不定期刊行            212号  2007.2.9

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

山岳総合センター講師研修会

1月27日、28日に大町山岳総合センターならびに長山協指導・遭難対策の両委員会共催の「講師研修会」が開催された。会場は例年と同じ黒沢尾根だが、今年は雪が少ない。参加者は山岳会関係者が20名あまり、センターのリーダーコース受講生が15名のおよそ30名、全体で6班構成である。雪の降る大谷原駐車場で開講式を行い、柳澤講師の「それぞれの班ごとに課題をもって実質的な研修をしよう」という話のあと現地に向かい、午前中はビーコンを使った雪崩捜索訓練を行った。昨年のかわらばんにも書いたが、やはりデジタルビーコンの使い勝手はよい。

捜索訓練を終え、次の課題である「搬送訓練」をしようと相談を始めたところに柳澤講師より無線がはいった。「アクシデントが発生したので、全員集合せよ」という。現場へ急行すると参加者の一人が腰を痛めて動けなくなっていた。自力歩行は困難な状況である。訓練が即実践となり、一気に緊張感が増す。状況から判断して「タンカ搬送がよかろう」という柳澤さんの判断を受け、大町山の会の榛葉氏、センターの中嶋氏らとともにタンカを作った。骨となる木を調達し、ザイルを使って固定し、編み上げていく。この過程はかわらばん158号で紹介済みなので、参照されたい。

出来上がったタンカにありったけのマットを敷き、ツェルトでくるんだ負傷者を乗せロープとスリングでタンカに固定。スキー場まで運び下ろした。そこからはスキーパトロールのスノーボートにそのまま乗せて固定し、スノーモービルで牽引しながら下山させ、呼んであった救急車にバトンタッチ。ことなきを得た。こういうこともあるのである。

後日談:運ばれたA氏は椎間板ヘルニアだったが、彼によればタンカは非常に安定していて搬送時も安心して身を任せられたとのことだった。

データや情報でわかった気になるわけではありませんが・・・

さて、初日の研修はセンターへ帰ってからは座学(柳沢講師の講話)、夕食をはさんでなお、班ごとのディスカッションと9時過ぎまでみっちりと続いた。その後ゆっくり潤滑油(?)をいれながらの懇親会となった。

翌日、我々の班は、雪質の観察と前日降った雪がどんな変化(雪崩)を起こすか観察することを主眼に黒沢尾根にはいった。

テキスト ボックス: スノーピットを掘り、雪温、硬さ、インクによる着色、ルーペによる結晶の観察など様々な方法で雪質を調査。雪が少なくてあまりいい観察はできなかったが、一応スノーピットを掘って雪温の変化を記録したので、参考までに紹介しておく。データを取った箇所は稜線上と、尾根の西側の吹き溜まりの2箇所である。Y軸は雪温、X軸は深さを表し、0cmが雪面を表し、稜線上では100cm、吹きだまりでは145cmの積雪であったということを意味している。

稜線上の地表温は-0.8℃、吹きだまりでは-0.5℃であった。吹きだまりは直射日光の関係で雪表面の温度は-3℃であるが、その影響は5cm程度しか及んでいない。これを見れば雪の断熱効果がはっきりとわかる。雪の断面は30cm程度までは前日に降った雪があるが、その下にそれほど顕著ではないが2カ所ほど表面霜とコシモザラメによる弱層があった。この2ヶ所の弱層は、弱層とはいえ、結合は強かった(強い弱層?・・・表現がうまくないですね)ので、おそらく雪崩はおきないだろうと想像された。

さらに11時ころになり日射を受けた雪は、状況がどんどん変化し、焼結が進み安定化に向かい、雪崩の危険は明らかに減った。

そのあとハンドテスト、ルッチブロックテスト、雪庇上でのスキーによる刺激実験などいろいろ試してみたが、天候が思ったほど回復せず、対岸の鹿島槍を眺めての雪崩観察は叶わなかった。

ここ数年センターのこの研修会では、毎年、同じようなことをやっているが、僕にとっては、いつもいろいろなことを教えてくれる欠かせない機会だ。冒頭の見出しに書いたとおり、データや情報でわかった気になるのは厳に戒めなければならないが、こういう研修会だからこそこういったことも検証できるのであり、その意味でも貴重な経験をさせてもらっている。

編集子のひとりごと

前々号のかわらばんで紹介した長山協の「国際セミナー」が2月13日、14日の2日間、山岳総合センターで開催された。医科学委員会から1本、国際部から9本、自然保護委員会から2本の報告があった。5日間程度の短期の海外登山から8000mの登攀まで、非常に盛りだくさんの内容で多くの刺激を受けたが、とりわけ刺激的だったのは、80を越えてなおネパールの未踏峰への思いを持ち続ける長山協名誉会長の古原和美氏の矍鑠たる姿勢、12年間4度にわたる困難を乗り越えてついにメルー峰シャークスフィンに登頂を果たした馬目弘仁氏の報告だった。馬目氏の登攀は今月号の「岳人」の巻頭も飾っているので、目にした人も多いだろう。そのほか白馬診療所のデータから登山の医学を語ってくれた医科学委員長の飯田泰人氏の話、林秀剛氏によるツキノワグマの話、丸山正一氏の風力発電の話も考えさせられることの多いものだった。(大西 記)