不定期刊行            184号  2006.8.16

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

不思議の国チベット その1 旅の始まりは西安から

8月5日、早朝3時30分、松本を出発、名古屋国際空港へ向かう。同行するのは長野県山岳協会の柳澤昭夫会長と大学生の愚息。今回は、長野県山岳協会(以下長山協)と西蔵登山協会(以下CTMA)の友好20周年記念事業の打ち合わせのための訪蔵である。長山協とCTMAは1987年に西蔵(チベット)ラサで友好兄弟協定を締結し、以来チベットを舞台にして、チャンタン高原の探査、チャチャチョ峰、チョモラーリ峰、ジャドゥ峰、ジェトンスンソン峰、キズ峰などいくつかの有意義な事業を行ってきた。しかし、ここ7、8年は、具体的な交流のないまま月日が経過してきている。一口に20年間というが、協定調印時とは長蔵双方ともにいろいろな意味で状況が変わってきたのは事実である。今回の訪問は、そんな中で記念すべき20周年の事業をどうするか、また今後の交流のあり方をどう構築していくか、それらを改めて仕切り直しする中で探ってこようとの目的で計画された。

会長も僕もチベット行きは初めて、責任のある仕事に不安が増す。果たしてどんな展開が待ち受けているか・・・しかし、初めての訪蔵とはいえ、同行するのは柳澤さん、言い換えれば、大船に乗っているのだ・・・楽しみながら、いい成果を持ち帰ろう。そんな期待感に胸膨らませ、うつらうつらしながら、空港直行高速バスに揺られ、7時に名古屋国際空港に到着した。9時テイクオフの便なので、早速チェックインしようとカウンターに向かうと「上海の台風の影響で、使う機材がまだ上海にあり、出発は12時半」とのこと。出発の遅延は航空会社の責任、出発までまだ間があるのでと、航空会社の発券した1000円分の食事券を渡された。その券で食事をして「セントレア」内を探訪していると、偶然夫婦で中国に行くというA高校の教頭さんに会った。

さて、問題の機材は9:30に上海を発ち、11:00には名古屋に到着。とんぼがえりで上海へ向かうという過密スケジュールで、我々の遅れも3時間で済んだ。上海でバタバタと入国手続きを終え、再び飛行機は西安へ向けて飛び立った。

西安・・・僕の中国遠征はいつも西安が出発点、今回で5回目の訪問になる。今回は、カシタシ遠征の時以来の知己である「郝(カク)振宏」さんに西安での手配をお願いしてあったので、何の心配もない。郝さんは「大西先生、久しぶり。でも随分遅れましたね。」と、空港に出迎えてくれた。すでに時刻は16:30を回っており、今日の観光は無理かもしれないと思いつつも、「せっかくだからどこか市内で見学できるところない?」と頼むと、「西安の観光地はだいたい5時半で閉めてしまう。でも、新しい環状高速ができたから、市内の渋滞に巻き込まれない大雁塔(慈恩寺)ならぎりぎりなんとか入れるかもしれない。」と車を急がせてくれた。僕が初めて中国に足を踏み入れた15年前の91年は、兵馬俑から華清池の間に初めて高速ができたばかりだった。それが今や、中国の高速道路は、飛躍的に伸びている。中国交通部の関係筋によると、「20世紀90年代以来、中国の高速道路建設は急速な発展をとげ、2001年だけでも全国の高速道路の距離は3139キロ増えた。2001年末現在、中国の高速道路の総距離は9453キロに達し(香港、澳門、台湾を含まない)、世界第二位に上昇した。中国はカナダに次いで世界二番目の大きな高速道路網の建設を完成した。」とのことで、広い国土を高速道路がつないでいる。大体、道を作るといっても「土地」がすべて国のものであるこの国においては、土地代はまったくかからない上に、住民も立ち退きを要求されれば立ち退かざるを得ないのだから、ことは簡単だ。

そして、それに呼応して都市への人口集中も甚だしい。ここ西安もご多分に漏れず、今通っている「環状高速」の外側の土地は高層分譲マンションが次から次へと建てられているそうで、郝さんのお宅もその中にあるそうだ。この成長の勢いは今の日本では全く見られない。変わりつつある西安の町の外側を、西から南へぐるっと1/4回って、大雁塔に到着した。時刻は17:30分をちょっと回ったところ、少し遅れたが、なんとか滑り込んだ。

「日本では三蔵といえば、この寺にゆかりのある玄奘のことを指しますが、もともと三蔵とは仏教の経典である経・律・論のすべてに通じたものを指し、中国で三蔵と言えば3人が有名です。」博識の郝さんが早速説明してくれる。その有名な玄奘三蔵が、天竺から持ち込んだ大量の教典を保管するために建てられたのがこの大雁塔だ。大雁塔はよく見ると、やや右に傾いており、ピサならぬ「西安の斜塔」である。時間も迫っていたので、早足での見学となってしまったが、塔の最上部まで登り、西安市内を一望した。

朝の無料の食事から始まって、飛行機内での2回の機内食。朝から食べ続けなのだが、もう夕食の時間である。「大西先生、何食べましょうか?」と郝さんに聞かれ、初めての中国旅行の柳澤さんと愚息の「腹」がストライキを起こさないよう、「餃子」でも食べに行こうということになった。満州族の経営している地元でも人気の「大清花餃子」へ。ここは地元でも評判の、まさに行列のできる餃子屋さんで、土曜日とあって地元の家族連れやカップルが、ヒマワリの種をつまみながら、店の前の椅子に座って順番を待っているくらいの混みようだった。餃子は水餃子、蒸し餃子に焼き餃子、前菜に出された数皿の料理もすべて味は、一級。来る前にはそれほど中華料理に期待をしていなかった我が息子などは、「本当においしい」と涙を流さんばかり・・・。たらふく食べ、飲んで、城門のあたりをぶらぶら歩きながら、宿泊先の全日空ホテルへ。この全日空ホテル、全日空が経営から手を退き、近々経営が変わると郝さんから聞いた。

一夜明けて6日、シルクロードの基点の西の城壁、唐の西門跡にあたるシルクロードのモニュメントを見学して空港に向かった。昼少し前、空港そばの食堂で「ジャージャー麺」を食し、郝さんとはしばしの別れ。12:30、ラサに入る飛行機は、西安を飛び立った。

編集子のひとりごと

チベットから帰り、いろいろな後始末に追われている。明日早朝には、入院中の小林専門委員長の代理で、IHに向かう。中国にいたのは、たかだか10日ほど。しかし、その間に知事選も終わり、新知事の決定。甲子園大会で松代が一度勝利・・・。そんなことはお構いなしの、全く情報から隔絶された10日間。不思議の国チベットで、ゆっくり楽しませてもらい、久々に命の洗濯をしてくることができた。(大西 記)