不定期刊行            113号    2004.10.10

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

                      木曽高等学校定時制

中信地区新人大会IN木曽

先ごろ(9月24日、25日)中信の新人大会が木祖村で行われた。参加校は、北から大町、大町北、池田工業、松本美須々ヶ丘、松本県ヶ丘、塩尻志学館の6校。参加者は26名(内女子3名)とまた一回り規模は小さくなってしまい、少し残念だった。しかし、中身は充実、中信山岳部ここにありである。場所は木祖村藪原高原および水木沢自然休養林。「木曽路はすべて山の中である」の言葉通り、木曽にはいい場所がたくさんあるが、大会ということになると話は別だ。僕が木曽に転勤する前から、一度は木曽で大会をやりたいという声はあったのだが、なかなか大会向きの場所を見つけられないでいた。そんな中、この界隈を昨年木曽高校の定時制のアウトドア部の生徒と歩いている時、直観的に大会に使ったらとひらめいた。それ以来、場所の選定からコース設定など含め、高体連の正規の下見のほかに僕は事前に3回入った。

中信地区のカバーする地域は、広い。北は小谷村から南は今話題の山口村までほぼ長野県と同じだけの長さを持つのだから。大北地区の人間にとっての木曽、木曽の人間にとっての小谷や白馬は、全く別の地域と言っても過言ではない。そんな点で、日頃なかなか木曽に来る機会のない顧問の先生方にも好評だった。

さて、肝心の中身について、会場長は木曽高校が担当だったが、校長が都合で来られないということで、急遽定時制の教頭川島さんにお出まし願った。競技が終わるまでおつきあい頂け、旧交を温めることのできた人も多かった。競技は、白菜畑の高原と沢沿いの道、薮原スキー場の一部などを組み合わせたオリエンテーリングのコースで行った。道迷いの生徒もなく、心配された雨も競技中は降らず、全生徒がテン場に帰ってきた頃から降り始めるというタイミングだった。

各校食事の後は、講演会。今年は、高体連登山専門部の大先輩であり、長く木曽山林高校に勤務されていて、林業がご専門の角間積善先生に木曽谷の森林についてお話をしていただいた。生徒の多くは、木曽五木はおろかヒノキすら知らないという中、実際の五木を示していただきながら、風俗などにまで及ぶ興味深い話をお聞きすることができた。やはり餅は餅屋である。講演のあとはお待ちかね、中信名物松田泰尚先生肝いりのキノコなべを肴にした職員生徒の交流会である。互選された大町北高の生徒の司会で、各校の紹介や一発芸、歌あり、パフォーマンスありの楽しい時間を過ごした。

深夜からは猛烈な雨となったが、朝はカラリと晴れ上がり、2日目はさわやかな空気の中、水木沢自然休養林の散策を行った。木曽谷では赤沢美林が有名だが、ここ水木沢もヒノキやサワラ、ブナなどの自然林が美しい。何度も行っている僕は本部の片づけをしていたが、それ以外は生徒も顧問も全員が出かけた。角間先生が実地に出て説明をしてくださり、前日の話の内容をさらに深めてくださった。新人戦は各高校の距離が生徒も顧問も含めて一気に近くなる本当にいい機会である。顧問でない今井さんや遠藤さんも、毎年手弁当で出てきてくれる。この地区の山登り関係者の交流の場として、これからも大切にしていきたいものである。最後に改めて角間先生に感謝である。

山やのモラルは? ・・・檜尾岳避難小屋での一幕

中ア北部を縦走してきたことは、前号に書いた。初日は早朝のロープウェイを使って、極楽平から三の沢に登り、宝剣にも立ち寄ってから縦走して、檜尾に至った。翌日は空木を回って池山尾根を下ったが、以下は初日の宿泊場所、檜尾の避難小屋での一幕。

僕らが小屋に着いたのは14:00ごろ。そのころから雨が降り出した。狭い小屋にはすでに先客が20名近く、てんでに荷物を広げて陣取っていて、なかなか中に入れなかった。「ふざけるな、ここは避難小屋だ!」と大声で怒鳴りあげたい気持ちだったが、そこはじっと我慢。穏やかに交渉して、なんとか中に入った。小屋の収容人員は公称20名。我々が入った段階で既にそれを上回る人数だった。天気がよければ、外にツェルトを張ることも考えたが、雨は次第に強くなってきて、風も出てきた。まだ、時間も早いので、これから入ってくる人も大勢いるはずだ。今日はぎゅうぎゅう詰めだなと、覚悟して僕らはそれぞれのスペースを少しずつ確保した。人心地がついてから、僕らは全体の様子を見ながら、4時半ごろ、シェフお奨めの青椒肉絲にフカヒレ入りスープ、きんぴらゴボウに炊き込みご飯というリッチな食事を早めに済ませ、ほろ酔い加減で寝る体制に入ろうとした。

6時ごろだったと思う。もう暗くなってから、ヘッドランプをつけて、ずぶ濡れの団体が入ってきた。ぎゅうぎゅう詰めの避難小屋。互いに疲れてもいる。しかし、こんなときこそはみんなで協力し合ってスペースをつくって、食事をし、全部終わったところで隅から詰めていかねば、とうてい全員が入りきることなどできない。ところが、「山や」のモラルのかけらもないのが10人ほど奥の方にいた。冒頭にも書いたように早く着いた彼らは、大騒ぎをしていても、何の反応もせず、場所を譲ろうともしない。寝たふりをしているのか、それとも本当に寝ているのか、横になったままである。仕方がないので、何とか我々の狭いスペースを空けてやったのだが、この後から来たメンバーというのが、これもまた山慣れていないから一層始末が悪い。だいたい到着時刻が常識を外れていることからも推して知るべしである。彼らは、安定の悪い背の高い500のガスカートリッジにヘッドをつけ、そこで大鍋料理を始めたのだ。そんな状況だから、案の定、事件が起こった。狭いスペースでお湯をひっくり返したのだ。言わんこっちゃない。大事にならなかったからよかったものの、一歩間違えば大惨事であった。

それでもまだ奥の方では狸寝入り。腹に据えかねた僕ともう一人の住人(諏訪の人だとおっしゃっていたが、この方は立派な方だった)が交通整理、寝ている人をたたき起こし、なんとか全員の横になれるスペースをこしらえた。最終的に数えてみると30人以上がこの小屋には泊まっていた。こんな時には人間誰でもエゴが出るものだが、山だからこそ、見たくない、またあってほしくない光景であった・・・。

編集子のひとりごと

 3連休の中日、「今年は暖かいから、涸沢の紅葉がちょうど今頃かな」などと思いながら、日がな家でのんびりと台風一過の山を眺めていた。連休だというのに家にいるので、家族からは妙に珍しがられてしまった。中信の新人戦の様子をレポートしたが、他地区はどうだっただろう。今週末の北信大会を最後に地区大会は終わったはずだが、もしおもしろいことがあったら、ご報告いただきたい。交流しましょう。(大西 記)