不定期刊行            219号  2007.5.13

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

「鳥海山」「月山」登山・・・今野、藤井両氏と旧交を温める

今年の連休、みなさんはどんな風に過ごしましたか?私は山形県の「鳥海山」と「月山」に登り、山スキーを楽しんできました。メンバーは、信高山岳会の松田大さん、高橋清さん、田中初四郎さんプラス小生の4名。例年よりは少ないとはいうものの、どちらもまだ十分に山スキーの楽しめるだけの残雪がありました。残念ながら、天気の方が思ったほどよくなかったのですが、GPSを頼りになんとか頂上まで登り、あとは大滑降をしてきました。

鳥海山は、標高2236m、秋田県と山形県の県境に近い場所にあって、長い裾野を持った独立峰で、本当に大きな山でした。この山の麓には元山形県の高体連の登山部の専門委員長で、旧知の今野一也先生のお宅があり、今回は彼にずっとお世話になりっぱなしでした。僕もかつて長野県の高体連の登山部の委員長でしたが、そのころ今野さんと一緒に全国高体連の常任委員をしていたのです。特に京都、高知の両インターハイではともに同じ隊(京都はB隊、高知はA隊)の審査員をしました。今野さんは海外登山歴も豊富で、2003年には世界最高峰の「エベレスト」に62歳で登頂し、一時史上最高齢での登頂記録をもっていたこともあるほどの岳人で、他にも何度も海外遠征の経験をお持ちです。昨年僕がチベットで見てきた「ヤラシャンポー」に挑戦したことも以前かわらばんで報告しました。また、1996年には、僕が2001年に登ったカシタシ主峰(6691m)に程近いところにあるギシリクタークという6000m級の未踏峰にも登っており、カシタシ遠征の際にも多くの情報を提供していただきました。ちなみにカシタシの山頂からは、雪を抱いたギシリクタークがよく見えました。そんな関係もあって、以前から「鳥海山の一番いい時期にぜひ一度おいでください」と誘われていたのです。

長野県には山がたくさんあるので、なかなか他県の山に行くようなことはないのですが、一歩外に出てみるとこんな素晴らしい山があったのかと感動させられることばかりでした。途中では、県大会に向けて合宿訓練中の秋田県の大曲高校をはじめとする秋田県南の山岳部の生徒たちとも会い、刺激にもなりました。

高さは2000mそこそこですが、山が大きいこと。地吹雪に抗いながら、6時間の苦闘の末、到達した山頂でしたが、山頂付近は、強風が吹き荒れていて、ゆっくり登頂の感激を味わうというような感じではありませんでした。しかし、登ったあとは雄大な景色を心に描きながら(しっかり見えなかったから)、注意深くも豪快な山スキーを堪能しました。こういうときほど、無事下りてきたあとの「温泉」と「酒」がこたえられないもの。今野さんと山形の地酒を酌み交わしながら、いろいろな話に花が咲きました。

翌日登った「月山(1998m)」は出羽三山の一つでこちらも名峰でした。ここの7合目(1600m)には、冬は雪が多すぎるため営業できず、4月になってオープンするという珍しいスキー場がありますが、僕らはここからスタートしてゲレンデの外に広がるフィールドで山スキーを楽しみました。こちらも同じような天候に泣かされましたが、なんとか山頂にも立つことができました。

帰りは新潟県を通るので、せっかくだからということで、元新潟県高体連登山専門部の大御所藤井信先生のお宅にお邪魔しました。藤井さんと信高山岳会の関係は強く、特に「青海信越山荘」の建設は、信高の勝野、伊澤両氏と藤井さんの3人の力によるところ大であったことは皆さんご承知の通りです。

中越大地震で大きな被害を受けた後、長岡市にあった旧居から新潟市に越されたという藤井さんの新居は、山人ならではの「囲炉裏」が切ってあり、そのまわりで昔語りができる山小屋のような雰囲気をもった素晴らしいお宅でした。突然の訪問にもかかわらず、藤井さんが手ずからその囲炉裏で焼いてくれた「鮎の塩焼き」でもてなしてくださいましたが、味も格別。こちらも昔語りに花が咲きました。僅かな時間しか滞在できませんでしたが、濃密な時間を過ごさせていただけました。

新緑の美しい残雪期の山で十分スキーを楽しみ、山よし、温泉よし、酒よし、人情よしとよいことづくしのたいへん楽しい山行でした。山行の詳細は近々信高山岳会のHPにアップされると思いますので、お楽しみに・・・。

中信高体連登山専門部と武井孝貴君(大町北)が表彰されました

やや古い話ですが、過日行なわれた長野県山岳協会の定期総会において中信高体連登山専門部が「山岳文化賞」の名で表彰されました。表彰理由は「1977年より30年間にわたり、地区内の高等学校の山岳関係の活動をまとめた「年報」を毎年発行しつづけてきた。学校の枠をこえてこうした地道な活動を継続してきたことが、学校登山ならびに山岳部の安全登山に寄与してきた。こういった学校の枠をこえた横断的、継続的な活動は全国的にも例がなく高く評価できる。」というものでした。かわらばんでも紹介してきた「中信高校山岳部年報」や「安全登山研究会」が評価されたわけです。今後も生徒、顧問みんなでさらにこの活動を育てて行きたいと願っています。

また、昨年北信越国体を勝ち抜いて本国体に出場した少年男子チームを牽引した大町北高校の山岳部員(今春卒業)武井孝貴君も表彰されました。今後の活躍を期待したいものです。なお、今回は他にはインドヒマラヤメルー峰シャークスフィンの登頂を果たした馬目弘仁さんが表彰されました。

編集子のひとりごと

先週、学校からの帰り、国道を直進中の小生の車に横から飛び出してきたタクシーが突っ込んできて、車を裏返しにされ、そのまま30m逆さ吊りの状態で道路を滑りガードレールに激突。止まったときは逆さまの状態でシートベルトにつり下げられていました。シートベルトとエアバッグに救われましたが、一歩間違っていればあの世行き、大破(全損)の車(の写真)を見た人には、この車の中で僕がほとんど無傷の状態でいたことに驚かれています。もちろん私自身も・・・。恐怖の数秒間でした。九死に一生を得ました。奇跡的に、まさに奇跡的に怪我は右肋骨打撲と軽いむち打ちでした。警察の調べでは、僕には全く落ち度がなく先方にほぼ100%の過失とのことです。怪我の程度が軽かったことと、僕に責任がなかったことが救いですが、精神的にも少しまいっています。痛みを感じるたびにあの瞬間を思い出して、今でもぞっとしています。今回はその翌日の学級通信と大破した愛車の写真を添えておきます。(大西 記)