不定期刊行            157号  2005.11.20

中信高校山岳部かわらばん

     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制

定時アウトドア部第4回活動小秀山(1982m)道なき道を行く

11月10日前々回のアウトドア部の活動の時に気になっていた「小秀山」に一年生のT君を誘って登ろうと計画した。王滝村と付知町の境界上に聳えるこの山は、いわゆる阿寺山地の最高峰である。ノーマルルートは美濃側であるが、前々回に王滝登山口を覗いた限りでは、刈り払いがされた道が開かれており、登山口の道標もしっかりしていたので、木曽側からも3時間もあれば登れるだろうと高をくくって出かけた。

王滝村でT君と合流し、10:30、「小秀山3時間半」という道標のある登山口から登り出す。道は刈り払いがされているが、尾根まで一気に登り上げる急登だ。20分で稜線に出た。僕は地図を見て、このまま稜線を辿るのだろうと見当をつけていたのだが、稜線に出たところでT君が「先生、親父が一度沢に下りるといっていましたが、この稜線から下るのですか?」と妙なことをいう。実はT君の父親は元御嶽地区の遭対協の隊員で、このあたりの山には詳しい。またT君の兄も木曽高一年を終えたところでオーストラリアに留学したが、一年の時には全日のワンゲル部員でもあった。そんな山好きに囲まれて育ったT君のことばであったのだが、僕は地図を見ても、またこの稜線の実際の感じから見ても、このままこの稜線を辿っていけば小秀山には最短で着きそうな感じがしていたので「まさか沢に下りることはあるまい」と返事をしたのだった。しかし、ソヨゴの赤い実の目立つ稜線上のマイナーピーク(1530m)を越え、3mほどの岩を巻き込んだ先から、稜線上はロープで通せんぼされており、赤布に導かれた道は下へと続いていた。結局そこから7分ほど下り、沢に出た。5分ほど沢を遡上したところで、対岸にとりついて登ることになり、結局T君の言ったとおりになった。これまた猛烈な急坂だが、クマザサは刈り払いがされていて、道は広い。沢を挟んで対峙していた1953mの峰を経由して北東の稜線伝いに頂上に登っているようだ。

もともと杣道だったのだろう。ところどころ朽ちた木橋があり、このあたりまではまだよかった。15分ほど登ったところで、道が巻道とそのまま上っていく道とに分かれていた。赤布が巻道にあるのを確認して進むが、笹が深い中、足を取られて進みにくいことこの上ない。どうもこのあたりから道が怪しくなってきたが、赤布を信じて進んだが、突然、刈り払いが途絶え、道は行き止まりになった。深い藪にこの道を進むことは断念。苦労して分岐まで戻って、尾根通しに暫く登っていくと、かなり広い範囲で一面白くクマザサが枯れていた。(写真)非常に珍しい光景である。

そのまま尾根をまっすぐ登っていくが、ときどき道が不分明になる。これは「下るときに間違えたら大変だ」と地形を頭に入れながら登っていく。稜線に出ると、そこは風衝性の矮小低木の生える奇妙な草原が広がっていた。景色はよく中央アルプスがよく見え、ここからは目指す小秀山は指呼の間に見えた。ところが・・・。暫く草原を進むと道はあたり一面再びクマザサに覆われる林に変わった。稜線通しに行くものとばかり思ったが、刈り払いの道はトラバース気味に尾根の南を巻いていく。ササは次第に深くなり、刈り払ってはあるものの、足は取られるは、斜面に沿って滑るはで、大変な難行苦行の藪こぎになってきた。そのうちに道は下り始め、小秀山とのコルからは離れていく。これはおかしいぞと思いながらも進んでいくと、またしても道は刈り払いが途絶え、突然深い藪に阻まれてしまった。その先はどう考えてもコルに行くにはロスが多すぎる上に、藪が深すぎる。T君と二人大声で「馬鹿野郎!」「誰だ!こんな思わせぶりな道を作ったのは!」とやり場のない怒りを爆発させた。

どこかで、稜線へ出る道を見落としたのだろうか?やりきれない思いを胸に、稜線に出る道を探しながら這々の体でもとに戻る。しかし、結局稜線へ出る道は踏み跡さえ発見できずに風衝低木の草原に戻ってしまった。すでに12:50。仕切り直しの意味も込めて、ここで昼食とした。地図を見て現在地を確認し、再度ルート探索をするがどうしてもそれらしい踏み跡はなく、後は藪こぎで強引に行くしかないという結論に至った。

同行のT君は幼い頃からそこそこ経験あるとはいえ、一年生。帰り道とて、ストレートに帰れる保証はない。授業までに学校へ帰らねばならないという時間的な制約。それらを考慮し、13:30を最終リミットと設定してもう一度道を探すことにした。しかし結局時間切れで、それらしい道をさがすことはできなかった。今度来るときは雪でササが覆われた時にしよう。そうT君に言って、登頂は断念した。最高到達点1900m。

帰りは下る尾根を間違えないように注意深く下り、なんとか沢まで下りることができた。再び対岸に登り返して稜線上から沢を挟んで、小秀山とそれに繋がる稜線を望むと、さっきまで立っていた風衝性の草原が目線よりはるか高い所にある。(地図で見る限り標高差は400mほどある)見ている限りは、稜線伝いに簡単に行けそうだが、まさに見ると聞くでは大違い。あれほどのササに覆われていれば、なまじっかの覚悟では行けない。T君とその光景を見ながら、「えらいところまでいってきたものだ」と無事帰還を祝った。しかし、登山口には道標もあり、道も刈り払われていた。T君の父親のことば通り沢にいったん下りた。また沢に下りるべく、稜線上にはロープで通せんぼがされており、下る道にはテープと赤布で目印がされていた。目指す小秀山は間違いなく同定できた。それなのに行き着けなかった。途中には赤布はあったが、それに惑わされて妙な道に入り込むこともあった。また入り口以外に道標は一切なかった。果たして沢に下りたのは正解だったのか否か?またいったん下りた沢から対斜面にとりついたことは正解だったのか否か?いくつかの疑問が残った。いずれにせよ、入り口の道標に誘われて登っては見たものの、この山に登る適期はやはり積雪期であろうと予測された。

ま、このような冒険山行もまたよしである。ズボンをかぎ裂きにし、裾は真っ黒にして何度もこけたT君だったが、下山後は笑顔で「楽しかった。」と一言。そのことばに救われた。よし、雪に覆われたころ雪辱戦に出かけよう・・・。そう決意した。

コースタイム 10:30 登山口 10:50 稜線 11:00 1530m 11:08 下降開始 11:15 沢と合流 11:50 巻道どんづまりで引きかえす 12:15 稜線(1900m) 12:30 再度引き返す 13:25 下山開始 14:30 登山口着

編集子のひとりごと

予期せぬ藪こぎはT君にとってはしょっぱいながらも魅力的な経験だったようだ。それにしても、山は舐めたらあきません。雪辱戦、誰か一緒に行きませんか?(大西 記)