不定期刊行            200号  2006.11.12

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

「忙中閑あり」 大町高校 松田大先生より

立冬とともに、冬将軍が来襲、後立の嶺々は完全な冬装束に替わり、もう秋山気分では登れなくなりました。ちょっと遅くなりましたが、過日の連休(土日)に生徒と燕に行ってきましたので、概況報告です。

いろいろあってなかなか山へも行けず、おまけに例の未履修問題で、3年の担任の小生はストレスの固まり状態。そんな意味でも、また天候にも恵まれ、いい山行でした。

生徒にとっても、小生にとっても久しぶり(夏山以来)のフル装備山行。誰かがバテるのではと心配したけど、現実には生徒の歩みの速さには閉口した。(バテたのは何のことはない小生でした。)後からコントロールしても、どんどん速くなり、休憩時間を強制的に延ばさせても、サブ行動とあまり違わない所要時間で合戦尾根を登り切ってしまった。お蔭で中房を9時少し前に出発したのにもかかわらず、昼少し過ぎに燕山莊天場に到着、以後は各自、昼酒、読書、ボルダリングの真似事、と思い思いにあまり長くない午後を優雅に過ごした。ほぼ無風状態で、日差しは暖かいものの、矢張り初冬、稜線は可なりの気温の低さでした。夕刻にはブロッケン現象も観察でき、小屋泊の登山者から歓声が上がっていた。テント泊の物好きは少なく、大町高の6人2張り以外は、兵庫からと千葉からの単独行者各1張りずつ、日没後槍から到着した一パーティー、合計5張りだけ。

冬晴れの綺麗な星空で、星空観察をと目論むものの、満月の明るさに邪魔され断念。早々と就寝、小生と小沼は冬装備のシュラフでぐっすり。生徒は・・・・・?!悲喜交々。

翌る日曜も無風快晴。気温は小屋の軒下の寒暖計が氷点下5度を示していた。従って、青空天井の天場は、それ以下の冷え込みだったと思われ、テントはバリバリに凍り付き、撤収に苦労した。隣のテントの単独行者も「寒い!」を連発しながら撤収していた。下山は同じ道を下るのは芸がないとの理由から計画した通り、北燕、東沢乗越ルート。北燕山頂からさらに稜線を進んだため、かなり怖い思いもしたが、それ以外は順調で、トップのスピードに引っ張られて、北燕からワンピッチで東沢乗越まで。全く景色処ではなかった。大休止後、中房温泉までの標高差700mを降る。このルートを降るのは初めてである。随分昔に、信高の例会で餓鬼岳をやったときに登ったことがあるが・・・・。

今までのように早く降られては、たまったものではないので、読図訓練をすることとし、常に現在位置を確認しながら歩くことを厳命して出発。最初は思った以上の急下りでスリップに神経を使わせられた。コースは随分荒れており、河原部分ではトップの笠原がルートファインディングに四苦八苦していた。途中盛大な高巻きが2カ所あるほか、徒渉も何カ所もあり、思いの外手間取ったが、当初の計画書通り、昼には中房温泉に安着。天場から終始一緒だった千葉からの男性と互いの健闘を讃え合い、別れの挨拶を交わした。(この人とは温泉で再び一緒した。)駐車場に戻り、荷物整理もそこそこに国民宿舎の風呂に直行。ノンビリと入浴し、天候にも恵まれ、生徒も顧問も大満足であった山行のフィナーレとした。

※久々に大町高校の「大さん」こと松田さんからご寄稿いただきました。Thanks!

第26回北信越高体連登山専門部協議会

11月11、12の両日にわたって、石川県において標記会議が開催された。新潟4名、長野5名、富山3名、福井8名、石川10名の合計30名の出席があった。ホストの石川県鴻埜先生の司会で、最初に確認事項である全国高体連の常任および副部長、北信越大会の開催順等が了承された。協議題は(1)全国高校総体の報告及び反省(2)第18回北信越高校登山大会の報告及び反省(3)第19回北信越高校登山大会の準備運営(4)北信越国体と本国体の報告と反省(5)全国高体連登山専門部常任委員会にむけてという中身であった。

確認事項では、北信越選出の常任委員が今年の8月より石川県の北川甚一先生から福井県の玉邑市郎先生に代わったことが報告された。玉邑先生は過去インターハイに何回も出場されているが、今後2年間は北信越の代表として全国常任委員会への出席、インターハイの審査員をおつとめいただくことになる。なお、その後2008年9月からは長野県が代表になることになっている。協議の中では来年度の北信越大会が石川県の主催で「白山」で開催されることが了承された。「常任委員会」にむけての要望はいくつか出されたが、中でも「今年度の総体における事故」については、総括をきちんとしてほしいということが共通した認識としてあった。

夜は「越乃寒梅」「八海山」「立山」「万歳楽白山」「黒龍」といった各地の銘酒がならび、いつもながら美酒に酔いしれながらの歓談であった。長野からの出席は小林(白馬)塩川(野沢南)宮田(松本県ヶ丘)松田(大町)と小生であった。

かわらばん200号・・・自戒を込めて編集子のひとりごと

2002年3月に始めた「かわらばん」がおかげさまで200号を迎えました。これまで、私の独りよがりの毒舌にお付き合いいただきありがとうございました。高校山岳部の活性化に一役買いたいという目論見で始めましたが、果たしてそれがその通りになっているかと言えば、甚だ心許ないところがあります。長く同じ事を続けていると、マンネリ傾向も出てきますし、傲慢になることもあるかもしれません。ただ、いつも言っているように、この「かわらばん」は自分にとっての勉強の場と考えています。その意味でご批判は甘んじて受けたいと思っていますので、遠慮なくお寄せください。同時に「山」に関する情報交換の場にできればと考えております。どんな些細な情報でも構いませんので、ぜひお寄せください。そもそも「かわらばん」を始めたころは、文字通り中信地区の高校の先生への極めて私的な通信として、おそるおそるメールを送りました。それが、今では県内の高校の先生方はもちろん、県外の先生や山岳協会の仲間などを中心に161名の方にお送りするまでに育てて頂きました。これだけの方に封書やファクスで送るとすれば経費は馬鹿になりません。メールという情報伝達メディアの有効性をひしひしと感じます。しかし、それは逆に言えば、恐ろしいことでもあります。そう言う意味で、この私的な通信の責任はすべて私にあることを肝に銘じて編集に努めねばと思っているところです。いずれにせよ、これまで「かわらばん」を続けてくることができたのは、ひとえに読者の皆様がいたからこそと感謝しております。本当にありがとうございました。今後も細々ながら、息長く続けていきたいと考えておりますので、お付き合いいただき、育てていただきますようお願い申し上げます。(大西 記)