不定期刊行            191号  2006.9.7

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

不思議の国チベット その9 予期せぬトラブル

テキスト ボックス: 青蔵公路から西蔵鉄道とラサ河を望む8月12日、朝食を終え荷物も整理してホテルのロビーで、CTMAのピックアップを待つ。飛行機は12時10分離陸予定である。昨日宴会が終わった後、今日のピックアップ時刻について打ち合わせをし、10:30ピックアップという日程を確認した。これまでずっと僕らの運転手を務めてくれた彼が、時間通りにロビーに来た。空港への道も4回目、随分慣れた。ラサの風景も見納めだと思うと、窓の外を流れていく風景もいとおしくなってくる。空港まではおよそ1時間強。町を出てからずっと右岸を走っていたラサ河を左岸へと渡り、トンネルを抜け、さらにヤルツァンポー河を渡れば、空港の管制塔が見えてくる。空港のあるクンガ県は農村地帯で、空港の入り口にもヤクが闊歩しているようなところだ。ヤクの姿を見ることももうしばらくはあるまいと、カメラを向ける。

空港には、CTMAの措拇秘書長が先に来て待っていた。彼女から、通商夾布の写真を含むいくつかの山の資料を受け取る。いよいよチベットともお別れである。ちょっと感傷的な気分を味わいながら、荷物をチェックインカウンターへと運んだ。荷物を台の上に上げて、航空チケットをカウンターに提出。すると空港係員は僕らのチケットを見て、やにわに裏返し11:47と記載し、突っ返してよこし、措拇女史と何やら話をしている。話が終わったところで、措拇女史が我々に一言「Later.」と告げた。我々は「遅れている」と理解した。彼女は日本語を殆ど解さず、英語もそれほど堪能ではない。しかし、我々との間で交渉するのに、英語に如くものはないので、コミュニケーションは英語でとることになる。ここに落とし穴があった。中国であるが故、「Later.」の意味を私は「飛行機が遅れている」と理解したのである。なぜなら、今までも中国では散々飛行機の遅れには慣らされてきたから・・・。ところが現実はそうではなかった。遅れたのは飛行機ではなくて、「我々」だったのだ。飛行機の離陸時間は12:10で間違いなかったが、チェックインの時間は11:10から11:40までだったので、我々はその締め切り時刻に7分遅刻したということだったのだ。

即座にそれに気がつけば、その場で何としてでもねじ込んで、それこそ袖の下を払ってでも、「乗せろ」と言ったところである。何しろ我々は言われたとおりに10:30分にホテルロビーに出、彼らの用意した車に乗ってきたのだから・・・。仮にことばが通じたとして、その場で交渉に持ち込んだとしても飛行機に乗れたかどうかはわからない。それはそうだが、この段階で、飛行機が遅延するものと判断した我々は、気楽におみやげを見に売店に行くという馬鹿さ加減だったのだ。能天気に買い物をしてから荷物のところに戻ると、措拇女史の様子が変だ。一体何があったというのか。彼女が空港の職員と必死でかけあっている様子から、僕らはやっとその場の状況を理解し始めた。措拇女史が僕に携帯を渡し、これに出ろという。携帯に出ると相手は、張明興副秘書長である。措拇女史と比べれば、彼の方が英語が堪能である。電話越しに彼の話を聞いて、おぼろげながら、そして遅まきながらようやく我々の置かれた状況がわかってきた。張氏に「我々に非はない。我々は今日中に西安に行かねば帰国できない。なんとかしてくれ。」と拙い英語と中国語で伝えるが、「だめだ。遅れた。ラサへ戻るしかない。」という一点張り。措拇女史も「ラサ、リターン」とくり返すばかり。電話でいくら話しても埒があかない。電話を措拇女史に返し、次にすべきことを考えた。

時刻は12:05だった。飛行機はまだ離陸しておらず、案内表示は搭乗手続き中を示していた。なんとも空しい気分に襲われた。今日明日は郝さんの案内で西安をと思っていたのだが・・・。措拇女史になんとか今日中に西安に飛べるよう迫るが、首を横に振るばかり。案内表示を見ていた息子が、夕方の便で西安へ向かう飛行機を発見する。しかし、今日の便はその便を含む直行便の他、成都経由、西寧経由すべて満席であるということだった。万事休す。今まで飛行機を巡るトラブルには様々遭遇し、乗り遅れそうになったことは何度もあったが、実際に乗り遅れたのは初めてのことだ。ついに時刻は12:10を回った。こんな時に限って飛行機は定刻通り運行するというのも皮肉なものだ。来るときは飛行機がないばかりに飛行機に乗れず、今度は飛行機はあるのに乗れないときた。もうどうにもならない。善後策を考えるしかない。最初は、最低でも帰国が一日遅れることを覚悟したが、話をしている中で、明日の10:30ラサ発の中国国際航空の便が取れそうだと言うことがわかってきた。これに乗れば、12:50に西安に到着。そうすれば、西安からはチケット通り14:30の名古屋行きに乗り継ぐことが可能である。航空会社も違うし、一歩間違えばアウトになる綱渡りのような乗り継ぎであるが、これに賭けるしかない。その道を取ることにした。しかし、それに伴う一人あたりの料金は830元(日本円13000円弱)也。とんだところで予期せぬ支払いをせねばならぬ羽目になった。

手続きを終えて、またラサへと舞い戻る。車中でドライバーに携帯を借りて、西安の郝さんに電話をして乗り遅れたことを伝え、西安のホテルのキャンセルをする。もうしばらく見ることはあるまいと思った空港からラサまでの景色が、車窓を通りすぎていく。結局ヒマラヤホテルに逆戻り。しばらくするとCTMAの次仁がやってきて、「今日はどうする?」というので、僕らは「今日の行動はすべて自分たちでコーディネートするから心配無用」と告げた。楽しみにしていた西安での観光がキャンセルになったのはなんとも残念だったが、これもまた旅である。せっかくなので、気持ちを切り替えて残り一日、今まで見ることのできなかった「ラサ」を見に出かけることにした。

市内を走るバスがないので、ラサ市内はタクシーか自転車を改造した三輪力車を使っての移動が便利である。力車は2人乗りの上に、料金も一人あたり3元から5元、それに対してタクシーは、料金も基本的に市内一円一回10元と手頃であったので、我々は今日はタクシーで移動することにした。ここでラサ市内を走る車について一言。まず目につくのはランクルとパジェロの多さである。しかもそのどれもが比較的新しくきれいなのだ。今までの中国の常識からすれば、かなり違和感がある。郊外には「洗車美容」の看板を掲げた洗車場も目立つ。日本に比べれば車の普及率は低く、購買層はかなりの富裕層だろうが、これでもかというほどにこれらのきれいな高級車を見せつけられると、これがホントにラサの風景として信じていいのかどうか、わからなくなってくる。