不定期刊行            151号  2005.9.30

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制

山梨からの便り

山梨の秋山先生(詳しくは編集子のひとりごと参照)から頂いたメールを紹介する。

先日、山梨では顧問研修会が開かれました。担当の性格、好みによりマニアックな研修会となってしまいました。目的は、セルフレスキューとザイルワークということでしたが、より実践的に?ということで、ケービングということになってしまいました。会場の青木が原樹海の本栖第1風穴は、深さ約24mで、横に400mほど延びていて、青木が原では大きいほうに入るそうです。直径3mほどの入り口から、漆黒の地底に約24mの空中懸垂で降り立ち、そこから横穴を進みます。溶岩から噴出した高圧ガスにより、複雑で美しい表面形状がライトで照らし出されます。ほふく前進の場所もあり、かなり難渋しましたが、漆黒の地底世界の中の美しさと、自然の力強さにかなり衝撃を受けました。400mの半分ほどでタイムオーバーとなり、いよいよ今日の核心部、25mの空中登攀です。これを越えなければ地上には出られません。あらかじめセットしておいたワイヤー梯子を上るのですが、これが思ったより大変でした。超肥満体型のため、フットワークが悪くどうしても腕に負担がかかってしまいます。その上、梯子が左右に回転を繰り返すので、バランス保持のため腕がパンパンになってしまい、ロープで引っ張り上げられ無様な状態での生還となってしまいました。私ともう一人を除いた他のメンバーはスイスイ上っていきました。このとき「ダイエット」の何十回目かの決意をしたのですが、昼の研修の疲れを癒すべく、夜はビール三昧となってしまいました。自分ながら、意志の弱さに唖然です。以上近況報告です。  (秋山)

読むだけでわくわくするような内容だ。加えて講習会ということで、どんな対象でどこが主催しているかなど、興味があったので、それらの点について、私の方からさらに山梨県の状況をお知らせ下さいと返事をおくったところ、再度次のメールが届いた。

本県の現状も大変厳しいです。9月と2月の年2回高体連主催で顧問研修会を実施していますが、参加者は少ないです。加盟校は15校、顧問は三十数名ですが、七,八名の参加です。今回は7名でした。一昨年までは夏の研修会は沢でしたが、どうしてもイワナに目がいってしまい、十分な研修ができないことと、年々参加者が減少してしまうことから目先を変えてケービングにしたところです。初回の昨年は、女性2名が参加しましたが、懲りたようで今年は参加しませでした。冬の研修会は山スキーです。以前はテント泊でしたが、参加者が限られてしまうためと、顧問の高齢化、軟弱化に伴い最近は宿舎、それも温泉泊まりとなっています。なお、県山岳連盟主催の研修会には、個人レベルで数名が参加しています。以上が山梨の現状です。  (秋山)

中信でも安全登山研究会が10月〜11月中に顧問向けの講習会を行う。詳細は今下岡さんが立案しているところだが、夏の研究会の時には、初日はセンターの岩場を使ってレスキュー講習会、夜は大懇親会、2日目はみんなで大町高が開拓した登山道から「鍬の峰」に登ったらどうだろうかという案が出された。近々案内が届くと思うが、多くの方々の参加を要望する。

中信から山岳部の灯を消さないで

美ヶ原は何度登ってもいい山だ。今年の中信大会は23、24日の両日山城牧場をベースに美ヶ原を会場に開催された。ところが、今回の参加校は松本県ヶ丘、松本美須々ヶ丘、池田工業、大町の4校のみだった。しかも女子の参加はなし。過去最少の参加校数になってしまった。たまたま県ヶ丘が2桁参加をしてくれたおかげで、チーム数は8チーム確保できたものの、なんとも寂しい大会になってしまった。このままでは、中信から山岳部の灯が消えてしまう。なんとかしなくちゃ・・・。

そんな中、顧問だけは元気だったような気がする。それがせめてもの救いである。顧問も元気がなくなっちゃったら、もうどうにもならない。この元気をカラ元気に終わらせないように、みんなで情報を交換しあって、なんとか中信から山岳部の灯を消さないようにしなくては・・・。おりから大会2日目の24日は午後から、高校改革プランに絡み、僕が事務局長をしている「定時制通信制のあり方を考える長野県ネットワーク」の第2回集会が行われたので、僕は朝早くそちらに向かったのだったが、こっちのテーマは「定通制の灯を消さないで」というものだった。学校から山岳部をなくしてはならない!長野県から現在の定通制をなくしてはならない!そのために、みんなで知恵を寄せ合おう。

編集子のひとりごと

冒頭掲げた山梨県の甲府西高の教頭先生の秋山さんとは、僕が全国高体連の常任をしている時にお近づきにさせて頂いた。当時先生はインターハイ常連の韮崎高校の山岳部の顧問で、97年の山梨インターハイの登山隊長として全国の常任をされていた。たまたま僕はそのころ美須々で女子バスケットの顧問もしており、韮高には年に一度(春休みかGW)練習試合にお邪魔していたのだが、当時(今も?)の韮高女バスはインターハイ常連、またサッカー部も強く、グラウンドにはサッカーの中田英寿選手がいたりして、学校中に活気があった。・・・あれから随分経ったが、今年は金峰山で行った北信越大会の時にも山梨の方が近いからと、旧交を温めにわざわざ来てくださった。現在秋山さんは日山協の役員もこなしておられるため、インターハイの時にも技術顧問として来ておられ、一緒に登山を楽しみ、ゆっくり飲んだ。

さて、このところ、猛烈な忙しさで「かわらばん」を書いている間もない位なのだが、こんなとき、こうした読者の方の投稿に助けられる。自分では書かなくてもどこからともなく集まってくる記事や読者の皆様の励ましに支えられて「かわらばん」も150号を越えた。これからも投稿は常時受け付けておりますので、よろしくお願いしたい。

ところで、猛烈な忙しさではあるが、山だけは登っている。9月に行ったところだけ書き連ねると、2〜4日に後立山(既報)、13日に中信大会下見で美ヶ原、15日は同僚の先生と柿其渓谷で沢登りに再チャレンジ、17〜18日は北葛から烏帽子(既報)、19日は御嶽(既報)、23〜24日は中信新人戦(既報)、29日は木曽高定時アウトドア部の活動で王滝村白巣峠へ、と数えてみたら11日も山に入っていた・・・。自分でも数え上げてちょっとびっくり。明日10月1日〜2日は長山協キャンプで廻り目平でちょいと岩登り。そして3日は高体連の定通大会の代休日なので、天気がよければ常念にでも行ってこようかと思っているところだ。(大西 記)