不定期刊行            215号  2007.3.15

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

「感謝されない医者―ある凍傷Dr.のモノローグ」金田正樹著

山と渓谷社から3月1日に出版されたこの本は、ある人から紹介された。ここには「凍傷」という山に登るものが知っておくべき内容が厳しくも温かさにあふれたことばで書かれている。

筆者によれば、「凍傷」の原因は初歩的なミスがほとんどであり、ヒューマンエラーだという。それは裏返して言えば、「凍傷」は注意することにより防ぐことの出来る症例だということもできる。しかし、「凍傷」は最悪の場合は切断という決断を選択せざるを得ない点で、機能に重大な影響を及ぼしかねない症例でもある。だからこそ、自らも山登りであり、これまで800例の「凍傷」患者を診てきた筆者は、僕ら山登りに精一杯の言葉として「もっと自分の手足を大事にしろよ」と語りかける。試行錯誤しながら、「凍傷」治療に取り組んできた一人のドクターが、時には過激とまで感じられる表現を通して言いたいのはこの一点に尽きている。

そんな「凍傷」治療の第一人者の筆者だが、最初から「凍傷」の専門家であったわけではない。「凍傷」は初見で予後がある程度予測でき、重症の場合は「切断」しかないということで、筆者にとってはむしろ最も診療したくないもの、嫌で嫌でたまらないものであったという。しかし、自ら参加した遠征隊での経験、文部省(当時)登山研修所での講師体験、もともと関心のあった災害救援で赴いた戦時下のアフガンやイラクなどの現場で培ったもの、そういったことを重ねながら、気づいてみれば年間平均30例として30年間で900例、少なく見積もっても800例は凍傷患者を手がけていた。そうなれば、それをまとめて発表することで病態を明らかにすることが臨床医としての義務であり良心でもあり、このことこそが筆者をしてこの書を書かせた動機だという。その意味でこれは一人の臨床医の極めて人間的な自伝でもある。

本書の中では、筆者のアフガン体験なども僕にとっては印象的な内容だったし、「凍傷」そのものの病態について書かれた、第7章の「凍傷の病理」は登山者必読の内容である。世には登山の医学書といいながら、こと「凍傷」に関しては誤ったことが書かれているのも多いというが、臨床医の書く具体例は説得力がある。

しかし、この書の中で最も印象に残った箇所は次の一章だ。筆者は、忘れ得ぬ患者を9人取り上げて、記述しているのだが、その患者の一人として登場するのが、今は武蔵工業大学第二高校で教師をしていてエベレスト、ダウラギリの登頂、昨年は7011mの紅旗(フンチ)峰の第二登(チベット側からは初登)を果たした中島俊弥さんだ。800人の患者の中で、故加藤保男氏や山野井夫妻らに混じって、彼が取り上げられた理由はこの書をお読み頂きたいのでここでは紹介しない。僕は中島さんの爽やかな人柄にはいつも敬服しており、尊敬すべきクライマーの一人である。が、この書を読んで、その中島さんの爽やかさと強さを知って、ますます尊敬の念を深くした。

そして、冒頭に書いたこの本を薦めてくれた人とは、いうまでもなく中島さんだ。

「山岳遭難の構図―すべての事故には理由がある」青山千彰著

ヒューマンエラーといえば、最近読んだもう一冊も紹介しておこう。筆者は関西大学の総合情報学部で「危機情報論」という講座を担当し、その一つの切り口として山岳遭難事故も専門に研究しているそうだ。前半は警察庁の統計等を分析しながら、そこにみられる現状と一般に言われている遭難事故のイメージの差異を明らかにした上で、その事故要因や背景を明らかにし、ヒューマンエラーの占める割合の高いことを力説している。これには頷かされる部分も多く、興味深かった。

後半では、遭難事故の様態の中で最も高い割合を占める「道迷い事故」について実際に実験を通してその原因を検証し、その上でそれを防ぐための手だてとして筆者なりに工夫したPLP法という方法を奨めている。正直なところ、これは僕にはもう一つわかりにくかったが、一つの方法ではあるかもしれない。(東京新聞出版局刊)

編集子のひとりごと

「どっかでみたような?」「あれは大西かもしれない。」「いや、あれは大西に違いない。」「なんであんなところに?」・・・ということで、巷を少し騒がせて申し訳ありません。お恥ずかしい限りの話で、本当は書くまいと思っていたのだけれど、あちこちから問い合わせやらなんやらが相次いでおり、その都度説明するのも面倒くさい(失礼)ので、この場を使って告白します。

11日、日曜日の信濃毎日新聞の書評欄。そこに「どかーん」と私の写真が。はい、あれは間違いなく私の写真であると告白します。その横には「先生の夢、ドリームプロジェクト編」(いろは出版)と書名が書かれ、書評が載っていました。

この2月22日に京都の「いろは出版」というところから「中学生の夢」「高校生の夢」「先生の夢」という3冊の本が一斉に出版されました。いきさつは「かわらばん194号」を参考にしながら、創造?想像?してください。いろは出版の担当者は、当初長野県山岳協会の人間である「大西」に、山岳県である長野県の山岳協会所属の「高校生の夢」を書いてほしいと依頼してきたわけです。その依頼を受けた私は、かわらばんでも紹介し、中信の新人戦のときにも生徒に「こんな依頼があるから『夢』を書いてほしい」と頼み、木曽高校の生徒にも書いてもらったりして、できたものを出版社に送ったのでした。実は、そこからぼくが高校の教師であることがばれて、それなら「先生自身も書いてください」ということになって、急遽書いた文が採用されたというものです。

件の本にはこうして拙文が採用されたわけで、一県ひとりずつ取り上げられているうちの一人が僕というのもなんだか恥ずかしいのですが、あれよあれよという間に本になっていたというのが真相です。他の人が真面目に夢を語っている(教師は本質的にみんなマジメナノダと実感)のに、僕だけちょっと不良じみているのもお愛嬌です(笑い)。文章ばかりでなく、写真もなかなかよくて、それを眺めているだけでも少し元気がもらえます。一般書店でも結構並んでいますので、興味のある方はどうぞ。

でも、僕としては相前後して、信毎に載った正月の「学びの糸」の続編に心を打たれました。今年で閉校になった須坂高校の定時制の文字通り最後の卒業式のことを取材した松倉先生や舟田先生の記事。まだお読みでない方は、こちらの新聞記事もぜひお読み下さい。とまれ、学校には・・・まだまだ夢がある!捨てたもんじゃない。大西 記)