不定期刊行            150号  2005.9.21

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制

ランプの下、囲炉裏を囲んで・・・船窪小屋の一夜

17、18日の二日間、信高山岳会の例会で北葛から船窪、不動、南沢、烏帽子と渋い山をやってきた。「今回は信高としては珍しく小屋泊まりだから、参加者も多いだろう」との予測に反して、同行者は松田さんと私の二人きり。山行そのものは、信高ニュースで松田さんが報告することになっているので、ここでは全く違った観点からこの山行を書いてみたい。

僕ら二人にとってこの地域はぽっかりと抜けた穴のような場所。それを埋めるためにだけ行ったような側面もあるのだが、どうしてどうして、素晴らしい山旅であった。何がそんなに素晴らしかったかというと、とにかく船窪小屋がよかった。船窪小屋のオーナーの「松澤宗洋」氏は大町高山岳部ならびに大町山の会のOB、また「おかあさん」も同様に大町山の会のOBである。北アルプスで未だにランプを使っているのは、ここと徳本の小屋だけだという。年間の宿泊客も1000人程度というこの小屋には昔から一度行ってみたいとは思っていたのだが、行ってみて一度にファンになってしまった。

以下、船窪小屋のホームページから少し引用させて頂こう。「船窪小屋には電気がありません。明かりはランプ、暖房は囲炉裏でとっています。冷蔵庫もありません。野菜はすべて岩室に保存してあります。私共は朝、茜に染まる空とともに起き、星の輝く夜までお客様のお世話をさせてもらっています。妻寿子6?歳、料理と掃除担当です。自慢とするところは体が丈夫ということと、労をいとわずよく動くこと、料理が好きなことです。夫宗洋65歳、道普請と大工仕事(18歳で棟梁の父に弟子入りしたが途中でやめたので大八さんと呼ぶ)を担当しております。北葛乗越〜不動岳の頭、針ノ木谷出合、七倉尾根と、北アルプスで一番の悪場ですので、夏は3kg位体重が減ります。二人とも厳しいコースを歩いてこられるお客様に、少しでも歩きやすい登山道と、美味しい食事を提供できればと思っています。」ランプと囲炉裏の小屋のホームページとは何とも可笑しな取り合わせだが、このことば通りの暖かなもてなしに豊かさとは何かと言うことを改めて考えさせられた。

小屋番は松澤ご夫婦に、大阪から来ているという愛らしい岡ちゃん、それにネパール人ペンパさんの4人だけ。年に4回だけヘリで荷揚げをしているとのことだったが、裏を返せばそれで充分まかなえるだけの人数しか訪れる人がいないということでもある。しかし、料理は手作りのあたたかさの伝わってくるものだ。電気がない故、野菜主体の料理だが山の幸を活かした天ぷら、豆腐、蕗みそ、マリネ、古代米のごはんにデザートまで。すでに夕食までにしっかりできあがっていた松田さんと僕だったが、この料理には大満足。そのあとは、ネパールティを飲みながら、囲炉裏の火を囲み、松澤夫妻の昔語りに耳を傾ける。65歳の宗洋さんは今でも、この小屋につながる「北葛乗越〜不動岳の頭、針ノ木谷出合、七倉尾根」の道を自分自身で普請しなければ気が済まないそうだ。実際、このコースを歩いてみると、信州側の崩落は予想以上の悪場の連続で、道普請といっても並大抵のものではないはずだ。特に目立つ山があるわけでもない山域にあって、この山を守り続けている人がいる。まさにこの山に魅せられ、この山を愛しているからこそと本当に頭が下がる思いである。深夜、小キジのために起き外に出た。すると、ぽっかりと空にかかった中秋の名月の向こうに、槍ヶ岳の尖塔が浮かんでいた。後ろには剱も大きい。この幻想的な姿を見ているとなんだか心が洗われてきて、この山の良さの一端に触れることができたような気がした。

敬老の日のプレゼント

一度行き始めると、しょっちゅう出かけるようになる山がある。木曽に通い始めて7年。御嶽山がそんな山の一つになった。もうかれこれ20回近くは登っているだろうか。年老いた両親が、歩けるうちに一度御嶽山に登りたいと言っていたので、一日空いていたし、19日はたまたま敬老の日でもあったので、誘ってみた。コースは一番距離が短く、標高差も少ない田の原からにした。父は退職後、母と日帰りであちこちの山には出かけているが、やはり3000mの山ということで、御嶽には年寄りだけで行くのは尻込みしていたのであった。父はせっかくだからと妹(僕の叔母)も誘い、メンバーは4人となった。父は仕事の関係でかつて僕と同じように木曽に赴任していたことがあり、その当時二度ほど母や叔母、そして僕の妹を御嶽に連れて行ってくれたことがあった。しかし、理由ははっきり覚えていないのだが、なぜか僕はその時二度とも同行していない。いずれの時も、御嶽は真夏というのに随分天気が悪く寒かったそうで、一回目はもう亡くなってしまった父のもう一人の叔母と僕の妹が、もう一回は母が頂上へは登れなかったのだという。25年近く前でさえそんな状況だったのだから、年をとった今、70を遙かに越えた両親が3000mの高さに尻込みするのも無理はない。行く前に三人は随分警戒していて、心の中では、行けるところまでいってだめなら待っていようというくらいのつもりだったそうだ。

8時45分、入念にストレッチをしてからゆっくりゆっくり歩き出した。様子を見ながら、「あかっぱげ」で一本。8合目からはイワギキョウやイワツメクサに癒される。残念ながら富士は見えなかったが、「富士見石」で2回目の休憩を取る。ゆっくり歩いているせいか3人とも呼吸の乱れもない。「一口水」で喉を潤し、精気を養い最後の一登り。結局休憩3回、コースタイム通りの2時間半で王滝頂上まで登り切ってしまった。一休みをした後、剣が峰まで登った。遠望こそ利かなかったものの3067mの頂上に立てて、三人の年寄りは大喜び。せっかく来たのだからと、帰りはあまり訪れる人のない奥の院にまで足を伸ばした。するとそこはなんとクロマメ畑。思わぬ恵みにまたまた満足。上から田の原まで一直線に続く来し方を見下ろして、自分の足の偉大さに感激しながらも、下りは少し膝がガクガクさせて下山した。最後にもう一度ストレッチで筋肉を伸ばしてから温泉に直行。ゆったり気分で帰りの車の中では三人とも饒舌だった。今年初めての御嶽登山は、両親たちにとっても僕にとっても思いがけず思い出深いものとなった。

編集子のひとりごと

烏帽子岳と南沢岳の鞍部に広がる船窪地形があんなに素晴らしい場所だとは知らなかった。この景色は南沢岳の方から見ないと本当の良さはわからない。北葛から船窪、不動と厳しい縦走路を辿ってきて、眼にした池塘とお花畑、白い花崗岩と這い松の造形には本当に癒された。渋好みだが、静かな山を楽しみたい向きにはお薦めだ。(大西 記)