不定期刊行            186号  2006.8.19

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

不思議の国チベット その3 重要な会議

今日は午後長山協としては「重要な会議」がセッティングされているが、午前中は観光に出かけた。CTMAの英語通訳次仁(ツェリン)氏の案内で、ラサの北郊にあり、河口慧海や多田等観も学んだというセラ寺へ向かった。多くの信者たちが一つ一つの仏像に手を合わせている中で、物見遊山で訪れている自分に何か居心地の悪さを感じたのは僕だけか。中心となっているチェ・タツァンと呼ばれる建物の本尊は「horse buddha」日本風にいえば「馬頭観音」。その馬頭観音の下には中が覗ける穴があり、その穴に頭を突っ込んでみな願掛けをしている。息子におまえは若いから「何か願掛けをしていけよ」と促す。聞くと、真っ暗で何も見えなかったそうだが、何を願掛けしたのだろうか。薄暗い境内の中は、灯明用のバターの影響で滑りやすくなっている。建物の感じからして日本の寺とは少し感覚が違い、ヒンズーの影響を受けたと思われる仏像なども多いが、もともとは同じ大乗仏教だから、千手観音など似た部分も多い。

寺の裏山は「鳥葬」の場であるとのことだった。実際に目の前でそれが行われていることを目にすれば、それは大きなカルチャーショックであり、きれい事ではない部分も見えてくるのだろうが、今は実際に見たのではないので、身体感覚としては理解できたわけではない。しかし、そこがそういう場所であるということを耳にするだけで、チベットを感じ、目にしている山がちがったものに思えてきた。

見学を終えて、いったんホテルに戻り、本調子でない息子は休ませた。少し熱もあったので、風邪薬を飲ませると共に、高所の影響も考えられたので、ダイヤモックスを半錠処方した。幸い、僕は大丈夫だが、柳澤さんも「夜冷えたせいか風をひいた」と言っている。息子はそのまま休ませて、午後は柳澤さんと二人で、いよいよ今回のメインである「会議」に臨んだ。

登山協会のオフィスは、ヒマラヤ飯店のすぐ隣にあり、ホテルの僕の部屋からは見える。オフィスを訪ねると、我々は2階のつきあたりの広い会議室に通された。四方の壁には、チョモランマ、チョーオユーなどの大きな絵が飾られ、正面には昨日の出迎えのときに我々を迎えてくれた大きな赤い横断幕が掲げられている。正面に柳澤さんと措拇さん、ほかにチベット側は趙さんと木薩さん、通訳は昨日以来の徳吉さんがあたってくれた。最初にチベット側より、「長野より提案のあった、1987年より続いている両協会の友好協定を記念した祝賀事業、とりわけ合同登山を協力して行いたい。また、合同登山と登山終了後の双方の交流について話をしたい。」との提起があった。それに対して、長野側より「合同登山を一つのきっかけに、今後も長い交流を続けていきたい。」と伝えた。その後具体的な話に入ったが、合同登山については、こちらの希望する山を示し、写真を見ながらの話となった。これまで長野では何回か名前が上がっていたわけだが、名前のみでどんな山かもわからなかった山の写真が、このとき初めて僕らの前に示された。その写真を見る限り、思っていた以上のいい山で、それを見て二人で、山の形・風格・地域・高さ・未踏峰である等の観点から判断し、正式には長野に帰ってからのことになるがという前置きのもと、「改めて長山協としてこの山で合同登山を行いたい」と意思表示をした。そのあと今後の両協会の友好の上に立った「高校生の交流」などいくつかのことについても一定の意見交換をし、結局話は2時間半にも及んだ。

会議を終えて、ホテルに戻ると、息子は少し回復しており、なんとか夕食にはいけそうだということだった。今日の夕食は、ポタラ宮の脇にあるチベット料理をメインとするレストラン。回復とはいっても殆ど料理に箸をつけない息子の様子にCTMAのメンバーが気を遣ってくれるのが痛いほどわかり、恐縮である。息子の方もそれがわかるので、無理に食べようとするのだが、やはり身体が受け付けないようだ。まあここでは無理をしないほうがいい。一方で僕は絶好調。次から次へと出てくる料理がどれも美味い。中でも最後に出てきた「キノコ」のスープは絶品。なんとこの「キノコ」形も香りも松茸そのものである。なんでも昌都あたりでよくとれるのだそうで、今は日本に輸出しているのだそうだ。スーパーで売られている輸入松茸の中には、韓国、カナダ産に混じって「中国産」とあればチベットのものだということだ。なんだか一気にチベットが身近になった。そして、初めて出されたバター茶。一度飲んでみたいとは思っていたのだが、今まで青海に行ったときもなぜか食する機会に恵まれていなかった。これが、美味い。匂いも気にならないし、それほどしつこいとも感じない。要は風土に合っていると言うことなのだろう。適度な塩加減も飲みやすい一因だ。

登山学校を訪問

7日は、かつて日本に留学した経験も持つ尼瑪次仁(ニマツェリン)氏が経営し、校長も務めている「登山学校」を訪ねた。政府が建物を造り、CTMAも一口かんでいるが、カリキュラムや技術指導はフランス国立スキー登山学校から援助をうけているとのことだった。3階建ての建物の1、2階は校舎、3階は探検登山などをガイドしたりする「登山会社」になっている。学校の専任スタッフは3人とのことだが、登山会社で働いている学校の卒業生も、時には講師をしているようだ。学費は一年間で70000元(日本円で約100万円)というから決して安くはないが、学校と登山会社をセットにして経営し、ここで得た技術が即役に立つとあって成功しているのだろう。生徒は14歳から28歳でいずれもチベット領内の出身だそうだ。

学校は1999年開校で、卒業生は、ガイドやコックなど登山会社のスタッフなどになる。敷地内には17mの人工壁もあり、若い学生の中にはクライマーを目指している者もいるそうだ。1学年40人で3年制、今は全員で110人の生徒がいる。男子ばかりでなく、女生徒の姿も見えた。授業中の教室も覗かせてもらったが、学ぶ姿は真剣そのもの。黒板には「熱烈歓迎」の文字が書かれ、ここでも大いに歓迎された。柳澤さんは元文登研の所長なので、そんなことも織り交ぜながら登山研修について激励の挨拶、急に振られた僕も長野県の様子を紹介。生徒たちから大きな拍手を受けた。別棟には登山史などを展示した簡単な博物館や装備を保管する倉庫、生徒の寄宿舎やレストラン、さらには登山会社の経営するホテルもあり、「登山」を中心にした多角的な施設となっていた。