不定期刊行            207号  2006.12.20

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

佐久で行われた長山協ジュニアクライミング講習会

12月16日、長山協のジュニアクライミング講習会が佐久志賀の岩場で行われた。今回は初心者もオーケーという設定だったので、本校の生徒を引率して僕も楽しんできた。今回はJOC上位入賞者や国体選手からホントに初心者まで幅広いジュニアのクライマーが集まり楽しい一日だった。高校生は白馬高校、岡谷工業、木曽高校(定時制)、それに中学生、大人はこの岩場の開拓者の一人地元の井出さん、長山協ジュニア委員長の中嶋さんに加え、今滝(白馬)、村主(岡工)、今井(木曽)、酒井(穂高商)プラス私。僕はこの岩場に行くのは初めてだったが、いっぺんに好きになってしまった。東南向きの日当たりのいい岩場で、冬場のこれからの時期にも十分楽しめるということだ。岩質は溶結凝灰岩で、すっきりした感じである。中嶋さんからは、初めからこうだったわけではないと岩場開拓のころの苦労話も聞いたが、初心者でも楽しめるいい岩場だった。

ところで、なぜこのような講習会が行われているのか、今回はこれまでの県内の高校のクライミングの状況をさっとおさらいしながらこの講習会の意義を考えてみよう。(詳細はかわらばん13号、14号、18号、19号、20号、23号参照)

僕自身は、クライマーとは言い難いが、それでもクライミングは大好きだ。途中、紆余曲折はありながらも僕が高校生のクライミングと関わりだして、もう15年くらいになる。前任校の美須々時代の1995年、学校に人工壁を設置し、文化祭のイベントとしてコンペを実施した。当初から、僕は高校生へのクライミングの普及には「場所」と「足」の問題があり、指導者の理解を得ることが前提条件であると考えていた。その上で、高校生たちに体験させることが必要だと認識していた。しばらくは美須々が中信地区のいくつかの学校のトレーニング場所でもあった。このころも、あちこちでクライミングの熱は燃え始めており、山岳総合センターに高校教員向けの指導者講習会を設定してもらったが、実際は思ったほど広がりを見せず、参加者確保難で、2年で一度は頓挫。その後、2001年秋に高体連の専門委員と長山協の関係者、高校教員でクライミングに興味を持っている人たちが集まって論議し、県大会の場でクライミング体験をできるボードの設置(02黒姫・03八ヶ岳)をし、再度山岳総合センターに指導者の講習会を入れてもらうようにした。センター講習会はその後、専門主事が加々美さんから長山協ジュニア委員長の中嶋さんへと変わる中で、長山協のジュニア委員会の事業ともタイアップしながら、パワーアップしてきた。その流れの中で、今年は長山協では、ジュニア・国体・スポーツクライミングの3委員会が互いに連絡をとりながら、講習会を主管し、ジュニアへのクライミングの普及と強化をさらに進めてきた。2年後の国体改革をにらんでの選手の育成強化が主たる目的ではあるが、そのためには裾野が広がることも不可欠だ。だいたい、誰もが選手になる必要もないし、またなれるわけでもない。

こうして行われた今回の講習会は、木曽高校や岡谷工業の初心者クライマーにとっては、実際にコンペに参加している選手の技を見ながら、自分たちは自分たちなりの課題や楽しみ方を見つけられた楽しい講習会だった。今後も生徒と一緒に参加したい。

焚き火&野宿&耐寒サバイバル体験

16日4時30分、佐久でクライミングを終えた僕とT君はその足で、大町市に向かった。この日は当初、木曽高校アウトドア部で鳥居峠で合宿予定だったが、「小屋が閉まっているため延期せざるをえなくなった」と前々号のひとりごとに記した。木曜日にそれをT君に告げると「佐久から帰ったあと学校から家まで帰る足がないので、学校で野宿しようかな」という。彼の家は王滝村なので、学校から歩けば3時間はかかるのだ。そこで、急遽彼に僕は次の提案をしたのである。曰く「16日は大町高校が恒例の高瀬川での河原で焚き火&野宿をしているが、一緒に参加しないか?」と。・・・というわけで、以下はその報告である。

一晩中焚き火をして、その日をかまいながら、シュラフにくるまって寝る。テントは張らない。もちろん戸外だから屋根はない。これが大町高校の山岳部のここ数年恒例となっている耐寒&焚き火の訓練だが、時間があえば僕も一緒に参加させてもらっている。この訓練での大町高校の山岳部の生徒に対する顧問の松田さんの課題は、「焚き火は自分で火をつけ一人が一箇所ずつ管理すること。火はマッチまたはライターのみを使ってつけ、たき付けは新聞紙等を使わず自然のもののみを使用すること。自分で焚き火に使う薪は河原で自己調達。テントやツェルトは使わず、シュラフを含む自分の登山装備だけで夜を明かすこと。つまり、徹底的に自己責任でサバイバルをする」というもの。

僕らが到着したのは、漆黒の闇が河原を覆っている夜8時ころ。本当は、薪を集め、点火するところ(これが本当は大変)からやりたかったのだが、すでに焚き火は勢いよく燃えていた。大町高校の山岳部とは、各種の講習会や大会でいつも顔を合わせているので、僕とは顔なじみ、田中君も5月に行われた山岳総合センターの講習会で一緒に活動したこともあって旧知の仲。すぐに打ち解けた。12月に河原で野宿なんて「物好きにも程がある!」と思うかも知れないが、この面白さは、やってみなけりゃわからない。逆にいえば、やったものだけがわかること。

それぞれ「自分の火」が大きくなり安定したところで、全員がいったん集まり団欒用として別あつらえした焚き火の回りで、食事。大人は大人の飲み物、生徒はジュースなどを飲みながら様々な語らいをする。「火」というものは、それを囲んでいるだけで何か気持ちをほっとさせるものだ。そして話をしながらも、誰言うともなく誰かが、薪をくべたり、火をかき回したりしている。火はいったん付さえすれば、勢いよく燃え続けるが、慣れないとなかなかそううまくいかないもの。またいったん付くと一晩焚き続けるためには、相当量の薪が必要になる。こういった「サバイバル」は、本などにも紹介されてもいるが、実際の場面でやるとなるとなかなか理屈通りにいかないものだ。ただ、一回やってみるとそれは大きな自信になる。いい年をした大人でも一晩の野宿生活の体験からは学ぶことが多い。

編集子のひとりごと

充実の土日の報告でした。面白いことやってると思った人?「見る前に飛べ」の精神で・・・いかがですか。これこそ教育の神髄じゃない?(大西 記)