画だ。

月 日

朝 食

夕 食

8/10

各自持参

ハンバーグ・ごはん(α米)・みそ汁・つけもの・煮豆

8/11

ワンタンメン

麻婆春雨・ごはん(α米)・卵スープ・つけもの

8/12

雑炊・つけもの

炊き込みおこわ(α米)・みそ汁・こうやどうふの卵とじ・海藻サラダ

8/13

てんぷらそば

 

予備食

α米7食

 

月 日

朝 食

夕 食

9/18

各自持参

炊き込みごはん(α米)・青椒肉絲・きんぴら牛蒡・フカヒレ入り卵スープ・キムチ

9/19

ワンタンメン

 

予備食

棒ラーメン4食

まずは朝食。信高山岳会では朝はラーメンだけでは物足りないということで、今までは餅をいれた力(ちから)ラーメンが定番だったが、チャーシューとメンマ(いずれも小分けされたものがある)をトッピングし、ワンタンを加えたワンタンメンは意外と好評だった。前日から米を炊いておく雑炊も定番の一つ。雑炊のもとは、手軽で便利。朝からラーメンばかりで飽きるという時にはインスタントのてんぷらそばも受けがいい。

ごはんは生徒と一緒の時は、ふつうに飯を炊くことがほとんどだが、軽量化を図りたい時にはα米を使っている。昔のビニール袋に輪ゴムをして作ったころの味気ないものとは、味は雲泥の差、かなり美味しくなった上、白米のほかにいくつものバリエーションがある。ただし、その分値段も張るのは否めない。夕食の主菜は中華系のインスタントものがいい。ただし同じ麻婆春雨や青椒肉絲、麻婆なすなどでもメーカーによっては、山で使えるものと使えないものがある。その違いは買うときによくチェックするべし。ポイントは「肉」などの生ものを自分で用意するか否かということだ。つまりあらかじめ味付け袋の中に「ひき肉」などが調理されて入っているメーカーとそうでないメーカーがあるのだ。主菜はこれらに真空パックのハンバーグなどを加え、リッチにいってみよう。変わり種はこうやどうふの卵とじ。三日目にどうやって卵を使うのか。ここで使ったのが固形の乾燥卵スープ。頭と食材は使いようである。

そして、そこに一味副菜を加えるのがシェフの腕の見せ所。海草サラダはミネラルも豊富で、疲れた身体には酸味がうまい。最近、ジャスコで発見したのが、乾燥野菜の惣菜シリーズ。キンピラ牛蒡、切り干し大根、ひじきなどなど。もともと乾燥物といってもいい食材だが、山でもどして味付けをしてということになると意外と大変だ。ところがこのシリーズは、調味料もセットになっていてお手軽。先日の中央アルプスではキンピラ牛蒡を使ってみたのだが、満員の檜尾岳避難小屋で、偶然いっしょになった顔見知りにおすそ分けしてあげたところ、これらの食糧は同宿のご仁たちにも大好評だった。下界では電子レンジでチン式のお手軽料理は世の悪風を助長するものではあるかもしれないが、この手軽さを山という場所で応用することは決して悪いことではないように思う。味も悪くないし、疲れた体には少し濃いめの味付けが食欲も増進させてくれる。

私は日頃からスーパーをぶらぶらしながら使えそうなものを物色し、一度下界で試してみる。すると山での使い勝手がわかるのはいうまでもないことだが、それ以上に山へ行くときの家族の、とりわけ妻の日頃の冷たい視線からもときには感謝の眼差しが・・・感じられる?という副次的な効果もあるんだな、これが。

後日談として・・・本文に出てくる同宿のご仁からいただいたメールの一部を紹介しよう。「先日檜尾避難小屋でご一緒になりました林田(二年前の長山協登山教室五月の岳沢で雪上を教えていただいた・・・筆者注:実はこの時私は講師だった)です。2年ぶりでしたが、覚えていただいて驚きました。ありがとうございます。(先生がいらっしゃるとは思いもよらず。)そして、金平ゴボウと青椒肉絲まで頂きありがとうございます。下山して温泉の後、駐車場にテントを張り、先生方の料理内容に盛り上がりました。今までの料理は一体なんだったのか、研究の余地ありと。」

編集子のひとりごと

 9月初旬、13年ぶりに塩見岳に登ってきた。91年の第3回訪中登山隊の顧問合宿で、厳冬期の2月に塩川小屋から、山スキーを持ち上げたあの信高山岳会の合宿の時以来だ。三伏から上の稜線ではスキーが有効ではないかと、持ち上げたのだが、結局スキーは役に立たなかった。86年、星野さんと二人で光から塩見まで縦走したこともあった。その途上、雷を避けて避難した赤石頂上小屋で蟻ヶ崎の生徒を引率していた松田さんと出会ったことなど、昨日のことのように鮮明だ。当時は、三伏へは塩川が起点で随分長かった。今回使ったのは、その塩川からの道ではなく、鳥倉林道から登る道。10年ほど前に、林道が上まで開通し、アプローチが楽になったとは聞いていたが、三伏峠があんなに近いなんて・・・南アルプスの3000mの中では下界から最も近い山の一つになった。去年からは三伏沢小屋も閉鎖したとか。光陰矢の如しである。(大西 記)