不定期刊行             128号  2005.1.23

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制 

ナマステ ヒマラヤ その4

1月8日暗い中、コックがベッドティーサービス。さすがに4000mともなると、室内でも気温は−4度。お茶を飲んでいるうちに明るくなってきたので、カメラを持って外へ飛び出すと、マナスルが赤く焼け始めた。今日もまた雲一つない好天だ。

7:30 ラウレビナ・ヤク発。30分ほど登るとストゥーパがある。ここからの景色はまさに絶景で、160度ほどの角度で、右からランタンヒマール、チベットレンジ、ガネッシュヒマール、マナスル・ヒマルチュリレンジ、アンナプルナレンジがぐるりと望める。それにしても景色が大きすぎる。(写真の山は右からガネッシュV、W、T峰)

充分景色を堪能して、ゴサインクンドへとさらに歩を進める。道は稜線を外れ、南側に山をトラバースするようにつけられている。そのため、傾斜は緩くなり快適だ。クンドとは湖のことだが、このあたり一帯は源流地帯で湖が点在していて、その数は煩悩の数と同じ108だとか。その中でもゴサインクンドは、ヴィシュヌ神が眠っているとされ、ヒンズー教の聖地である。ストゥーパから20分ほど登ると眼下に全面結氷しているサラスワティクンドという最初の湖が見えてきた。道の山側には登攀意欲をくすぐる岩壁がそそりたっている。岩の感じは北アルプスの滝谷なんかと同じ感じに見える。西之園君がキジうちに行っている間に赤田君がフリーで少し登る。なかなかサマになっている。写真だけ見れば、秋の北アルプスという雰囲気で、これがネパールだとは思えないのではないだろうか。

続いて現れたバイラヴクンドという2つめの湖をやりすごし、一登りして、9:20に最終目的地ゴサインクンドに到着した。前二者の湖に比べれば、大きいためだろう、八割方は凍結していたが、全面結氷はしていなかった。その氷が膨張する音だろうか、時々重低音の「ドゥワーン」というくぐもった音が響き渡る。ナチュラルドラムとも名付くべき音が、この場の神秘的な雰囲気をいや増しに醸し出している。今回の最高到達地点、4380mの聖なる湖畔にはシバリンガを祭った神殿がひっそりと建っていた。気温は0度。正面の山肌の日陰には所々雪も見られる。このあたりは1月から2月にかけては多いときには50pから1mくらいの積雪もあるとのことだったが、我々が訪れたときは全くその気配はなく、ロッジも普通に営業しているようだった。10:15、最高標高点を十分に堪能し、下山することにした。

下り始めて10分ほどしたところで、昨日同宿だったノルウェイ娘とガイドが二人で登って来るのに出会った。もう一人の方はどうしたのかと尋ねると、彼女は高山病で調子が悪くなったので、下で休んでいるということだった。道はトラバースしながら徐々に下っていくが、一つ小尾根を巻くとそのたびにマナスルやガネッシュが代わりばんこに大きく見え、素晴らしき景観が次々に現れる。そんな絶好のビューポイントの一カ所でまた別のうら若き女性が二名休んでいた。今度の二人組はイスラエル人で、昨日はゴサインクンドに泊まったということだった。ヒマラヤの大展望をほしいままにしながら、約1時間でラウレビナ・ヤクまで下った。ここでまたゆっくりと昼食タイムと相成った。下に残ったというノルウェイ娘は確かに調子が悪そうで不機嫌である。その様子を見て、赤田君が使い方と効能を説明しつつ、鼻腔拡張テープを進呈する。我々は3人とも幸いなことにここまでさしたる不調もなく楽しんできた。後は下るだけなので、気分的にも開放された感じである。12:30 ラウレビナ・ヤク・マヤホテルを後にする。今までずっと天気がよかったが、下から雲海の雲が大分上がってきた。上から見ると、この道がぐんぐん高度を下げているのがよくわかる。

シャクナゲ林を抜けるとチャランパティだ。我々が昼食をしている間に、先行したイスラエルパーティが休んでいた。聞けば、大陸伝いに旅を続け、もう一年になるそうで、このあとはタイやカンボジア、ラオス、ベトナムなど東南アジアまで行く予定だと言う。せっかくなら日本にも来ればいいじゃないかというと、飛行機を使わなければ行けない上に、物価も高いから日本には行かないと言われた。ところであなたがたはと逆に聞き返された僕は、「七日間のショートステイ、しかもトレッキングはアプローチも含め四日だけだ。」と答えると、彼女たちは目を丸くして「クレージー」と一言。さもありなん。恐らくこんな旅をしている人間はそうはいないだろう。実際ぼくだってこんな駆け足で回るのは決して本意ではないのだ。もっとゆっくり時間をかけて、見たいのは山々だ。それにしても一年とは、なんともうらやましい限りだ。

13:50 シンゴンパ着。往路とは違うレッドパンダホテルで休息。このロッジにはかなりお年を召された老婆がストーブに当たっていた。名前はニマレンゼンさんと言い、下のバルク村生まれで今年98歳になる。目も耳も足も悪くなってもう下の村までおりることは叶わないが、ここが好きだからここで残りの余生を送っていると娘さんが代わりに答えてくれた。14:50にデウラリに着くと、3人の子どもたちが出迎えてくれたが、その一方で小屋の前が騒がしい。というのも例の国立公園内での紙の木不法採取者が今日もまたつかまったということで、ここまで連行されて来たところだった。大量検挙で28名がつかまったそうだが、公安に混じって武装した軍隊までいて、あたりは物々しい感じだった。彼らと相前後して、あとは、ひたすらドゥンチェまで一気に下った。17:00 ドゥンチェ着。地元産のロキシーで乾杯、無事帰着を祝った。

1月9日、7:25ドゥンチェ発。ガタゴト道を揺られること3時間でトリスリの外れにたどりつき、ようやく舗装道路に出た。そのあとは、往路と同じくパティシキロでダルバートとタルカリの昼食(美味なり!)をし、どこまでも続く段々畑に感動しながら、13:50カトマンズに到着した。こうして早駆けのトレッキングは無事終了した。

編集子のひとりごと

この手の報告はやはりヴィジュアルな方が面白いと思って一枚だけ写真を載せてみました。そのためデータが重くなって済みません。もし興味がある方は画像だけ取り出して拡大してみてください。そうすれば少しは雰囲気が伝わるかも知れません。ちなみにガネッシュはT峰からY峰まですべて見えていましたが、U、Y峰はちょうどストゥーパの陰、X峰はV峰のさらに右手だったので、本文中の写真では確認できません。いずれにしろ、晴天の下こんな景色を心ゆくまで眺めてきました。(大西 記)