不定期刊行            185号  2006.8.19

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

不思議の国チベット その2 ラサの青い空

飛行機がチベットの茶色い大地に向って高度を下げていく。飛行機は高度をどんどん下げているのに、手元の高度計の高度は1500mからどんどん高度を上げてわずか10分程度で、3700mまで上がった。聞いてはいたが、チベットの高度を感ずる最初の感動だ。16:30分、ラサ空港に着陸。

荷物を受け取り、ふと外を見ると柵の向こうに「熱烈歓迎日本長野県山岳協会訪問団」という赤地に黄文字の大きな横断幕が掲げられている。我々3人のためには、あまりに仰々しくて、こっ恥ずかしいほどだ。出迎えてくれたのは、CTMAの秘書長趙明興氏、副秘書長の措拇(ツォモ)女史。早速首に「カタ」(歓迎の白い布)を掛けてくれる。空港から外へ出ると、どこまでも澄み渡った爽やかな真っ青い空。チベットだ。やはり空気が薄い感じがする。我々はCTMAのランクルで早速市内へ向かう。空港とラサ市内は約70キロ。空港を出てすぐに大河をわたる。ヤルツァンポーである。幅は2キロ以上はあるのではないだろうか。グレーシャーミルクの水の色。これもまたチベットだ。橋を渡りきるとそのまま、まっすぐトンネルが正面の山を突っ切っている。今年開通したこのトンネルのおかげでラサまでの道は短縮されたそうである。が、・・・これが最終日にあだになるとは・・・この時はまだ誰も予想だにしていなかった。

トンネルを抜けると、今度はラサ河を渡り、河沿いに道が続いている。この道は中尼公路であるが、道は河と殆ど高さが変わらず、大水が出ればすぐに決壊しそうである。水量は豊かだが、流れはゆったりとしたものだ。左手の山は、全く木はなく、大きな岩が山の斜面の至る所にやっとひっかかっているという感じで止まっており、こちらも一雨くればあっという間に土砂と共に落ちてきそうである。降水量の少ないことの証左であろう。そういえば、先に渡ったヤルツァンポーには、橋と並行して広い河を横断する電線が引かれ、電信柱が河の中に何本も立っていたが、これも急激な水量の増加がないことを証明していた。

やがて、道は河から少し離れ、あたりはチンコー(青顆)麦の畑が広がってきた。日干し煉瓦で建てられた住宅は、白く塗られて、こぎれいな印象である。市内までおよそ一時間、チベットを少しずつ身体になじませていく。結局、この道を今回の滞在中に都合6回通ることになり、馴染みの道となったが、とにかく初めてみるチベット、次から次へと移り変わる景色に感動の連続だ。

ラサの町の第一印象は、僕がこれまで訪れたどの中国の都市とも違って感じたが、この理由の一つは、建物の感じから受けるものだろう。物珍しさに目を白黒させている間に、ランクルは市内を走り抜け、我々を「喜瑪拉雅飯店」(通称:ヒマラヤホテル)まで届けてくれた。時刻は、17:00。「18:20に食事のために迎えに来ます」と言って、趙さんらが去っていったので、少し余裕ができた。「初日ゆえ無理はすまい」と、3人で安着を祝って、ホテルのラウンジでゆっくりティータイム。ティバッグ一杯で何杯も出すので、最後は色もないお茶だったが、水分摂取は重要だ。初めて「高さ」を経験する息子に、柳澤さんが、水分摂取と代謝がなぜ重要かを語ってくれる。

18:30からCTMA主催の歓迎宴が市内のレストランで開かれた。両協会のそれぞれのトップの「今までの歴史の上にたって、今後も永い友好を続けていきたい」という挨拶に続いて、宴会が始まった。高度のことを考え、僕としては、最初の日は酒など飲まず、ゆっくりと胃に負担のない軽い食事を所望したいところだったが、そうもいかない。用意された席にはCTMAの主席群増氏以下、趙、措拇、それに外連部の央珍(ヤンツェン)女史、木薩(ムサ)氏などがならび、次から次へと料理が出てくる。通訳をしてくれるのは、徳吉(ドゥジー)という24歳の女性であるが、彼女は2年前に西蔵大学を卒業し、今は大学で講師をしているという才媛。専門は中国の近代文学だが、大学時代、授業の合間に興味のあった日本語を学び、それだけでマスターしてしまったという。なかなかチャーミングな女性だ。彼女以外は、メンバーがみな揃いも揃って「のんべ」ばかりであることが、飲むほどに、またつきあうほどに分かってくる。

「今日は飲むまい」と決めていた僕だったが、むげに断るわけにもいかない。仕方がないので、強い「白酒」は勘弁してもらい、今日は「ラサビール」にした。こちらの宴会は、自分の飲みたい飲み物を事前に申し出る。また、同じビールでも銘柄がちがえば、違う飲み物ということになるらしい。群増主席は、ビール党の様だが、もっぱらバドワイザーを飲んでいる。僕の飲んだラサビールは、チンコーから作ったビールで、アルコール度数は3.5度くらいだからまあ、初日のおつきあいには程々だ。目の前に酒瓶が乱立する日本の宴会と違って、お互いに注ぎ合うと言うことはせず、ウェイトレスが、ワイングラスの半分くらいの大きさのグラスに7分目くらいビールを注ぐ。そして目のあった人と「乾杯」といって、杯を飲み干すのが流儀らしい。空になったグラスをテーブルに置くと、常にウェイトレスが、ビールを充たしてくれる。次から次へと一人ずつ「乾杯」「乾杯」と杯を重ねていく。そして、時折何かの拍子に立ち上がると全員で「乾杯」。この繰り返しである。途中で「酒はもういい」とリタイアした柳澤さんにかわり、「乾杯」の集中砲火はもっぱら小生と息子に向けられる。目が合いそうになってふっとそらすと、そらした先に別の人と目があって、そこからにこっと笑顔を返されると思わずグラスを手にして「乾杯」・・・。こうして、次から次へと杯を重ね、ほどよく酔って、お開きとなったのが8時半。料理も美味で少々食べ過ぎた観があり、心配だ。

ところで、8時半といっても、ここでは北京標準時間で動いているので、まだ外は明るく、感覚的には6時半くらいの感覚である。夕食が終わっても、ラサの青い空はまだまだ明るく澄み渡っていた。

6日、朝7時、少し早く目覚めたので、ホテルの回りを少し散歩する。まだ人通りもまばらで、町は動き出してはいない。ホテルからほど近くに、ラサ河が流れている。半袖Tシャツ一枚で歩くには、少し肌寒いが、地元の人の服装もまちまちで、半袖のTシャツから毛糸のセーターを着込んでいるのまで、様々だ。周囲の山の感じは、ちょうど松本から美ヶ原を見ているような感覚で、その意味では違和感がない。今日も空は青く澄み渡っており、西の方に、白い雪を頂く山も見えた。僕自身は、心配された高度の影響も出ずに済みそうだ。朝食は8時半。散歩から帰って息子の部屋へ行く(なんと息子にも私にもツインの部屋がそれぞれ別に一部屋ずつ確保されていたのだ)と、彼は弱気な声で「昨日の夜から下痢で食欲がない」という。高度の影響と、ずっと続いた食べ過ぎ、慣れない油などが原因か?とりあえず「百草」を飲ませ、朝食はやめさせておく。