不定期刊行             129号  2005.2.12

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制 

講師講習会(雪山)報告・・・大勢が集まったことに意味がある

 1月29、30の両日山岳総合センターで講師講習会が開催された。今回は長山協の遭対、指導の両委員会も共催したため、参加者は56名にのぼった。まず、何よりこれだけの山岳関係者が集まったことに大きな意義があったと思う。ここ最近、この手の講習会にこれだけの指導者クラスの人々が集まったということはあまり無かったのではないかと思う。その点で大きな収穫があった。山やが互いに顔を知ることだけでもその効果は大きい。山岳総合センターを文字通り長野県の山岳の中心に据え、そこに山岳協会の指導委員会、遭難対策委員会などがタイアップした今回の企画は、結果として大成功だったのではないか。ちなみに高校関係者は松田、飯沼、今滝、下岡、それに私の5人であった。

 講習は全体を14人ずつの4班に分けて進められた。29日鹿島槍スキー場から黒沢尾根をしばらく登り、正面には鹿島槍、爺ヶ岳が望めるところで、講師の柳澤さんから、「対斜面の雪の観察」が課題として出された。ここまで登るのにも雪はしまっていたので、一般論としてこの界隈の雪の状態が安定していることは推察できた。天気は快晴、ここしばらく雪は降っていないので状態は安定しているというのが大方の予測である。しかし、地形、日射は場所によりまちまちである。対斜面の鹿島槍、爺ヶ岳を双眼鏡でよく見ると、あちこちに雪崩のデブリのあとが見える。充分な観察の後、日の当たりやすい斜面、日陰の沢、漏斗状の滝、斜面の傾斜などポイント、ルートを絞ってそれぞれの場所の観察結果をディスカッションしながら交流していく。

 おそらく、この天気が続けば「自然発生の雪崩は基本的には起きない」というのがここで出てきた結論である。理由は一般的にいえば、前回雪が降ったのが、19日であり傾斜の急な斜面ではすでに落ちるべきものは落ちていること、最も雪崩が起こりやすいとされている30度から40度前後の斜面では弱層と上載積雪の微妙なバランスが日射等の影響で安定化していること、20度台以下の斜面では基本的に自然発生はしにくいということである。10日に渡って雪が降っていない雪は圧密と焼結をし続けている。このことは雪の総体量が重くなることを意味しないわけだ。これから雪崩が発生するとすればその原因になりうるのは、「上載積雪が増えること」と「人為的なこと」である。雪崩の90パーセントは降雪中もしくは降雪直後の上載積雪が増えた時に発生している。したがって「今日は安全だ」というわけだ。

 ところが、実は「今日は安全だ」というこの判断を全員で下した直後のことだ。対斜面の北股谷で雪崩の発生が観察された。これは、この日の強烈な日射により表面にできた「濡れザラメ」が起こした雪崩だと考えられる。濡れザラメ雪崩だけは別格であることが実証される興味深い場面であった。

続いて柳澤さんからは昭和初期に鹿島槍で行われた冬期登攀などの話やご自身の経験などが実例として出され、「谷と尾根ではどちらが危険か」ということも話題になる。実際には鹿島槍においては東尾根での事故が多発していることなどが実例して挙げられ、尾根であれば安全と言うことはいえないことが確認される。ただし、谷は逃げ場がないという点では、発生した場合のリスクがより大きいのはまた別の次元の問題である。

続いて場所を少し移動したところで昼食をはさんで、雪質の観察を徹底的に行った。今回は人数も多いので班ごとに北斜面と南斜面にスノーピットを掘った。そこには積雪状態の履歴が保存されていた。積雪量は南斜面が175pであるのに対し、北斜面は195pであったが、これは日射の影響であると思われる。また、南斜面の方には顕著な霜ザラメ層が何層も観察できたが、これもやはり日射と夜間の冷え込み、降雪といった履歴がそのまま現れたものといえそうだ。一方北斜面は南に比較すれば目立った層ができにくいように感じた。このあと様々なテストをして、観察結果との相関関係を調べたりしてみた。センターに帰ってからは、柳澤講師の講義、食事をはさんで班ごとに今日の総括と翌日の雪崩捜索についての検討と夜遅くまで盛り沢山の内容だった。

30日は夜から降った雪が朝になっても止まず、風も強く午前中はあいにくの天気。おかげで鹿島槍スキー場の最上部のリフトは運休中で、リフト一本歩かされ、講習場所までの移動に予想以上に時間がかかってしまった。結果、予定していた搬送訓練はできず雪崩捜索のみになってしまった。雪崩捜索訓練は班ごとに中身を任された部分もあり、班長であった私は雪崩の走路の指定をしたりビーコンを埋没させるという裏方の仕事に回ったので、実際には班員が捜索するのを見るという立場であった。

その立場で見ると、僭越ながら様々な問題点を指摘することができた。雪崩捜索は発生してから15分が勝負、その中でリーダーを決め、予測をし、作戦を立て、それを機能させること、さらに二次雪崩から自らをも守らなければならない。つまり、キーワードは「早く、安全に」である。現在はビーコンの性能が上がり、ピンポイントでビーコンの埋まっている位置を見つけることまでは、少しの慣れでできる。しかし、やや逆説的に言えば、問題はそこにこそあるのではないか。ビーコン探しと雪崩捜索の違いはそこにあるのだ。訓練とはいえ、ビーコン探しになってしまってはいけないのだ。

あってはならない本番に備え、我々がしておかねばならない事は何か。柳澤講師のまとめてくれた貴重なレジメや話を含め、講習会で見聞きし感じたことを総合的に反芻しているところだが、僕にとっては、今年もまた、参加したことが大きな糧になった。

編集子のひとりごと

雪崩の講習会のことを書いたが、昨年山と渓谷社より「雪崩リスクマネジメント」という本が出された。既に読まれた方もおいでかとは思うが、この場で紹介しお薦めする。昨年は「最新雪崩学」をこの場で紹介したが、今回のこの本と合わせてよめばかなり知識が立体的になる。著者がアメリカ人であるためか、比喩とユーモアが巧みで、なかなか示唆的だ。その上にたって、柳澤さんが一貫して主張されている経験の蓄積、伝達をしていくことが重要なのだろう。日本の山にはかつては猟師がいた。山に住んだ彼らの貴重な知恵を、山岳会の我々が自前で自分のものにすることができるようなシステムを長山協や山岳総合センターが中心になって作れれば雪崩対策も大きく一歩進むだろう。

竹内さんが信高山岳会のホームページ上のhttp://shinkoac.hp.infoseek.co.jp/にネパールの写真をアップしてくれています。興味のある方はご覧いただければ、幸いです。

昨日、今日と信高山岳会の例会山行で西穂へ登ってきた。メンバーは松田、下岡、重田、大西の四名。西穂山頂からの奥穂、吊り尾根、前穂は圧巻だった。(大西 記)