不定期刊行            211号  2007.1.31

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

「ゆとり教育」万歳!スノーシュー体験会

支持率ガタ落ちの安倍首相肝いりの教育再生会議が、「学力」とは何かという定義もあいまいなままに、「ゆとり教育」の見直しを提言した。そもそもきちんとした検証もせずに学力が低下していると決めつけ、教師のあぶり出しをすることがあたかも教育再生の切り札であるかのように言う。しかし、本当に「ゆとり」は本当に「学力低下」をもたらしているのだろうか?

今や「死語」になった感もある「寒中休み」。本校定時制にはこの「寒中休み」がまだ健在だが、その寒中休みという「ゆとり」の時を有意義に使って、スノーシュー体験会を実施した。御嶽山の麓王滝村に「名古屋市民休暇村」があるが、ここには御嶽山麓に広がる68万平米という広大な山林があり、そこを使っての様々のアウトドア活動が可能である。ここの支配人をされているKさんの息子は、僕のクラスの生徒であるが、5月に家庭訪問をしたとき、「アウトドア活動について協力は惜しみませんからいつでも使って下さい」とのありがたい申し出をいただいていたのである。そのことばに全面的に甘えて今日1月31日、スノーシュー体験会が実現した。

今回はスノーシューのレンタル、ガイド料、はては終了後の温泉まですべて無料で体験をさせていただくことができた。参加したのは部長のT、副部長のW、自然派のNに紅一点のKと1年生のMの5人。ガイドはKさんが自ら買って出て下さった。最初はおそるおそる足を運んでいたが、20分もするとみんな慣れて、思い思いに雪の中にとけ込んでいく。時折雪の中に、兎や狐の足跡を見てはそれを追いかけたり、わざと急な斜面を選んで踏み込んでみたりと楽しみ方はそれぞれだ。トップを交代しながらラッセルをすることも覚えた。宿泊施設から離れたところにあるキャンプ場で昼食。

午前中は少し雪が舞っていたが、天候も回復し純白の御嶽山が美しく光り、頂上付近には雪煙が上がっている。昼食をおえた生徒たちは、童心に帰り「雪だるま」を作り始めた。静かな林の中に小鳥のさえずりも聞こえる。この解き放たれた自由な世界で生徒たちは様々なものを体感していくのだ。コースを一回りして御嶽スキー場の裏に回り込むと突然スキー場特有のあのかまびすしい音楽が聞こえてきた。それを聞いてNが「興ざめだ」と一言こぼす。なんという純粋で素朴な感覚!約4時間歩き回って汗をかいた後は、生徒も教師も温泉で裸のつきあい。・・・「ゆとり教育」万歳!

中信高校山岳部年報《創刊30年記念特別号》発刊

お待たせしました!今年度の「年報」が完成しました。すでにご案内のように今号で30号になります。そこで、「創刊30年記念特別号」として囲みのように50ページの特集を組み、30年の中信地区の山岳部の活動を振り返ることのできるものとして編集しました。高体連を支えて来てくださった多くの方の思い出の記に加え、過去の年報から資料的なものもまとめた価値の高いものと自負しています。是非多くの方に読んでいただきたいと思い、発行部数も増やしました。中信地区以外の方、高校関係者以外の方でご希望の方はお申し出下さい。希望者には郵送もします。代金は「次代を担う高校生を一緒に育てるというお気持ち」を込め一部につき1000円以上のカンパにご協力いただければ幸いです。以下に年報の「編集後記」を載せます。

テキスト ボックス: 《30号記念特集》
復   刻  故丸山彰先生のことば
特別寄稿者  柳澤昭夫(長野県山岳協会会長)
寄稿者一覧  青山 誠 赤羽康定 飯沼健樹 今井秀幸 大西 浩 角間積善
小林俊樹 榛葉伸男 寺島勇輔 松田 大 松田泰尚 矢口和成
山崎佐喜治 渡会意士
年報の30年 中信高校安全教育研究会・中信安全登山研究会 51年のあゆみ
中信高体連登山専門部 30年のあゆみ
中信高体連新人登山大会の記録
中信高体連年報・中信高山岳部年報 寄稿・掲載校一覧
中信高校山岳部部員数の推移
中信高校山岳部学校別山行一覧
表紙で見る年報の30年
1977年に創刊された本誌が30年目の年輪を刻むこととなった。創刊号が発刊された年、私は高校3年生であった。だから、創刊号には懐かしい同級生の名前が載っており、何とも感慨深いものがある。

今回、当年報の30年を振り返る企画を組むに当たって、30年分の年報に一通り目を通してみた。この作業は大変ではあったが、諸君の先輩達の辿ってきた道筋を想像してみるのは、本当に楽しい作業であり、整理そっちのけで諸君の先輩達の紀行文や顧問の先生方のエッセイに思わず引き込まれた。70〜80年代には、メインの夏山縦走は、北アルプスの山々に縦横無尽に線を引き、どの高校も4泊5日の創造的なコースを生み出すのに工夫を凝らしたことがうかがえる。かつて、夏山縦走は、申し合わせがあり、4泊5日が限度であったが、当時の生徒はそれを最大限活かすために想像力を働かせて創造性に富んだコースを組んだ。その想像力(創造力)を、今の高校生たちはイメージできるだろうか。そして冬・・・冬休みの声を聞くと、どの学校も3日程度の合宿を組み、北アルプスのあちこちの尾根では高校生の声が聞こえていた。・・・それも今は昔の世迷い言か?

今は、夏の2泊3日の合宿や縦走すら大事(おおごと)である。しかしそれは果たして生徒だけの問題だろうか?年報を整理していて改めて思ったことは、実はこの30年間、活動している山岳部の数には大きな変動はないということだ。しかし、部員数は大きく落ち込んだ。その理由は何かと考えた時、思い至ったのは、我々教師の問題である。「生徒がいないいない」といいながら、実際に生徒が集まってきた時、生徒に本当に「山」の楽しさを伝えてきたのだろうかという問題である。今、生徒と4泊の山を一緒に歩ける顧問がどれだけいるのか?冬の遠見尾根や黒沢尾根で生徒と2泊3日の合宿を組めるだけの総合力を持っている顧問がどれだけいるのか?かつては生徒も教師もみんなが、山を丸ごと受け止め、みんなが学んでいたのではなかったか?生徒も教師も一緒になって、山岳部という素晴らしい活動をもりたてて行きたいと今心から思う。

今号には今まで中信高体連山岳部や安全登山研究会を支えてくださった多くの皆さんが、メッセージを寄せてくださった。原稿をお寄せ下さった方々に、この場を借りてお礼申し上げたい。こうした先輩に支えられ、育てられ、今の山岳部の活動がある。

生徒諸君!彼ら先人のことばに耳を傾け、それに自分色をアレンジして、自分なりきの世界に大きくはばたこう。

編集子のひとりごと

年報を読んでください。私事ですが冬休み中の夜なべ仕事で仕上げました。(大西 記)