不定期刊行            142号  2005.6.11

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制

一つのドラマ・・・県大会

熊伏山を舞台に行われた県大会。男子は大町が五連覇を果たし、女子は飯田風越が三連覇。両校の関係者の皆さんおめでとうございます。暑い千葉には、星野さんの代わりに小生が総監督として同行します。よろしくお願いします。

さて、この県大会、小生は熊伏頂上直下の最も厳しい地点での審査を担当し、審査終了後は、行きがかり上正規チームの最後尾の大町北の女子チームに同行(そのいきさつは下に書いた)して、全コース歩かせてもらえ、充実した一日だった。その大町北は、三年生一人、一年生が三人。しかもその三年生も三日前に入部届けを出したばかりといういわば急ごしらえのチーム。体力的にも技術的にも未熟ではあったが、その入部したばかりの三年生が一年生の精神的な支えとなって引っ張り続け、最後まで歩き通した。今回の県大会報告はその同行記。

今回の大会は運営上の理由で、二箇所で打ち切り時間を設けた。その一箇所目は熊伏山頂で、11時。その山頂までは、私が審査をしていた箇所から早足でも10分はかかる。疲労困憊の姿で最終の大町北のチームが私の審査している地点に現れたのは、10時45分を回っていた。選手の一人Aさんがやや過呼吸気味で、足が前に出ない。このペースではとても間に合わない。しかし彼女たちは「11時、11時。」と呪文のように唱えて必死に頑張っている。その姿を前に「お前らはもうとても間に合わない。」とは言えない。思わず「大丈夫、何とかしてやるから。」と励ました。しかし、Aさんのペースをこれ以上上げるのは危険だと判断した私は、審査員長の福澤氏に無線連絡し、「もしかしたら、北高は間に合わないかもしれない」と伝え、その場合教育的な配慮から数分の遅れを認めてくれるように嘆願した。もし駄目だと言われても、頂上の小林さんやスイーパーの矢嶋さん、一緒に審査していた筒井さんとも口裏を合わせて、彼女たちは11時に山頂を通過したことにしようという腹があった。幸い審査員長は格別な計らいをしてくれた。結果、終わってみればこのことが彼女たちを大きく成長させた。大会である以上、ルールを外れたことは問題があるかもしれない。しかし、もしここで打ち切りにしていたら、恐らく彼女たちの心には傷が残り、二度と山には登らなくなったのではないか。今でも僕はそう思っている。

山頂についてAさんの脈を測ると130を越えていたので、水分をとらせてしばらく横にして休ませた。さらに悪いことに足の裏には豆ができて、つぶれている。そのうちに落ち着き、脈も収まってきたので一安心。しかし、ここからがまた難関である。やせ尾根を注意して下り、もう一箇所の打ち切り地点である青崩峠の先の特区間のスタート地点に2時30分までに到着しなくてはならない。反射板から先の急な下りに一年生たちの足が出ない。しかしこの状況の中で、唯一の三年生Bさんは、リーダーシップを発揮してチームを引っ張っていくのだ。彼女は一年生の時から学校登山に参加し、家も八坂の山の中ということで多少の山経験はあったが、これが三日前に山岳部に入ったとは思えない非常にしっかりした足取りで、他の一年生に的確なアドバイスをし、自らも決して弱音を吐かずに、弱い一年生をサポートして歩くのだ。特区間のスタート地点に着いたのは2時09分。何とかスタートにも間に合った。しかし、すでに肉体的には限界を超えていたAさんは、この特区間の登りで、精神的にも完全に切れてしまい、歩きながら泣き出す始末。登っても登っても、ゴールが見えず、おまけに雨も降り出す中、Aさんの口から出てくるのは愚痴と悪態をつく言葉ばかり。しかし、そんな彼女の手を優しく引いて、他のメンバーにも心遣いをするBさん。そんな状況の中、後続のオブ隊の中にいた顧問の下岡さんが心配して駆け上ってきた。彼女たちにとっては、勇気百倍ではあっても、いったん切れたものはなかなか回復しない。とにかく、一歩一歩歩くしかない。しかしこのチーム、最後まで四人が気持ちの中で離れ離れになることはなかった。精神的にはもうボロボロであったに違いない。しかし、最後まで歩き通す。この一点で皆がつながっていた。結局彼女たちがゴールにたどり着いた時刻は5時を回っていた。一年生の三人にとっては、初めての登山が重い荷を背負って、しかも最後は雨にまで降られ、10時間という長丁場の登山。登山が嫌いになってもおかしくないシチュエーションである。僕は正直、彼女たちはもう山はいやだというのではないかと恐れていた。・・・しかし、テント場に帰って、人心地ついた彼女たちの口からは「先生、一緒に歩いていただいてありがとうございました。最後まで歩き通せたのは先生のおかげです。本当によかったです。」と爽やかなお礼のことばが出てきた。

後日談を下岡さんから聞いた。気丈なBさんは、登山行動中には弱音を吐くような行動は一つも見せなかったのだが、テントに入った瞬間に、緊張の糸が切れたのか、おいおい泣き出してしばらくは止まらなかったという。それを聞いて、僕も思わずウルウルとなってしまった。さらに翌日、下岡さんに頼まれて彼女たちを途中まで送ったのだが、Bさんがこんなことを言った。「特区間で下チャン(注:下岡さんのこと)が来た時、正直来ないで!って思った。なぜなら、あの時はホントに嬉しくて、もし下チャンが来たら、切れちゃいそうだったから・・・。下チャンの声を聞いた瞬間、正直ヤバイって思った。」と。こんなすばらしい話があるものだろうか。

彼女たちにとってはとにかく歩き通したことが何よりの自信になったのだ。そして顧問との目に見えない心のつながりや信頼感。生徒同士の励ましあい。たった一日の山行が本当に彼女たちを成長させたのだと思った。そんな素晴らしい場面を目の当たりにできて、今回の県大会は僕にとっても忘れられない大会となった。

編集子のひとりごと

今回の県大会、最終日、信高山岳会の初代会長の勝野順先生の講演があった。退職されてから9年、会場が天龍村ということもあり、久しぶりに大会へもフル日程で参加していただいた。一時は体調を崩されたこともあるが、最近はまたぼつぼつとマイペースで里山や自然歩道を歩いているとのことで、つい最近東海自然歩道1343kmを完歩したということだ。その勝野先生の話は、「自然に学ぶ」という話だったが、自然に身を置く中で身についてくるのは「やさしさと強さ」だという話であった。僕はこの話を聞きながら、前日仲間をいたわりながら、チームで協力して歩き通した大町北の生徒たちが一日で身につけた「やさしさと強さ」を思った。県大会は確かに競技ではあるが、この大会に出た生徒たちは、どのような形であれ、きっとなにがしかの「やさしさと強さ」を身に着けて成長したはずだ。今年もいい経験をさせてもらった。(大西 記)