不定期刊行            223号  2007.6.27

中信高校山岳部かわらばん     編集責任者 大西 浩

木曽高等学校定時制

木曽高校定時制アウトドア部は今年も元気です

今年の木曽高校アウトドア部の部員は14名。4月のクライミング、5月センター講習会の後は、公私ともにいろいろなことが重なって起こったので、暫く活動できずにいたのだが、6月7日と21日に久々に行なった活動を紹介しよう。

その1 7日に行なったのは、去年の冬から続けている連続企画「木曽街道踏破」の第3弾である。古の中山道の木曽路部分を歩き通そうと言うこの企画、この日は2年生のM君とK君が参加した。前回の続きで、今回は薮原から福島までの約15km。薮原駅を9時半にスタートし、最初は国道を宮ノ越に向かう。実は前日学校で行なわれた生徒会主催のスポーツ大会の影響か、若干足が痛かったのだが、それはおくびにも出さず隠して歩き出した。しばらくは国道を進むが、山吹トンネルの手前から、今は廃道になった木曽川沿いの旧道に入った。舗装道路の割れ目から生えた雑草と道に覆い被さるように茂った立木が、この道が使われなくなってからの年月を物語っている。大学生のとき、免許取りたての身で訪れた木曽路は、木曽川沿いのうねうねとした道だったが、至る所でバイパス工事をしていた印象がある。この道もちょうどあのころ廃道になった道だろう。

再び、国道に合流したのち、巴渕の入り口から再び旧道へはいり、宮ノ越宿を目指す。こちらの旧道は、街道筋の宿場を通っているので、今も現役である。巴渕は木曽義仲と最後までともに戦った愛妾「巴御前」が幼い頃育ったと言われる場所。伝説では、巴御前はこの巴渕の竜神の生まれ変わりだそうだが、エメラルドグリーンの美しい渕を見ながら、そんな話を想像した。木曽川沿いに宮ノ越駅に向かう途中にあるのが、義仲の菩提寺である徳音寺。静かな境内の奥には、義仲を真ん中に据え、左右には木曽四天王の今井四郎と樋口次郎、その内側には山吹、巴という二人の妻妾と生母の小枝御前。義仲をめぐる人々の菩提をとむらう墓がひっそりと建てられていた。

寺の前には15年ほど前にできた「義仲館」、義仲一代記をさっとおさらいする。見学を終えるとちょうど12時。館の前の公園で弁当を広げた。このあたりは、義仲がまだ「駒王丸」と呼ばれていたころ育った場所でもあり、ゆかりの遺跡が随所にある。

ここから木曽川の左岸に渡り、いよいよ宮ノ越宿にはいる。そのまま宿場を抜けて、国道と並行する旧道を進み、七笑・・・といっても酒ではありません、地名です(笑い)・・・の相撲場までたどり着いたころから、今まで青かった空に黒い雲が出て来て、ポツリポツリと雨が落ちてきた。様子を見ながら進もうと、軒先を借りて雨宿りをしながら雨やみの間を縫って少しずつ進むが、雨は次第に激しくなってくる。行く手の福島の町の方は、明るく青空も見えるが、どうも僕らの頭上にだけ雨雲があり、僕らはそれと同時に動いているようだ。その先の信号を越えると、一ヶ月前のあの悪夢の事故現場である上田坂。道路わきには、あの事故で飛び散ったガラスの破片が未だに飛び散っており、なんだか悲しくなった。

そこからしばらく進むといよいよ雨脚が強くなり、バケツをひっくり返したような土砂降りになってしまった。ここまでくればあと20分も歩けば今日の目的地に到着できるのだが、このあとの授業のことも考えて根性なしだが、学校へ連絡して、もうひとりの顧問である「川島」先生にヘルプ要請。車で迎えに来てもらった。・・・雨は極めて局所的な夕立で、木曽福島ではからからに晴れていた。なんたること!

その2 2学期制をとる定時制では、先週前半が前期の中間テスト、それが終わった21日にクライミングに出かけた。「朝から雨降り」という予報を見事に裏切り、晴れ男の面目躍如の一日であった。出かけたのは、ホームゲレンデの「権現の岩場」。前回4月のときは女子が3人いたが、今回はいずれも仕事の都合がつかず、今日は男子ばかり5人。3年のN君などは一体何本登ったことだろう。なかなかタフな彼は、岩にへばりついて最後まで離れなかった。登れても、登れなくても、自分で課題を決めてへこたれずにチャレンジする姿は、見ていても楽しいもの。下で見ている者も思わず「そこ、右」「足をもう少し上」「がんばれ」「立て、立つんだ、ジョー(いつからジョーになったの?)」と自然と声が出て力がはいる。やっている方は真剣なのだが、下の指示とは逆の手を探ったり、反対の足を伸ばしたり・・・。てなわけで見ていても十分に楽しめる・・・。だけどやってみるともっと楽しい。下で見ていれば簡単そうに見えたところが実際には思うようには行かず、意外に難しかったり、逆に予想外の登り方でクリアできたり。

この権現の岩場には基本的に3ルートあるのだが、それぞれに難易度が異なり、技術レベルに応じて十分楽しめる。私はまだ首の調子が本調子でないため、確保のために上を向くことができず、脇腹もまだ多少痛みが残っているため「今日は、やるまい」と心に決めて、引率に徹していたはずだが、結局がまんできずに、それぞれのルートを一回ずつ登った。

ところで、一番右のルートは、去年最初にリードで登った生徒である3年のT君にルートのネーミングライツを進呈したところ「ハラペーニョの酢漬け」と名付けてくれた。「なんで、『ハラペーニョの酢漬け』なんだ」なんて詮索は一切しないこと。名付け親が付けたものは絶対なのである?!今年中には、まだ名無しの2ルートにも誰かに名付け親になってもらわねば・・・。そのためにも、これからも岩場通いを続けなくちゃ。

旅費請求のトラブルはないでしょうか

前号の「編集子のひとりごと」で旅費請求について、今までの確認事項を紹介し、加えて提案をしました。皆さんしっかり請求しましたか?そして、その後、トラブルは起こっていないでしょうか?今のところ私の所に、「風呂代でもめた」とか「消耗品を認めてもらえなかった」といった声は聞こえてきていないのですが、もしそのような事例があれば遠慮なくお知らせ下さい。「高校教育課教職員係」にその旨を伝えます。また、来月18日には県教委に対して、高教組の独自要求書提出交渉がありますから、その席で今年も山岳部の引率の特殊性を訴えつつ、危険手当等の新設を主張し、この問題にも言及したいと思っています。

編集子のひとりごと

そうでなければいいのだが、なんか「ずく」が抜けちゃっているような感じがするのは、事故の後遺症か?それとも年のせい?学校では文化祭の準備が本格的に始まり、担任をやりながらの生徒会主任としては、そんなことを言ってる暇もない。(大西 記)