不定期刊行             127号  2005.1.20

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制 

ナマステ ヒマラヤ その3

デウラリからしばらくは尾根の急登だ。9:00標高2865mの尾根上の台地で一本。遙か下にドゥンチェの町、対岸の斜面は段々畑が開かれている。辺りは樹高20mを超える大木とサルオガセ、足下にはトゲのある黄色い花やコケモモのような赤い実がなっている植物。9:30 バルク村へ下る道とのの分岐点。そこからもう一登りして、10:07 シンゴンパ(3350m)に到着。このあたりは30年ほど前に山火事で焼けたそうで、今も周囲には炭化した立ち木が見られる。ここには数件のホテルの他に公営のチーズのファクトリーがある。ここのチーズはかなり有名だということで、楽しみにしてきたのだが、今は季節柄休業中とのことで残念だった。牧場でもなく、乳は他のところから買ってきて製造しているそうだが、なぜ、交通不便なこんなところにファクトリーがあるのだろうかと思ってしまう。しかし、これとても日本人の感覚。歩いてどこへでも行く現地の人々にとっては、昔のライフスタイルのままに生きているだけのことであって、不思議でもなんでもないのだろう。

到着するとすぐにコックがホットポカリを持ってきた。大休止をとってここで昼食なので、準備ができるまで村をプラプラと散歩する。ホテルはいずれも2階建ての立派な造りである。ここはランタン国立公園内だが、元から住んでいた数軒は土地所有が認められているということであった。しかし、後発で一番下部にあるロッジシェルパは国に地代を払って営業しているのだそうだ。集落の一番上部には立派な仏教寺院もあり、タルチョがはためいている。今日は天気もいいのであちこちで、たらいに水を張り洗濯をしている。僕らが休んだロッジシェルパでは奥さんは長い髪を洗っている。この界隈見渡したところ、ゲストは僕らのほかには欧米人が一組だけ。のんびりとした一日が流れている。少し高いところまで登って見下ろすとロッジシェルパの前の庭に大勢の人が座っている。何人かは剥いだばかりの木の皮を束ねて持っている。いったい何事だろうと近くへ寄って見る。ガイドのカイラに聞いてみると、これは国立公園内で紙の材料になる紙の木の皮を剥いでいたかどでレンジャーにつかまり、これからドゥンチェまで連行される人々なのだという。この皮は干して1sあたり60ルピーで売れるらしい。紙の木はじんちょうげに似た木である。木の専門家であり、樹木医の西之園君によれば、日本のミツマタなどとの近縁種とのことである。捕まっているのは、10歳ぐらいの子どもから30代くらいの人までおよそ10名、いずれも身なりは貧しい。哀願するような目でじっとこちらをみている。対照的に居丈高な公安の連中は、ふんぞりかえっている。ネパールでも自然保護には少しずつ環境が整い始めていることの証左ではある。罪は罪、されどなんとなく居心地の悪い思いを持ったのは僕だけではなかろう。

そうこうしているうちに昼食の準備が出来たという。山で昼食というのもあまりなじみのないことだが、ここでもまた立派なメニューが供された。カイラに尋ねるとネパールでは食事を残すことはあまり問題ではないとはいうものの、現地の人の食生活などを見ていると、残すことには罪悪感がある。したがってついつい腹に押し込むことになる。ネパールへ豚になるために来た訳じゃないのに・・・。カイラには今日の夕食からは量を減らしてほしいこと、コックやポーターの食べているもの(ダルバート、タルカリ)にしてほしいことをリクエストした。

ゆっくりと食事をし、12:30に出発。30mほどの樹高のモミの木の原生林が続き、ところどころにシャクナゲがある。どことなく奥秩父の山を彷彿とさせる。原生林の合間からはチベットレンジの山々が見え隠れし、国境のケルンの町が望まれる。その右手にはランタンリルンが大きくなってきた。14:10チャランパティ(3584m)到着。今日の目的地ラウレビナ・ヤクはもう指呼の間に見える。傾斜も緩くなり、このあたりからは、針葉樹にかわって、見事なシャクナゲ林である。下の方で一本だけ気の早い花が真っ赤な花を一輪開いていたが、このあたり4月ごろはさぞやと思われる。さすがに標高が高くなってきたので、ビスターリ、ビスターリで一歩一歩。背後にはアンナプルナ、マナスル、ヒマルチュリも見えてきた。この季節、この高度だというのに風もないので日差しは暖かくなんと半袖のTシャツで十分だ。少しは雪もあるかと想像してきたので、驚きである。

15:55ラウレビナ・ヤク(3930m)到着。日本を出た日から三日にして富士山の高さを超えた。ここは本当に景色を見るためにあるようなところで、ホテルが4軒。我々は一番上部にあるマヤ(ネパール語で愛をいみするらしい)ホテルに宿をとった。高度障害に悩まされないよう充分に水分を摂る。一休みしてからさらに高所順応をするために、夕焼けのヒマラヤを見がてら4100mあたりまで登った。一日で一気に2600mから4100mまで高度をあげたので、多少息切れはするが、これは織り込み済みのこと。今回の3人のメンバーはいずれも高所経験をもっているので、それぞれが自分の方法で対応している。アンナプルナの左側に夕日が沈むと、ランタンが赤から紫へと徐々に色を変えながら神々しく光り、マナスルとガネッシュは薄暮の闇に消えていった。

17:50ホテルに戻る。夕食は待望のダルバート(ダルは豆のスープ、バートは炊いたご飯)タルカリ(野菜のカレー)が供された。本当はそれだけで十分だったのだが、副食として出たのが、キノコ炒め、春雨とシーチキンのサラダ、キムチ、水牛肉と野菜の炒め物、あげせんべい、すのもの。全然量が減ってないじゃないか!さすがに全部は食べきれなかった。この宿の今日のお客は僕らの他にまだ20代のノルウェイ娘が二人。10月からインドに来てずっと旅をし、このトレッキングをしたあとは、またインドに戻り、東南アジア方面に向かうと言っていたが、度胸の据わったなかなか可愛い子たちであった。夕食後は彼女たち、さらに先方のガイドとこちらのコックがホテルのギターと民族楽器ダムニャで歌い出し、薪ストーブの火を囲んで盛り上がった。ドゥンチェで作ったという「ロキシー」(穀物の蒸留酒)も少し嗜んでみたが、意外にアルコール度数も高くなく、飲みやすかった。そのおかげでこの高所でも熟睡ができた。

編集子のひとりごと

「ナマステ ヒマラヤ」も3回目、さらっと終わらせるつもりで書き始めたのですが、なかなか先へ進みません。何せ初めて行ったところなので、見たもの聞いたことが新鮮で、驚きと感動の連続。ビスターリ、ビスターリで少しずつ書きます。ご用とお急ぎの方はとばしてくださって結構です。(大西 記)