不定期刊行            137号  2005.5.3

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制 

山スキーのとりこに 田中初四郎

 「七夕会」という集まりがある。私が松田大さんと1998年高知インターハイのC隊で一緒になったことに始まる。2002年茨城インターハイC隊で再開し、インターハイで知り合った人の親睦会を立ち上げようという話になった。

 2003年長崎インターハイで大さん命名の「七夕会」が発足した。昨年来、大さんに七夕会の山行を企画するよう依頼していました。この度、信高山岳会春山例会合宿に合わせて七夕会第1回山行の企画が急に決まりました。既に予定がある人がほとんどで、私だけが参加することになりました。結局、春山例会合宿に混ぜていただくことになりました。30年近くゲレンデを中心に多い年には30日以上雪の上で過ごし、最近は氷ノ山・大山で山スキーをしています。それなりに自信と道具を持っていたので、山スキーをリクエストしました。夢と現実をレポートします。

 28日、仕事をそこそこに終わり17時30分すぎに学校を出発。大さんとの約束は、29日午前8時白馬駅で落ち合うことでした。山陽道・名神・中央道と連休を控え、車は多めでした。中央道のSAで4時間ほど仮眠を取って白馬駅に5時頃着。6時30分頃、大さんからの電話で白馬おもしろ発信地に向けて移動開始。白馬おもしろ発信地がどこかよく分からずうろうろしていて、面識がなかった大西さんを何となく発見。少しして大さん登場。猿倉に向けての山道をかっ飛ばす大さんにやっとついて行く。大さんがかっ飛ばすのは車だけではないことを思い知る3日間の始まりでもあった。

 猿倉荘付近の駐車場に車を止め、場所取りのためにテントを設営。風が強いのでおもりとして荷物を入れる。フライを掛けるも固定が不十分で悲劇を招くことも知らずいそいそと私の車に荷物を積み、栂池に移動。日差しはあるものの時折雨が降る不安定な天気である。大西さん曰く、寒冷前線が新潟県にかかり雨模様で新潟県に近い栂池の天気は不安定だとのこと。ゴンドラ乗り場に60人ほど集まっていたが、緊張感がない。その原因は、強風のためゴンドラが運転を見合わせているためでした。風が収まれば動くだろうということで、12時まで待つことにする。途中、八方尾根ではゴンドラ・リフトが動いているのでそちらに移動を促す放送が繰り返され、一人減り二人減りと人が少なくなる。元気のいい女子大生が窓口の人に食い下がるも風が収まるわけもなくゴンドラの動く気配がないので猿倉に戻る。強い風がテントのフライを一部はがし、時折降った強い雨が中のものを濡らしていた。テントを整え、テントに入る。雨が降り続き、瀬戸内の幸をつまみに利き酒をはじめ、沈殿。

 30日4時30分起床、5時過ぎ長走沢沿いに杓子岳を目指す。私はショートスキーを担ぎ上げることにする。これが如何に無謀で体力・技量・経験不足のために大さん・大西さんのペースを乱し迷惑を掛けることになるかということにまだ気がついていなかった。小日向山のピークを左手に広々として雪原を気持ちよく歩く。当初、小日向山のコルから稜線に出る予定であったが、西のピークに向けて直接急斜面を詰めることとなる。このあたりから私だけが遅れ始める。私だけが兼用靴で歩きにくいからハンディーがあると励まされるもののザックの中に余分なものも多く身の程を知らないためである。

 やっと尾根のテラスに着く。杓子沢の南に谷でありながら雪が溶け黒い地面が見えるところが目に付いた。ここが鑓温泉であると教えられる。樺平を過ぎ、ジャンクションピークを目指す。細い稜線が続く。雪がゆるんでいるので高度感はあるものの何とか通過する。海外遠征もされる大西さんの体力を見せつけられる。やっとの思いで、ジャンクションピークに着いた。本気でここから長走沢に向かってスキーで下ることを考えるが、大さんの「せっかくだから杓子岳のピークを踏んで、白馬の大雪渓を下る方が安全だ」という勧めに従う。ここから、杓子岳まで遅れに遅れ迷惑を掛けてしまった。

 やっとの思いで杓子岳に到着。登頂の乾杯にとザックのビールを取り出すと軽い。小さな穴が開いてザックが既に飲み干していた。大西さんから分けてもらいのどを潤す。予定のペースを乱すも大さんと大西さんの寛大さに感謝し、杓子岳からの360度の展望を満喫する。大雪渓上部のコルを目指して移動開始。杓子岳からトラバース道までの下りの歩きにくいこと。下りに絶対的な自信を持つ大さんがバランスを崩すのを始めて目にする。トラバース道に降りたあたりでまだ白い冬毛のライチョウをみることが出来た。大雪渓上部のコルから大雪渓に入る。大さんと大西さんはさっそうと下り始める。ショートスキーを装着し、白馬大雪渓を滑り始める。少し準備に手間取ったとはいえ、こちらはスキーなのですぐ追いつくだろうと思ったのが大きな間違いでした。二人の早いこと。尋常ではない。無理をしてもスキーを担ぎ上げていてよかったと思った。私も雪の下りはそれなりに自信を持っていたが、確実に置いて行かれたことだろう。ともかく、滑りでのある大雪渓を存分に楽しませて頂いた。ありがたいことだ。二人に感謝。雪渓が終わり、山道に入るあたりから難儀する。やっとの思いで、猿倉荘にたどり着く。のどを潤し、テントに帰り一息つくと二人が帰って来た。何という速さか。片付け後、温泉に。残雪を眺めながらの温泉は格別でした。

 1日は栂池から金山沢を滑ることに。今日は風もほとんどなくゴンドラとロープウイに乗り、栂池自然園に。スキーにシールをつけ、小蓮華山を目指す。先だってかわら版で紹介された山岳スキー大会について大西さんから具体的に説明を受ける。斜度が緩いところはどうにか二人について行くも斜度が増すと道具の性能と経験の差が顕著に。今日も私だけ遅れることとなる。標高点2612m南の広くて急な雪面のトラバースは長くスリルがあり難儀する。二人に遅れること40分で小蓮華山に到着。小蓮華山の少し東の斜面から金山沢に入る。黄砂が一面を覆い滑りにくい状況であったが、尾根に近い急斜面を滑ることにする。初めての長い急斜面を堪能できた。標高差1300mを一気に下る。ここでも大さんのすごさを思い知ることになるが、山スキーがやみつきになり装備を揃えて来年もここを滑りたいと思う。

 ガーデンの湯で、山を眺めながら汗を流し帰路につく。650キロメートル・7時間半の運転はきついものであったが、充実感に満たされ2日午前1時過ぎ自宅に着いた。本格的な山スキーを入手し、減量と体力トレーニングを積み、同行者に迷惑を掛けないで乗鞍岳・金山沢で山スキーをしたいと思っています。機会があればお誘いください。

編集子のひとりごと

 岡山から往復15時間、田中さんお疲れ様。それにしても、我々はなんとよいロケーションに住んでいるか。彼の往復交通代で装備が揃ってしまうのだから。(大西 記)