不定期刊行            189号  2006.8.31

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

不思議の国チベット その6 サプライズの連続

今日の夕食会は、海鮮中華をウリにしている料理店。店に入り、部屋で待機していると、なんとそこに入ってきたのはネパール山岳協会(NMA)のアン・ツェリン会長だった。アン・ツェリンとは昨年1月ネパールカトマンドゥで長山協とNMAの友好協定を結んだとき以来、一年半ぶりの対面であった。まさかラサで会えるなどとは、思っても見なかった。もちろんアン・ツェリンだってそうだろう。今から3年前の11月、アン・ツェリンを団長とするNMA訪日団が、長野(松本)を訪れた折、ともに山を観光資源としてもっている長野とネパールの間で「友好協定」を結びたいという提案が先方からなされた。当時僕は長山協の事務局長であったが、この申し出がある意味唐突であったことや、国家を代表する組織であるNMAと一地方の任意の団体である長山協との友好協定ということの意味がわからず、とまどった。しかし「長野の意向を待ちます」ということばを残して帰国したアン・ツェリン一行のことばを受けて、長山協内部では何度か会議を重ねた。NMAとも何回かメール等でやりとりをしていく中で、中身を煮詰め、理解を深めた上で、昨年の1月、僕も含めた6人の代表団がネパールを訪れて両協会の間で「友好協定」締結を果たしたのだった。そのアン・ツェリンがここにいる。偶然とはいえ貴重な再会だった。アン・ツェリンは今日カトマンドゥからラサ入りしたということだが、ニュージーランド出身で今はフランスに住んでいる世界的な登山ガイドのラッセル・ブライスと、7大陸最高峰登山を主宰しているロシアのアドラモフ・アレクサンダーを同行していた。今日は日本語通訳がついていないため、もっぱら会話は英語でということになった。5カ国の6民族が一つのテーブルを囲んでの会食である。少々ことばが通じなくても、飲むほどになんとなく通じたような気がしてくる。

ラッセル・ブライスは、エベレストやチョーオユーで公募登山を続けている現役では最も著名なガイドの一人だ。最初、央珍女史から紹介されたときは中国訛りもあって「ロッソ」と聞こえたので、彼が「ラッセル・ブライス」だとは気づかなかった。名詞交換をしたところで、ファミリーネームが「ブライス」とわかり、それで顔も思いだし、僕の頭の中で回路がつながった。マスコミ嫌いであるというのをかつて岳人か何かの記事で読んだことがあったが、決して人嫌いなわけではなく、かなり愉快な一時が過ごせた。たしか2001年にHAT−Jの招きで来日、その時は松本にも来てMウイングでシンポジウムを行っている。「『松本』はいい町だ」そんな話を片言で交わし、アン・ツェリンも一緒になって「松本」を媒体にして、少しずつ話が盛り上がる。次第に口調も滑らかになり、アレクサンダーと一緒に、今年だけでなんとチョーオユーには9回登ったなどと様々な話を聞かせてくれた・・・。願わくはもう少し語学に堪能だったら・・・。

宴は盛り上がり、この夜は2次会にでかけた。我が息子などはいつの間にか「ヤング・クライマー」の称号を与えられ、アン・ツェリンからNMAのバッジを胸につけてもらう幸運に浴し、隣に座ったラッセル・ブライスとはビールを酌み交わしながら、サシで話すというなんとも貴重な体験をした。こうして深夜まで大いに語った一夜であった。

不思議の国チベット その7 観光の一日

8月10日、もう何曜日かは忘れた。これまでチベット滞在中はほぼ毎日、なにがしかの登山関係のイベントがあったが、今日は全く観光のみの一日。帰国も近くなってきたので朝一度荷物を整理する。朝食の後、次仁の案内でデプン寺へ向かう。デプン寺はラサの西に位置し、ゲルク(黄帽)派最大の寺院だという。チベット仏教には大きな4つの宗派があるが、その中でもゲルク派は最大の信者を擁し、ダライラマやパンチェンラマもこの宗派である。したがってチベット仏教最大の寺といっても過言ではあるまい。

参道を登っていくと、まだ小学校に上がるか上がらないかというくらいの子どもが物乞いをしに寄ってきた。頭をなでながら「お前ら、こんなことしてないでしっかり働け。」と、わかるはずもない日本語で、何度断っても、しつこく寄ってくる。が、最終的に、「こいつからはとれない」と悟ると、それまでの憐れみを請うような顔からは一転して厳しい顔つきに変わり、捨て台詞を残して去って行く。こうした物乞いはあちこちで見かけたが、この子らには必ず黒幕がついている。恐らくせっかく収入があったとしても多くは巻き上げられ、なければないでとっちめられるのだろう。しかし、だからといって、彼らに施しをするというのは問題である。どこの寺、また繁華街へ行ってもこの光景には出会ったが、ちょっと悲しくなる光景であった。デプン寺は、山の斜面にへばりつくようにいくつもの建物が建ち、下水道までも通っている。白壁の間の狭い路地の中に立つと、ここは中世のヨーロッパかどこかとみまがうような感もある。

デプン寺を見学したあと、少し早めの食事をし、ジョカン(大昭寺)を訪ねた。ラサの中心街にあるここは、周囲はバザールになっており、いつも人通りの絶えない場所である。もともとここは湖であったが、吐蕃の名君ソンツェン・ガンポがチベットを統一し、ラサに都を建設する際、不吉なことが相次いで起こった。そこで唐から迎えた文成公主に占いをさせ、彼女の意見をいれて、湖を埋め立てて寺を作ったという伝説がある。いわばラサの原点ともいえる場所である。ここも次から次へと訪れる信者はみな、五体投地をし、いつも礼拝者の絶える事はないそうだ。寺の中に漂うお香の香りと、バターの匂いも、もう随分当たり前の匂いとしてなじんで来た。楼の上からは、バザールの喧騒が望め、その向こうにはラサのシンボルポタラ宮が遠望される。

ジョカンの見学後、バザールをぶらぶらと歩きまわる。商品には、だいたい倍以上はふっかけてあるので、交渉も楽しい。あっという間に時間が経つ。こういうところはいくら歩いても飽きるということがない。さんざん楽しんでホテルまで歩いて帰る途中、美容院に、「浜崎あゆみ」のポスターがかけられているのを息子が発見。そう思って注意してみるとあちこちにかかっている。日本の歌姫はチベットでもブレイク中のようだ。

編集子のひとりごと

今日(8/31)付けの信毎の社会面をご覧頂けたでしょうか?長山協の理事会の議を経て、2008年のCTMAと長山協の合同登山に向けて、「通商夾布」(7049m:中国登山協会作成の地図では7201m)で申請をすることが決定したと報じられています。記事ネタは私から出ているのですが・・・。かわらばん186号を書いた段階ではまだ山名を公言できなかったのですが、理事会を通ったので、公表できる段階にいたったという訳です。写真もオープンにしました。風格のあるいい山です。(大西 記)