不定期刊行            183号  2006.8.4

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

北信越国体少年男子1位、少年女子も次へつながる活躍

今年の北信越国体は、7月29、30の両日駒ヶ根市を会場に行われた。長野県関係では、まずは少年男子の1位獲得、本選出場に拍手を送りたい。メンバーは、村主監督(岡谷工業)、選手は武井君(大町北)笠原君(大町)鈴木君(中野実業)。初日クライミングでは、武井君が個人2位、笠原君が個人3位と総合力で1位をゲット。翌日の縦走でも鈴木君が個人3位と好位置をキープ、武井君も頑張って種目3位と粘った。この結果、得点の上では、2位の富山県と同点(総合は各種目の順位の合計を比較して少ない方が上位)で、総合は1位を分け合った。しかし、ただ一枚の全国への切符は、クライミング、縦走ともに2位の富山県に対し、クライミングで1位をとっていた長野が手にした。長野県の少年男子が本国体へ進むのは、3年ぶりのことである。国体少年の部から踏査競技が消え、クライミングが導入されるという新たな動きに少しく乗り遅れた感のあった北信越地区の中でも、さらに遅れをとっていた長野県だったが、ジュニア層の発掘、指導者層の熱意、長山協と高体連の協力などが少しずつ結実してきている結果が現れたものと思う。特にクライミングの2人は、いずれも山岳部に所属し、特に笠原君はインターハイにも出場する。そういった意味では、嬉しい本大会出場である。

一方、少年女子も、決して身びいきなしにあと一歩のところまで来ているという実感を持った。選手はまだ2年生であり、来年もある。悔しさは次へのステップである。監督の今滝さん(白馬)も自前の生徒でのチーム編成に、来年度こそはの思いは強いだろう。ともあれ、今年、来年の二年をもって、現行のスタイルの国体は終了し、再来年度からは「クライミング」「ボルダリング」の2種目となる。このことの是非は別にして、この形に向けて、長野県として体制は少しずつ整ってきている。

ちなみに、今回のルートセッターは飯山建二さんと森山議雄さん。日本を代表する二人を中心にしたすばらしいルートセットであった。グレードは成年男子が5.12b、成年女子が5.11d、少年は男女ともに5.11cとのことだったが、全国大会では、成年男子で5.13、成年女子で5.12bからc、少年でも男女ともに5.12a程度のグレードが予想されるとのこと(森山さんによる)で、全国レベルの国体クライミングはますます進化している。

話は飛ぶが、一方で「縦走」にかける選手の活躍も応援したい。成年男子のチームリーダーの山口辰也さんは40を越えてなお、縦走競技に挑みつづけている。いわば長野県の顔、ミスター縦走である。山口さんは、中野実業のクロスカントリースキー部の出身であるが、宮本先生(中野実業)の薦めもあって、国体山岳競技にもずっと挑戦してきている。本国体での順位も、年とともに上げてきているから驚きだ。北信越では今年も敵なしで、見事に個人優勝を果たした。もうここ数年北信越では負けたところを見たことがない。「来年、国体から縦走がなくなるまで、走り続けます。」競技終了後、こう言って本国体での活躍を約束してくれた山口選手のことばは、頼もしいものであったが、一方で寂しい思いも湧いてきた。後2年、彼の走りにも注目したい。

裏方から見る北信越国体・・・どうなる国体?

今回の北信越国体には、私は全くの運営の立場での参加であった。昨年の準備段階からの県当局との折衝、地元駒ヶ根市との打ち合わせ、長山協内の主管支部の伊那支部との調整などを経てやっとこぎつけた大会開催であった。この間長山協の西田理事長、唐木国体委員(元副会長)、森山副会長、中島伊那支部長などの皆さんの献身的な力でなんとか大会は回っていった。日ごろ大会とは無縁の社会人山岳会の人々にとっては、山岳競技そのものが全く手探り状態であったと推察されるが、クライミングは長野のクライミング界のドン「森山さん」を中心にしたチームワークで、また縦走は「長山協伊那支部の皆さん」を中心に、なんとか運営できた。

しかし、実際に裏方になってみると重要な問題点が今さらながら浮かんでくる。クライミングについては、その華やかさとは裏腹に実際に大会にこぎつけるまでは困難の連続だった。事務局長として、県とは予算折衝の段階から何度も説明を求められた。現在、クライミングの大会は、どのレベルの大会であれ、ほとんどが仮設壁での大会になっている。前回の長野(白馬)での開催のとき、人工壁の設置にあたって、県と白馬村には巨額とも言ってもいい協力をお願いした経過もあり、今回はそれを全く使わない形での開催に当初県当局は、首を縦に振らなかった。かわらばん177号にも書いたとおり、今回の北信越国体の施設整備費は全競技を通じて800万円、これを12競技で分配するのだが、うち350万を山岳競技が占めているという現実。この現実を、上部団体である「日本山岳協会」はいったいどう考えているのか?今回もこの仮設壁は大会終了と同時に撤去された。幸い、今回の壁については、後利用を考えると言うことで、県からも理解をいただいているので、全く無駄にはならないが・・・。次回の大会からは、ボルダリングも入ってくる。いったい誰がお金を出すのだろうか?

編集子のひとりごと

明日から、10日ほどチベットへ行くことになった。ご承知のように、長野県山岳協会とチベット登山協会は、1987年に友好兄弟協定を結び、来年で20年になる。この間、様々な交流がされてきたが、20年の間には双方の事情にも変化が現れてきている。協定そのものは、もともと精神論であり、時代が経とうともいささかも揺らぐものではないが、20年をともにいい形で迎えたいということで、原点に立ち返って両協会のトップ会談を設定したというのがことのいきさつである。長野からは会長の柳澤昭夫さんが行かれるが、不肖私も、長山協の末席を汚すものとして、お供することと相成った。実は、柳澤さんも私もチベットは初めてであり、どんな形の会談になるかは分からない部分もある。しかし、長野県山岳協会の今まで培ってきたものに新たな命を吹き込むべく、そしてまた高校生も含む若い世代にどんな形をつなげられるかを一つの命題にして、話をしてきたいと思っている。

そして、極めて個人的な話題で恐縮ではあるが、今回この旅には大学生である愚息も同行させることにした。かつて、「長野県高校生訪中登山交流会」を行っていたころ、高校生たちが、僕に見せてくれた姿は今も強烈に焼き付いている。今回は中身がどんな形になるかは未知の部分もあるが、今、大学でノホホンとした生活を送っている愚息にも、この旅が何か刺激を与えてくれることになればと思っている。親バカ・・・。(大西 記)