不定期刊行             126号  2005.1.19

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制 

完成!中信高校山岳部年報/2004 bQ8

お待たせしました。今年度版中信高校山岳部年報が完成致しました。編集担当者として、勤務時間に食い込まないように午前中の空き時間を使いながら各学校に配布して回っております。今年の年報は総ページ数106と昨年を16ページも上回る大部なものとなりました。そのため、予算を大分オーバーしてしまいました。しかしそれだけに内容は充実。中信各校の山岳部の活動はもとより、中信地区安全登山研究会長である大町高校校長の「全校登山の歴史」と題した大町高校の全校登山の記事や、新人戦の際に元中信高体連登山専門部専門委員長の角間積善先生が「木曾谷の木」と題して話された講演のレジュメ、大町北高の学校登山の様子なども掲載されています。

中信地区の山岳部顧問を持っていない方、また他地区の山岳部顧問の皆様、ご希望がありましたらメールでご一報ください。1冊600円でおわけいたします。

ナマステ ヒマラヤ その2

13:30 標高2000mのドゥンチェ出発。町はずれには「Himalaya」ブランドの水工場がある。カトマンズからわずか119キロとはいえ、ガタゴト道を6時間も揺られて着いた片田舎に突如現れた、巨大な工場は有刺鉄線に囲まれていて、なんとも場違いな感じであるが、ここで作られた水はカトマンズでは人気商品だそうだ。

しばらく沢の左岸を進むと薪を背負った婦人が二人山から下りてきた。カトマンズでは少しずつガスが普及し、田舎でも食堂などではケロシンも使われているようだが、庶民にとっては相変わらず薪が貴重な燃料である。この道は我々外国人にとってはトレッキングの道であるが、上部に住んでいる人々にとってはドゥンチェやシャブルベンシへとつながる生活道路でもある。ドゥンチェから1qほどの地点にある吊り橋を渡り高巻いていくと、対岸には滝も見える。沢登りも楽しそうだが、まさかネパールまで沢登りにくることもないだろうということで衆議一決。14:30牛飼いの一家が移動小屋を構えている地点に到着。ここはトレッキング最盛期には、茶屋もできるとのことで、休憩には最適な場所である。先行していたポーターも休憩していたので、我々も一本とる。

ここで今回のトレッキングについてちょっと紹介しておこう。今回はとにかくショートステイを有効に使い、かつどうしても9日にはカトマンズに戻るという命題があったので、現地エージェントのコスモトラベルに全面的にお世話になった。先方も一応長山協の顔である我々に気をつかってくれたのだろう、わずか3人のトレッキングにガイドが2人、コック3人、ポーターが4人という大名登山を企画されてしまった。こちらとしては、できるだけ安く効率的なことこそが望みで、自炊テント泊でも一向に構わない山や3人組なのだが、どうもこちらの意図がうまく伝わらなかったようだ。3人とも初めてのネパール訪問、最初の段階できちんと話をしなかったこともあり、もうこれで行くしかない。そうはいってもガイドのカイラは日本語もきちんと話せる上に、誠実であり、非の打ち所はない。コスモトラベルとしても長山協役員である我々に対しては一定の待遇をということで、かなり張り込んでくれたのであろう。コック、ポーターの荷は、わずか3泊の食糧や燃料とはおもえないくらいの重量である。そのせいか、ポーターの足取りが遅れがちである。結局この日予定したシンゴンパまではポーターが届かないと言うことで、登山行動は3時間で中止し、標高2610mのデウラリという地点のヒュッテに泊まることになった。このあたりは森も豊かで、鳥のさえずる声がかまびすしい。ヒュッテ到着は16:35。気温は16度。このデウラリという地点は、ガネッシュヒマールの好展望台であり、聳立しているT峰とU峰の南壁は迫力がある。

ヒュッテはヘリンジンニマ・タマン氏一家が切り盛りしており、夫婦と子どもが三人。翌日、山の中腹にあるこの一軒家を尾根上の道からのぞきこんだ僕が「まるで大草原の小さな家だ」と例えると、赤田君は「隠し砦の3悪人」の舞台のようだという。小屋脇にタルチョのはためくそのたたずまいは、どちらの言も言い得て妙だった。11歳の長女ピッパナジーは聡明そうな子で、10歳と4歳の弟の面倒をよくみている。3人はゴムボール一つでいつまででも遊んでいる。たまたま持ち合わせていた「地球の歩き方」を見せるとこの姉は占有して1ページ1ページ食い入るように丹念に見はじめた。カラー写真が珍しいのだろう。弟が横からページを覗こうとするとその時ばかりは、自分だけに見る特権が与えられているかのように語気を荒げて、弟を叱りつけた。子ども達は大自然の中でおおらかに生きていた。西之園君が「この子たちも携帯でメールを操る日が来るのだろうか?」と一言。思わず日本にいる我が子の姿が目に浮かぶ。そんな子どもたちと会話にならない会話をし、夕日に光るガネッシュを眺めながら優雅なティータイム。なんともリッチである。日本を出てまだ2日目、昨日のお昼前にはまだ大阪にいた僕らが、もうネパールの2600mにいるとはなんとも奇妙な感覚だ。

夕食は同行しているコックが、腕によりをかけてのネパール料理ならぬ日本料理。メニューは焼き鳥、チキンカツ、茹でブロッコリ、インゲンのごま和え、生野菜、チキンカリ、スープにライス。これだけの食材をあげているのだからポーターが遅れるのも無理はない。日本式の味付けに舌鼓をうちながらもちょっとガッカリ。「現地のものが食べたかったのに」とは3人とも共通の意見。高年のトレッカーなどはこれがいいのだろうが、僕ら3人組は郷に入っては郷に従え式がモットーの好奇心旺盛な面々なのだ・・・。ちなみにここの住人は、竈で作ったダルバートとタルカリで質素な食事をしていた。

1月6日、ベッドティーを飲んでいると、6:40ごろ山に日が当たり始めた。外気温は4度だが、風がないせいかそれほど寒くない。今日も天気は上々だ。小屋の前庭にあるテーブルで、ガネッシュを見ながらの満ち足りた朝食をすませ、8:20に尾根につけられた九十九折れの道にとりつき、ラウレビナ・ヤクを目指して出発した。

編集子のひとりごと

ネパールでコスモトラベルを経営している大津夫妻はネパールに渡って32年になるそうだ。情報通である。ここの登山アドバイザーはかの有名な山野井氏と現地に滞在している奥田氏。奥田氏は関西大の山岳部のOB。4日にカトマンズでお会いした時にどこかで顔を見たことがあると思っていたのだが、実は2001年にカシュガルで会っていた。その時僕は、セリッククラムムスターグ帰り、彼はムスターグアタに登った帰りだったそうだ。僕はすっかり忘れていたのだが・・・世界は狭いものだ。(大西 記)