不定期刊行            139号  2005.5.14

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制 

最強の登山家「加藤幸彦」最初で最後の著作「絶対に死なない」

最強の登山家というのはどういうことをいうのかといえば、究極的には「絶対に死なない」ということになるだろう。その意味でなんとも分かりやすい題名の本が出版された。(筆者注:蛇足ながら著者本人にはこのネーミングは少々不満な様だ。下記本人メール参照)著者加藤幸彦さんは、カナダ在住、通称「ドン」という名で知られ、1964年のギャチュンカン以来、93年のアリューシャン、96年のチョモラリと長山協の遠征に参加され、長野県とはゆかりが深い。私自身、アリューシャンの隊員だったが、この時には宮本、飯沼、舟田、浮須と県内の高校教師も5人参加し、ドンの薫陶を受けた。

アリューシャン遠征では、未踏峰2峰を含む5島7峰に登頂するという成果を上げたが、私自身は、その遠征で二つ目の未踏峰「レチェシノイ」の登攀の時、ドンからザイルパートナーとして指名され、ともに初登頂を果たすことができた。本文の中に「互いの体をロープで結びあって登るには、絶対的に信頼できる相手がパートナーでなければいけない」と書かれていた。当たり前のことではあるが、こう書かれてあるのを読んで、改めて自分が認められた感じがしてなんだか嬉しかった。失礼を承知で言えば、彼自身はいわゆる「古いタイプの登山家」だと思う。この遠征の時、彼は当時60歳だったが、「ここは俺がやる。おまえたちは安心して俺のあとをついてこい。」(本文60ページ)と本文にある通りの行動で、自分がトップで登頂し、頂上からセカンドの僕を「カモン」と呼んだその声は今でも耳に残っている。

常に自分がルートを開き、トップをいくというその存在はあまりにも大きいのだが、その技術は伊達ではなかった。この遠征の練成合宿で、冬の戸隠八方睨に登った時の事だ。今は亡きT隊員のアイゼンがトラぶって使えなくなった。その時ドンは「俺のアイゼンを使え。ここは俺ならノーアイゼンでもノープロブレム。」と若いT隊員にアイゼンを貸して自分は涼しい顔をして登頂した。正直あの年であの技術力には舌を巻いた。そんなドンの口癖は「危険は回避せよ」「困難は克服せよ」「ミスは誰にでもある、ダブルチェック、トリプルチェックをせよ」というものだった。三番目のことばはともかく、本文には前二者のことばが何度も登場してくる。これこそがドンがドンたる所以、生き延びてきた所以であるが、これを導き出してきた経験と知恵がこの本には書かれている。

本書には登山ばかりでなく、ビジネスマンとしての経験もドラマチックに書かれているが、それもわが道を行くドンの生き方そのもので示唆的だ。常に挑戦する心を持ち、決してあきらめないドンの生き方は、読む者に勇気を与えてくれる。ぜひ一読を。

以下は加藤幸彦さんから私に送られてきたメールです。皆さんにも紹介します。

カナダの加藤幸彦です。久しくご無沙汰をしていますが此方は女房ともども夏はゴルフとささやかな山登り、冬はスキーと結構忙しい毎日を過ごしています。

私事で恐縮ですが、昨年末より講談社から依頼されて書いていた本が今日(4月15日)発売になりましたのでご案内をさせて頂きました。私が書いた最初で最後の本となります。題名で講談社とケンケンガクガクやりましたが、私の案『ドン加藤の世界』は否決され、それなら勝手に付けてくれと言うことになり、こんな結果となりました。

下のアドレスをクリックすると本の紹介ページがご覧いただけます。

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2128322

男のロマン・・・「ドクター」の決断

先週、長山協の顧問の田村宣紀さんから一本の電話があった。「大西さん、今度清水ドクターが単身北海道の無医村に行くことになった。ついては内輪でその壮行会を開くのだが、出てくれるね。詳しくはあとでメールするから・・・」何がなんだかわからないままに二つ返事でオーケーした。

会は12日木曜日に行われた。当日参加したのは、清水ドクター、長山協の柳澤昭夫会長、西田均理事長、宮本先生、それに信毎の瀬木潔松本本社代表、マナスル登山隊に同行した飯島正直記者、企画した田村さんに私の8人。瀬木さんと柳澤さんを除いてはみなどこかの遠征でつながっている。清水ドクターは今までマナスル、ダウラギリなどの8000m峰を始めとして、チャンタン、チョモラリなど数多くの遠征隊に同行し、昨年は中高年の登山隊の隊長として青海省の「ガンシカ峰」の登頂を指揮し、見事に登頂を果たした。長野県内屈指の登れるドクターだ。信高山岳会の「カシタシ登山隊」では2000年の本隊に同行していただき、貴重なアドバイザーだった。ドクターは現在57歳、もともと小児外科が専門で現在は長野日赤の緊急外来を担当されている。

今回は、その職を辞され、北海道の襟裳の診療所へ単身で行かれるというのだ。ドクター自身も若いころからの夢をこうした形で果たすには、今しかないと決断したという。腕のいいドクターのこと、かなり引き止めもあっただろうし、心の揺れもあったにちがいない。金儲けしか頭にないような医者(失礼)も多い中、現代版「あかひげ」か、はたまた「華岡青洲」か。定年を待っていたり、しがらみのある長野県にいたりしたのでは、本当に自分のやりたい仕事はできないと決断したそうだ。赴任先は襟裳岬の東側の庶野という集落で、およそ1000人が医療対象とのこと。昨年9月に前任者がいなくなってから無医村状態が続いているのだそうだ。帯広から車で約2時間とのことだが、広尾から庶野までは冬は風が強く、雪崩や高波の危険もある難所で、この道は「黄金道路」という。このネーミングは札束を敷き詰めるほど工事費がかかったことに由来しているというのだから、まさに最果ての地である。森進一の歌ではないが、「何もない」ところからの出発を心から応援したい。信高山岳会のカシタシ登山隊に参加した皆さん、ドクターの出発は6月2日だそうです。向こうへ行ってからも時々は帰ってくるということですが、一度電話でもかけて旧交を温めてみてはいかがでしょう。

編集子のひとりごと

◆5月20日から22日にかけて山岳総合センターの高校登山研修会が開催されるが、歴史あるこの研修会が瀕死の状態だそうだ。顧問のみの参加、また生徒一人でも、二人でも結構なので、都合をつけて参加していただけないでしょうか?すでに締め切りは過ぎていますが、センターのほうではまだ受け入れは大丈夫とのことです。参加できそうな方もしくは学校は、直接センターまたはこのメールに折り返し返信ください。

◆今回は私事ですが、ともに遠征をしたお二人の最新の情報を掲載しました。加藤ドンは6月に長野で講演会を行います。次号で紹介します。お楽しみに。(大西 記)