不定期刊行            188号  2006.8.28

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

不思議の国チベット その5 聖なる山「ヤラシャンポー」

8月9日、ラサ滞在4日目。一昨日のCTMAとの会議の中で、合同登山で申請をしたい山のBC付近までの偵察を要望したのだが、日程的なこともあり、それについては断念せざるを得なかった。それではということで、CTMAからは「日帰り可能な『ヤラシャンポー(雅拉〔魯〕香布)』(6636m)を見に行きませんか」という提案があった。「ヤラシャンポー」とは白いヤクを意味し、カイラス、梅里雪山などと並ぶ聖なる山で「西蔵四大神山」の一つにも数えられるそうだ。写真で見るとなかなか登攀意欲をそそられる上にラサからも程近く、何よりも未踏峰でもあるというのが最大の魅力だ。

今日は長丁場なので、朝の出発も早く7時にレストランに行く。すると、柳澤さんが開口一番「こっちへ来てから引いた風邪の具合がよくない。残念だが今日はいけそうもない。」と言われた。来る前から期待していた部分でもあっただけに残念だ。しかし、仕方がない。今日は僕と息子、それに通訳の次仁で「ヤラシャンポー」に向かうことにする。ホテルを8:10に出発する。最初はラサから空港の方向に向かい、そこからはヤルツァンポー河沿いに東へ進む。ヤルツァンポーは河幅も広く、ゆったりと流れていく。その脇を我らのランクルは100キロ近いスピードで飛ばしていく。

10:25 澤東(ツェダン)に到着。ここまでラサからおよそ190キロ。町の食堂で次仁に勧められてチベット風の麺を食す。麺は、やや太めの縮れていない少しぼそぼそした感じのカップラーメンを想像していただければいい。スープはあっさり目だがそこに担々麺風の肉辛みみそをかけてあり、なかなか美味。この町から、山の見える場所まで60キロとのことだ。

次仁から得た情報では、この「ヤラシャンポー」は2001年に日本の高校の教員隊が7月15日から8月15日にかけて挑戦し、BC(4300m)、C1、C2(6200m)と延ばしたものの、天候の関係でその先には進めず登頂は断念。未踏のまま残されているとのことだった。「日本の教員が、8月に挑戦」と聞いて急に登攀意欲をそそられた。次仁に日本の何県の登山隊かと尋ねるが要領を得ない。それでは、日本に帰って調べてみようと、帰国後インターネットで調べたり、インターハイの時にも何人かの先生に聞いたりしてみるが誰も知らないという。

半ば諦め掛けていたのだが、ひょんなことから極めて身近な人が挑戦していたことを知りびっくりした。インターハイが終わり、その後に設定された「全国高体連の50周年記念式典」に参加していたとき、そこに参加していた旧知の仲である山形県の今野先生に尋ねてみると、「それは俺たちの隊だ」とのことだったのだ。今野先生とは97年の京都、98年の高知のインターハイのときに、ともに地区選出の全国常任として同じ隊の審査をした仲である。先生は、崑崙山脈のクタイケリケ(ギシリクターク)の登頂者であったので、当時一緒に審査をしながら、その話を聞き、僕は翌99年から3年間かけて行う同じ崑崙山脈のセリッククラムムスターグ(カシタシ主峰)への夢を膨らませたのだった。その後先生は退職され、還暦でエベレスト登頂も果たされるという岳人であったが、まさか2001年に「ヤラシャンポー」に挑戦していようとは・・・。縁は異なものである。次仁が言っていたように、やはり天候の関係で登頂は断念せざるを得なかったようだ。たまたま僕の撮っていたデジカメの映像を見ながら「うん、この山だ。いい山だったぞ。」と懐かしげにいろんな話をしてくれた。

さて、話を元に戻そう。10:50に澤当を出発した車は、ヤルツァンポー河の本流から離れ、南下する。しばらく進むと、チベットで最も古いとされるヤンブラカン宮殿を望みながら、ぐんぐん高度を上げていく。あたりはちょうどチンコー麦の収穫期でもあり、途中の村では収穫を祝う祭りの行列が華やかであった。道は少しカーブしてはいるが、舗装されており車のスピードは落ちない。しかし気づいてみると高度はいつのまにか4500mを越えている。突如、正面に白い雪をいただいた山が見えてきた。「ヤラシャンポー」だ。しかし、車はスピードを緩めることなくさらに登っていく。最初に見えたのはこの山の北面であり、山形教員隊の登った面である。次仁は「この斜面はあとで見ることにして、至近距離から見える所まで案内します」とのこと。車は山麓を北から東へと巻くように進んでいく。目の前には雪のついていない前衛鋒の見事な岩峰が屹立し、これはこれで別の意味の登攀意欲をそそられる。あたりはいつしか畑はなくなり、ときおりヤクが草を喰む草原へと変わり、道も九十九折りになった。

車は標高5025mの道路表示がある「ヤトゥタラ峠」というところで停まった。時に12時である。ここからでも「ヤラシャンポー」の東面は十分見えるが、さらに上に登れば、さらによく見えることは請け合いだ。

次仁とドライバーはここから上に行くつもりはないようだが、僕は息子と二人で峠から草原をもう少し上まで行ってみることにした。さすがに一気に5000mを越えたので、息が切れる。それでも特に異常はない。息子にとっては初めての5000m、それも車で来てしまった。少し歩くと足元には「青いケシ」が咲いていた。登るにつれ「ヤラシャンポー」は大きくなる。東面は登るのは難しそうだが、確かにいい山である。しかし、いい山ではあるが、両協会の友好協定を記念した「合同登山」となるとどうか?というのが僕の印象だった。峠から見える稜線の小さなコブまで登るとGPSでは5300mという表示が出た。今日はここまでにしよう。何枚か写真を撮って、日本へのおみやげとした。草原で昼食をとったあと、13:30に「ヤトゥタラ峠」をあとにした。帰りは、往路とおなじ道をひた走り、17:20ホテルに到着。柳澤さんは今日一日ホテルにいて、なんとか回復したとのことだった。撮ってきたデジカメの写真をみながら報告。さて、いい山を見ていい経験をしてきた充実した一日であったが、このあとの夕食会がまたサプライズであった。

編集子のひとりごと

中国ではどこに行くにも今やペットボトルの水が必需品。ラサで手に入れたペットボトルには「雅魯香布天然鉱泉水、出自西蔵四大神山之一・・・」という表示があった。あちこちで売られていたこの水は、聖なる山の聖なる水といったところか。(大西 記)