不定期刊行            171号  2006.3.28

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

             木曽高等学校定時制

岡谷南高校の「登山記」

一冊の小冊子が届いた。題名はズバリ「登山記」である。部員たった1人の山岳部、岡谷南高校の山岳部の一年間の活動をまとめたものだ。顧問の松本佐知子先生の熱意が伝わってくるような手作りの一冊だ。一年間に行った山行について、歩いたコースを地形図に落とし、行程などの記録もきちんと整理し、一つ一つに生徒と先生の感想文が書いてある。まさに一年間の松本先生の山岳部に対する思いが伝わってくる、肌感覚の「登山記」である。特筆すべきものと思う。全24ページのこの小冊子を僕は一気に読んでしまった。常勤講師として頑張っておられるこんな素晴らしい先生がいらっしゃることに僕は感動すら覚えた。以下の文は、この冊子の末尾に松本先生が記述されている「南高山岳部復活への思い」と「ご自身の山への思い」を書かれた文章から抜粋した。

◇復活をかけて

2年間部員ゼロ、3年間は活動なしで、廃部の危機にさらされていた。そんな中で同僚の先生に激励されて、今年度こそは、活動を復活させようと意気込んでいた。そこへ久々に新入部員が入った。部員が1人だけでも山に登りたいというKさんの熱意に圧倒された。そこで新入生歓迎会で勧誘、また5、6、7月の山行では、校内にポスターを掲示して生徒の参加を呼びかけた。その結果、何人かの生徒が興味をもって参加してくれた。1年終わってみて、結局部員は1名のままだったが、準部員のような存在のHさんのおかげもあって、今年度の活動を行うことができた。顧問は私1人だったので、毎回引率の先生をお願いすることになった。それぞれ他の部活をもっているにもかかわらず、快く引き受けてくださった。・・・・

◇山歩きを始めた頃

ふと、自分が山歩きを始めた頃のことを思い出した。大学で地学を学んだことがきっかけだった。あの頃は、どんな山を歩いていても楽しくて、次々と目標を立て、より困難な山へ挑戦していった。日帰り登山からテント泊縦走へ、夏山から春山へ、そして冬山へ、また岩や氷の世界へ、と夢は限りなく広がっていった。朝焼けの穂高連峰、夕立でずぶぬれになった雲ノ平、延々と続く南アの稜線から見た雲海、豪雨の後で川に流されそうになった北鎌尾根、残雪と新緑の谷川岳一ノ倉沢、雨の中を登った屏風岩、後立山連峰の雪稜では雪焼けで真っ黒になった、凍てついた甲斐駒ヶ岳の氷瀑とラッセル、そして冬の岩壁・・・。1つの山を登ると、またひとつ新たな目標が見えてくる。本当に山は奥が深い。そして一緒に登った仲間の間には、かけがえのない絆が生まれる。

なぜ山に登るのか?「そこに山があるから。」と答えた有名な登山家の言葉がある。私の答えは、未知の世界への憧れ、厳しく美しい自然、克己、素晴らしい仲間がいるから・・・であろうか。

難しい山だけが価値があるわけではない。生徒達には、自分にあった目標を立て、自己を高めつつ挑戦していってほしい。きっと町では得られない、たくさんの発見があると思う。(以上 松本佐知子記 岡谷南高校「登山記」より)

木曽高校定時制アウトドア部山スキー行 1(田中岳 記)

前日の睡眠不足がたたってか、御岳ロープウェイまでの道のりでひどい車酔いを満喫中の僕は、全開の窓にしなだれかかったまま到着するまでついぞ自分が起こしたハプニングに気づくことはなかった。大西先生が駐車場に車を止めると、「助かった」と安堵するのと同時に「今日は欠席した方が良かったかもしれん…」と今ごろになって後悔する。だが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。まぁ、とりあえず準備するか、と思い立った矢先……「あれ……眼鏡、無い」そう、ハプニングなのである。

あわてて車内を探すも、それらしいものは全く見当たらず、これはどうやらどこかに落としてきてしまったらしい。走行中は気分が悪くてほとんど目をつぶっていたから、どのあたりで落としたのかす見当がつかない。もちろん、眼鏡が見つからないのは困るが、団体行動である以上、そんな個人的トラブルにそうそう時間を割いてもいられない。それでも「じゃあ、みんながスキー靴を合わせている間に見てくるよ」と大西先生が、酔ってそこらへんにうずくまっている注意散漫のバカ者(筆者)の変わりに、来た道を引き返してわざわざ探しに行って下さった。

本日のパーティーは大西先生、今井先生、校用技師の横川さんとそのご友人の水野さん。そして、まだ登り始めてもいないのに皆様の足を引っ張っている僕の5人。ちなみに最後の今回が初めての山スキーで、その登山経験の無さと言ったら、ずぶ素人も同然である。横川さん達がてきぱきとスキーのビンディングに靴を合わせていく中、未だに快復しないそいつは、自分の靴を合わせるでもなく、やはり気分が悪そうにうずくまっているのだった。結局、僕の靴も誰か親切な人が合わせてくださって、ますます気まずい面持ちでいたところ、大西先生が帰還された。惜しくも眼鏡は見つからなかったのだが、後でまた探そうということになって、とりあえず捜索はここまで。

一行、ロープウェイに乗って山スキーへ出発した。ゴンドラを降り、ゲレンデの最高所に到達すると、我らは大西先生を先頭に、更なる高みを目指して森の中へと踏み込んで行くのだった。深雪を踏みながら、林間コースを登る。当然、雪上には山道など無いから、緩やかな勾配はほぼ真っ直ぐ、急な所はつづらおりのようにクネクネと曲がりながら、と言った具合に適切に登り方を切り替える。(もっとも、僕は後ろについていっただけだから、そんなことは露ほども意識していなかった)

森の中には、スキー靴と金具がぶつかるカチャン、カチャンという音が響いている。若干一名の足元に限って言えば、ボフ、ボフと雪を跳ね上げるやぼったい音もしていた。(以下、次号に続く ※筆者注:田中岳君は1年生の生徒です)

編集子のひとりごと

岡谷南高校の「登山記」は、ご希望の方があれば、おわけいただけるそうだ。希望者は大西まで連絡ください。僕登山文化であると考えており、山行のたびに生徒にも、そして自分にも簡単なものでもいいからと記録を義務付けている。単なる自己満足という側面もなきにしもあらずだが、そのときは億劫でも、あとでそれがいろいろな意味で役に立つことも多い。部員たった一人の南高山岳部、松本先生は年度末で今度は田川高校へ異動されるとのこと。引き継いでくれる顧問がいることを祈りたい。さて、後半の文は先日行った「御岳山スキー」の生徒からの報告です。次号に続きます。(大西 記)