不定期刊行            147号  2005.8.16

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制

千葉インターハイ極めて個人的な報告

クイズを出します。「長野県の最低標高点は一体何mでしょうか?」・・・こういわれて即座に答えられる人はまずいないだろう。最高は言わずと知れた奥穂山頂(3190m)だが、四囲を八県に囲まれた長野県の最低となると、「さっ」と答えは出てこない。「山高きが故に尊からず」とはいうものの、今回のインターハイは、行く前に思わずこんなことを調べたくなってしまうような山々を舞台に行われた。

行く前から低さと暑さが懸念されていた今回のインターハイの最高標高は、元清澄山の344mである。三日間の登山行動でこの元清澄山を始めとして、342mの八郎塚、330mの高宕山、337mの三郡山と千葉が誇る300m級の峰々を次々と制覇してきた。ここからは予報の受け売りだが、千葉というのは「日本一若い県、日本一昔の海の様子がわかる県、日本一火山がないのに火山の影響を受けた県、日本一もろい県、日本一地形が複雑な県、日本一低い山なみの県」なのだそうだ。

実際歩いて見ると、房総丘陵は複雑な地形の細かいアップダウンがだらだらとどこまでも続いていた。標高こそ低いものの、山は深く、谷は浸食が進んで深く切れ込み、深い緑の森がうねるように続いていた。房総半島は、関東平野の一部ではないという新たな認識を得た。複雑に入り組んだ尾根は、やせ尾根の連続で、わずか300m前後の山というイメージは大きく覆された。この複雑な地形は当然読図も困難にする。地図のコンターは読む気にはならないくらいごちゃごちゃとしていて地点確認も難しい。植生は信州のそれとは全く違う「照葉樹林」で、これもまたなかなか興味深かった。初日のコースでは今年の県大会(熊伏山)の時に話題を呼んだ「山ヒル」が身体を長くして待っていてくれたり、鹿の声が比較的近くで聞けたりと話題も絶えなかった。文字通り「山高きが故に尊からず」を肌で感ずることができた。もともと僕は何でも見てやろう式の「好奇心旺盛型人種」なので、どんな登山であっても新たな発見もある。

しかし、一方、高校生たちにとって、「あの山域で、この時期に」大会を開催したと言うことが本当によかったのかどうかは、大いに疑問が残るところである。僕らD隊は、大汗をかいても毎晩洗濯をし、温泉で汗を流し、クーラーをがんがん効かせて眠ることができた。しかし選手たちは、あの蒸し暑さの中で競技をした後、一日を除いて(各隊一日は風呂付きの君津亀山少年の家泊があった)は、汗を流すための風呂にも入れず、狭いテントでの生活を強いられた。夏山縦走といってしまえばそれまでだが、夜になっても熱帯夜のあの蒸し暑さは、日本の普通の山(ヒマラヤや中国の高峰へのアプローチでもあるまいに)では経験し得ない異常な状態だったのではないか。現地をはじめ全国高体連の皆様のご尽力には感謝している。たとえばヒル街道ともいっていい元清澄山のコースでは落ち葉をすべて掃いてヒルが出ないようにコース整備をしてくれてあった。これなど本当にどのくらいお礼をしていいかわからないくらいである。しかしそういうことに対しては十分に感謝を申し上げた上で、敢えて苦言を呈したい。

この山のハイシーズンの秋に、紅葉を愛でながらならわからないでもない。しかしその可能性は検討したが、他の季節には動かせないということでつぶされたという。また他県の山を借りて千葉高体連登山専門部が主管してやるという方法も検討はしたもののつぶされたという。結局登山競技という観点に絞って、実現にこぎつけたというのが大会前の専門委員長会議での本部の説明であった。しかしそれにより長い林道歩きや、猛暑の中でのテント生活という本来しなくてもいいような、競技のためのあるいは審査のための登山になってしまったのはなんとも悲しい。これは仕方のないことなのか?

今回は大方の予想よりは、涼しかったということにも救われて、大きなトラブルは少なかった。しかし、一歩間違えば熱中症の連発も充分考えられたところだ。千葉でインターハイができたことは、今後日本中のどこの県でも開催可能というお墨付きを得たことになるのだろうか?真夏の炎天下、甲子園で行われる野球でさえどんなに長くても1ゲーム3時間になることはないだろう。しかし、登山の場合は登山行動が平均7時間、それに加えて設営、炊事と朝から晩まで一日緊張状態におかれ、それが丸3日も続くのである。この緊張感の中で低山しかも高温の大会となれば、心配しない方がおかしい。せっかくの全国大会である。やはり、高校生にはいい登山を味わわせてやりたいものだ。今回の大会は閉会式の主催者の講評や挨拶などではマイナス要素の総括はなかった。しかし、登山大会とは一体どうあるべきなのか、いい登山とはどんな登山なのか?ぜひ、そういう観点に立った総括をして今後の登山大会へと活かしてもらいたいと思う。

繰り返すが、千葉の山そのものは、僕個人にとっては、魅力的な部分も多く、新たな発見をさせてくれるものであった。そして、機会があれば、紅葉の時期に、また真冬のひと味変わった登山にと訪れてみたいという気持ちを持たせてくれるものであった。しかし、そう思い得る原因は山の持つ魅力以上に、下山後の温泉とそこでのゆったり感が大きかったと思う。それがなかったら、果たしてこのような気持ちになれたかどうか?甚だ心許ない次第である。

以下、蛇足・・・試みに冒頭のクイズの答えを調べてみると、木曽川の岐阜県境が320m、千曲川が新潟に流れ込む栄村森で260m、天竜川の静岡県境が250m、姫川が糸魚川市に流れ込む地点が180mということだった。したがって恐らく180mというのが長野県最低標高点であろうと思われる。長野県人というのは高地民族なのだと改めて認識した。違っているかもしれません。正しい情報をお持ちの方はご連絡を!

編集子のひとりごと

月刊新潮の8月号で沢木耕太郎「百の谷、雪の嶺」を読んだ。これは山野井泰史、妙子夫妻へのオマージュである。山野井については、丸山直樹の「ソロ−単独登攀者」(山渓刊)がその素顔を明らかにし、山野井自身もまた、「垂直の記憶」(山渓刊)で自分自身のクライミングの半生を綴っている。この沢木の「百の谷、雪の嶺」は、2002年の山野井夫妻によるギャチュンカン北壁の登攀の一部始終の聞き書きである。沢木は平易な言葉を用いて、山に興味のない者にもわかるように丹念にこの登攀を記述している。ギャチュンカンといえば1964年古原和美先生の率いる長野県山岳連盟(当時;現山岳協会)が初挑戦で初登頂したことは当時としては大きなエポックを画した。1月にネパールに行き、空から見たときあの独特な格好はエベレストの隣にあって一際目立つ秀峰だった。チベット語で「ギャ」は「百」、「チュン」は「谷」、「カン」は「雪山」を表すのだそうだ。だから題名は「百の谷、雪の嶺」。夏休みの読書にいかが?(大西 記)