不定期刊行            195号  2006.9.25

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

秋の夜長に読書はいかが?・・・「K2非情の頂」

今夏、東海大学隊がK2の登頂に成功したというニュースを知った。登頂者の内1名は23歳の女性だったそうだから、K2の7人目の女性のサミッターが日本から誕生したことになる。

今回はこのK2を舞台にした「K2非情の頂き 5人の女性サミッターの生と死 SAVAGE SUMMIT」を紹介したい。K2、言わずと知れた世界で2番目に高い山である。この山のサミッターは未だ200人程度であり、エベレストの2000人に比し、僅か10分の1にも満たない。にもかかわらず、本書の書かれた2004年の段階でのK2の犠牲者は、エベレストの180人に対し、53人を刻んでおり、1983年には1シーズンに13人の命を奪った(この様子はクルト・ディームベルガー著「K2嵐の夏 THE ENDLESS KNOT」に詳しい)魔の山としても名高い。

そしてもう一つの特長として、この山には女性のサミッターが、昨年までわずか6人しかいなかった(冒頭述べたように今年7人になった)ということが挙げられる。そして、その6人のうち生きているのはわずか1人。3人は、登頂後K2に命を奪われ、2人はその後、別の8000m峰に登頂中に死亡しているというのだ。生存している1人は本書が書き上げられる直前に登頂に成功したばかりなので、実は作者がこの優れたノンフィクションを書こうとした段階では、「K2に登った女性は僅か5人、しかもその5人はいずれも山で命を落としている」ということがあり、これが作者の執筆動機であった。そしてそれが副題――5人の女性サミッターの生と死――の意味でもある。5人の女性を追いながら、彼女たちがK2に如何に魅せられ、なぜ死んでいったのかが、丹念に書かれている。

女性に対する蔑視への挑戦として山に命をかけた最強の女性登山家ワンダ・ルトキェビッチ。彼女はK2登頂の後、自らを認めさせようと8000m全14座登頂を宣言し、憑かれたように登り続け、8つの8000m峰に足跡を残したが、最後はカンチェンジュンガで命が尽きた。リリエンヌ・バラールとジュリー・トゥリスの2人は、ブラックサマーとも呼ばれる1983年、登頂後K2で命を失っている。リリエンヌはワンダと同日にK2の頂上に立ち、女性初の登頂という栄誉を得たが、共に登った夫モーリス・バラールとともに下山途中にK2にその命を捧げることになってしまった。ジュリーはディームベルガーのパートナーだっただけに、彼の著作と合わせて読むと、この年K2で起きた悲劇がまた違った角度から見えてきて興味深い。僕は2002年の2月、日山協の海外登山研究会で、幸運にもディームベルガーと話す機会を得たが、彼がジュリーのことを話した時の寂しげな虚空を見つめるような眼差しと深い嘆息は忘れられない。

自由奔放に生きた美貌のシャンタル・モーデュイはワンダに次いで、生きてK2から下山した2人目の女性だったが、やはりワンダ同様8000m8座に足跡を残したのち、ダウラギリで逝った。この著作の中での最後のサミッター、アリスン・ハーグリーブスは、エベレストに無酸素・無支援で登った初の女性となったが、その2週間後にK2へ向かった。彼女は、母としての顔とクライマーとしての顔の狭間で悩みながらも、K2の魔力、魅力にとりつかれ、まるで生き急いでいるかのようにこの山に拘った。そして、登頂直前に愛する子どもたちに手紙を送り、その手紙を最後に残し登頂後息絶えた。

それにしても、思わず引き込まれるこの文体は何だろう・・・。筆者自身が言っている。「会話体はふたつの形をとる。ひとつは、引用文――つまり私が雑誌や書物、証人たちから直接取り入れたものであり、もうひとつは《・・・・》で挟んだ部分で、こちらは事実に基づいて考え方や会話を私が代弁しており、何かの資料をそのまま引用したものではない。」と。事実を精査した上で、女性ならでは共感や観察、批判を交えながらの筆致は思わず読むものを引き込む。K2を舞台にした「女性登山史」だが、そこにはむき出しの人間が描かれていて非情に興味深いものだった。秋の夜長にいかがですか?

晴れ渡る乗鞍高原と乗鞍岳・・・中信新人戦無事終了

9月22日、23日の両日、乗鞍高原ならびに乗鞍岳で、中信地区の新人戦が開催された。すでに前号でもお知らせしたとおり、初日は一ノ瀬キャンプ場を中心にしたオリエンテーリング競技。夜はスライドを交えた私のチベット報告や各校の交流会を行い、塩尻志学館の柿其渓谷での沢登りの報告や、恒例大町高校の山岳部歌など、それぞれの持ち味を生かした出し物などが披露され、大いに盛り上がった。顧問の方はと言えば、中信の名物男、松田さんがよんどころない事情で欠席だったので、文字通り「だいなし」の交流会となったのだが、中身の方は決して「だいなし」ではなく、いつも通りの賑やかなものとなった。

テキスト ボックス: 乗鞍山頂に全員集合2日目は交流登山を行った。乗鞍岳は、自然保護の観点から、現在は通年マイカー乗り入れ禁止なので、全員朝一番の定期バスで畳平まで登った。思えば、4年前の大会でここを使った時が、マイカーで登れた最後の年だった。あの時は、我々は早朝に登ったので被害は少なかったが、最後の年と言うこともあって、大渋滞が発生し、位ヶ原まで車が長蛇の列となっていた。マイカー乗り入れ禁止というこの措置は不都合ではあるが、畳平の収容力に限界がある以上、自然保護ばかりでなく、渋滞緩和という観点からも仕方のないことなのかも知れないと感じた。

参加生徒数は22名とちょっと少なくて残念だったが、ご覧の通りの快晴の空の下、3026mの乗鞍からのパノラマに、生徒たちもみんなご満悦。穏やかで風もない頂上で40分近くを過ごし、乗鞍を満喫した。今回の参加校は、大町、池田工業、松本美須々ヶ丘、松本県ヶ丘、塩尻志学館の5校のみ。中信にはほかに数校に山岳部があることは確認している。来年はぜひ、全校の参加を期待したい。

編集子のひとりごと

先週金曜日に下岡さんに誘われて、坊抱岩に岩登りに出かけた。ホントに久しぶりの岩登りだったので、殆ど登れない状況であった。しかし、ちょっと岩を触っただけで、あの感覚が戻ってきた。登れないなりに充実感のある一日だった。(大西 記)