不定期刊行            190号  2006.9.6

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

不思議の国チベット その8 羊八井を訪ねる

8月11日、いよいよチベットを去る日が近づいてきた。今日は、ラサから西へおよそ90キロの位置にある「羊八井(ヤンパーチン)」の視察である。「羊八井」は四囲を6000m級の山々に囲まれており、CTMAはここに用地を取得し、登山訓練基地と登山博物館の建設を予定していると言うことだった。長蔵協定10周年を記念した「キズ峰(6079m)遠征隊」のベースもここだったので、長山協にはゆかりの地でもある。ここは地熱地帯で温泉も湧いており、その地熱を利用した発電を行っていてラサの電力事情に貢献している点、また温泉施設が整備されている点など、実利的な側面でも今やチベットにおいて無くてはならない場所になりつつある。今から2年前に、CTMAから「ここに作る登山博物館の学芸員養成をしたいので、長山協の力を借りたい」と言う申し出があり、そのことで会長とともに奔走したことがあった。結局は、CTMA側の準備不足と言うことでその話は頓挫したのだが、この計画のその後の進捗状況も気にはなっていた。

9:00、僕ら3人をピックアップしたあと、車は登山学校へ向かった。ここに併設されているホテル(登山賓館)に宿泊しているアン・ツェリンの一行と合流するためである。ここで、チベット14座高峰探検隊隊長の「桑珠(サンズー)」氏と面会。今日は彼を含むCTMAの首脳部にアン・ツェリン一行も加え、にぎやかな一日となった。9:30ランクル3台を連ねて、登山学校を出発。「羊八井」までは青蔵公路をひた走る。ラサの町を抜けてしばらく進むとやがて郊外に出、道路と並行してラサ河、そして開通したばかりの西蔵鉄道が続く風景となった。周囲の畑の作物は殆どがチンコーで、時折菜の花が混じる程度である。道路脇に五体投地をしながらラサを目指す巡礼がいた。信仰が何の違和感もなく生活の中に入り込んでいる。そろそろ腰が痛くなったなぁと思う頃、車は青蔵公路を外れて右に折れた。頂上は雲に覆われているが、キズ峰の山懐が見えてきた。5分ほど進むと温泉が現われ、その先の広く塀で囲われた場所の脇にテントが張ってあるところに車は止まった。

テキスト ボックス: 四囲を山に囲まれた登山訓練基地予定地
周囲の白壁は、建設中の塀
時刻は11:15である。ここが「登山訓練基地建設」・・・予定地だとの説明である。ここ数年の間に日本に来たCTMA関係者の話では、登山訓練基地はもうすでに完成、登山博物館ももう建物は完成しているはずだったが・・・現地にたってみて驚いた。博物館はおろか、登山訓練基地すらない。あるのは塀のみ。そしてその塀とて、まだ完成してはおらず、門を作っているところである。7日にラサで会議をした折、「金がなくて博物館ができない」といっていたのは、全く嘘偽りのないことばだったわけだ。2年前の学芸員養成依頼で、奔走したときのことを思い出し、会長と思わず顔を見つめて苦笑い。しかし、この場所は博物館としてはともかく「登山訓練基地」としては、絶好のシチュエーションにあることは間違いない。ここに高校生を連れてくることができれば、かつての「訪中登山交流会」の行ってきたこと以上のことができる。テントの中に招き入れられて、バター茶を振る舞われた。寒いときにテントの中ではさぞかし美味いことだろう。

標高が4000mを越えるこの場所は、高所医学の研究などの研究環境としても申し分なく、そういうことも含めた「総合的な登山訓練、研究の場」として整備したら素晴らしい。柳澤さんがそんな提言をする。いうまでもないことだが、長山協に財力はないので金銭的なフォローは難しいが、そういうことへの橋渡しや紹介ならばいくらでもできるという意思表示である。

テキスト ボックス: 左から愚息、柳澤さん、桑珠西蔵登山隊隊長アン・ツェリンNMA会長、私
張明興CTMA秘書長 (尼寺の前で)
しばらく談笑した後、再び車に乗り込み、4800m近くまで登り、その高さにある戛洛寺(キズ峰報告書ではタミドゴンパという記載がある尼寺)をお参りした。ここは、キズ峰のルート上でもあり、キズ峰のBCは標高でこの寺の200mほど下方の草つきの台地だそうだ。寺の近くには、キズ峰登山のためのCTMAの装備を格納するための倉庫も設置してあった。それだけに曇っていて上方が望めないのは少し残念であった。キズ峰登山の時、この寺の尼さんたちが、ポーターとしてC1までの荷揚げを手伝ってくれたとの記載がある。我々もこの寺でバター茶とチーズでもてなしを受けたが、日本へ帰ってから改めて「キズ峰報告書」ひもといてみると、我々にもてなしをしてくれた尼さんが写っていた。そうと知っていれば、現地でもう少し色々な話ができたものを・・・。帰ってから気が付いたのでは、後の祭りである。

明日はいよいよラサを発つ日である。最後の晩は、郵政ホテルで豪華なディナー、最後までもてなされた旅だった。この宴には、CTMAの群増主席、NMAのアン・ツェリン会長、そして長山協の柳澤会長が顔を合わせた。3つの協会はそれぞれが互いに友好協定を結んでいる関係にあり、そのトップが偶然とはいえ顔を合わせ、今後のそれぞれの友好関係を確認し会えたのは有意義なことであった。そして、私自身にとっても、そのような場に居合わせることができたのは幸運だった。西蔵側からは、CTMAの関係者に加え、今回の滞在中に紹介された人がみな顔を連ねたほか、長野とはこれまでも深い関係にあった張江援氏も「昨日まで、僕、北京、今日北京から戻ったよ。」と合流してラサ最後の夜も盛り上がった。そしてこれがラサの最後の宴になるはずだった・・・が、トラブルは時に予期せぬ時にやってくる。・・・

編集子のひとりごと

今年のインターハイでお近づきになれた多くの方々に、新たに「かわらばん」を配信し始めました。もともと長野県の一地域である「中信」地区の高校山岳部のためにと思って始めた「中信高校山岳部かわらばん」ですが、多くの方々に情報をいただきながら、各地の高校山岳部を巡る情報交換のできる場として更に充実させていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。(大西 記)